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和書 492116 (65)



なぜ、この人でなければならないのか?
販売元: WAVE出版

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作者は「恋に臆病にならず前に進もう!」というメッセージを発信しているように思うが、なんか分かりきった事が書いてあるように思う。とても退屈な本だった。
特筆して「参考になる!共感できる!」とかっていうのは全然ないな…。




なぜ、人を殺してはいけないのですか
販売元: 幻冬舎

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なぜ、人を殺してはいけないのですか

本書ではその答えをキリスト教のなかに見出しています。
つまり仏教徒にはその答えは得られません。
仏教的にいうなら、人を殺したりすると次は畜生に生まれ変わるよ、
という感覚でしょうか?

中盤以降はえんえんとキリスト教の話が続くので、
その辺をわかった上で読まないと、ものすごく退屈な本になります。




なぜ、今、「学問のすすめ」なのか?―福沢諭吉の2001年・日本の診断 (PHP文庫)
販売元: PHP研究所

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なぜ、今、「学問のすすめ」なのか?―福沢諭吉の2001年・日本の診断
販売元: PHP研究所

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なぜ、悩む!―幸せになるこころのしくみ
販売元: サンガ

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二人のお坊さんの世間話、いや対談集(笑)
文字で読むのも良いのだけど、これって生声で聞いてみたい。

般若心経の「空即是色」は論理的に破綻している。
明らかに間違いだと言えるのはスマナサーラ長老くらいなのか。
「伝統だから、経典にあるんだから、歴史的だから、慣れてるんだから、なんとなく気に入ってるんだから。とかね。一つも真理の証拠にはなりませんよ(p83)」

今、この瞬間を味わうことが大切。
それが生きるということだと教えてくれる。

目標を持つということも、気を付けないと概念の遊びになる。
目標は将来で、後悔や反省は過去。
人間に大切なのはリアリティであり、それは今この瞬間にしかない。

二人の対談を読むことによって、この瞬間こそかが真実であり、大切にしなければいけないのだと分かる。
その連続性が人生ということになるのだろうか。




なぜ「エライ人」は馬鹿になるのか?
販売元: サンマーク出版

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この本は、エラくなると威張り散らすなどの性格の悪さが出てくるという現象について書いたものです。そういう性格の悪さのことを、普通は「馬鹿」とは呼ばないのではないでしょうか?私は、企業において、文字通りエラくなると馬鹿になる(=合理的判断力を欠くようになる)というに興味を持ってこの本を手に取ったので、ちょっと肩すかしを感じました。

エラくなって威張り散らすことは確かに良くないことです。しかし、エラい人が威張り散らしたからと言って企業が直接的に大きな損害を被ることは少ないはずです(全くないとは言いませんが)。むしろ、エラくなることによる判断力の低下の方が企業に直接的な被害を与えるはずです。ビジネスマン向けっぽい装丁にするのであれば、そこのところをきちんと解説して欲しかったです。




なぜ「話」は通じないのか―コミュニケーションの不自由論
販売元: 晶文社

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「哲学・思想エッセイ」と聞くと、本来は合間見えそうにないはずのその二つの言葉の合わさった響きが奇妙に聞こえるわけだが、読み終わった今、
この本を一言で表現するならばまさに「哲学・思想エッセイ」という言葉がピッタリくることがわかる。この本は哲学思想史を専門とする著者が自身
の身の回りでおきた「話」が通じなかったエピソードを後日談として―怒りも交えて―語り(エッセイ)、その原因を哲学・思想の観点から考察
するという形式をとっている。

筆者が論じる「話が通じない相手」とは、単純に耳を貸さないヤツだけでなく、一見コミュニケーションが出来ているように見えても、議論は平行
線をたどっているだけで、実はまったくできていない(中島梓はそれを「コミュニケーションと言う名のディスコミュニケーション」と呼んだ)ヤ
ツや、相手の話している文脈のそのすべてを追うことなしに、センテンスの中のある一単語にだけ敏感に反応して激烈に反論してくるヤツのことで
もある。そんな「話」の通じない輩―筆者曰く「パブロフの犬」、「ワン君」―は、老若男女、どの階級、どの学歴にも存在するらしい(この本
を読んでいると、むしろ知的な階層ほど多いのではないかという気さえしてくる)。

筆者はこのワン君が増殖した理由を、「小さな物語」の増殖に求めている。
マルクス主義という「大きな物語」が信用されなくなった以降(ポストモダン)、みなが好き勝手に「小さな物語」を作り始めた。その個々人の
「セルフ物語」は一旦その個人の中で強固に整合性を持ち始めると、なかなか改編できる代物ではない。さらに、その本人の中では誰もが共有できる
「大きな物語」だと思っているのだからたちが悪い。そんな異なった「物語」をもった者同士で議論となり対立が生まれたとしても、それは弁証法の
ように何か発展性のある対立にはならず、議論は結局はただのいがみ合いになってしまうのだと筆者は説く。

こんなふうに筆者は「話」が通じなくなった理由を、少々歯ごたえのある哲学史をからめて説明してくれるのだが、本文にはたびたび彼が忌み嫌う
「ワン君」たちへの忠告が挟まれる(そういえば彼の『わかりやすさの罠』にもたくさんあったなあ)。いちいち挟まれているそれらを読んでいく
と、よほどこの人はネット上で嫌な思いをさせられてきたんだなあと、想像してしまうわけである。
察するに、彼がこの本を書き上げた根本的なモチベーションになっているのは「なんでこうもまともに話ができる/聴けるヤツがいないんだ!!」という
悲壮感と怒りの気持ちだろう(筆者は否定するかもしれないけれど)。この本が、哲学・思想オタクのためだけの閉じた内容になっていないのは、
その悲壮感や怒りが「エッセイ」へとうまい具合に還元さているからではないだろうか。


筆者本人が述べていることだが、彼は少々強迫神経症気味らしい。
今の時代、このようにまともな「話」をしようと心がける人間ほど病を患ってしまうものなのかもしれない。




なぜわたり鳥は4000kmもとぶのか? (わたしたちの自然と環境)
販売元: ポプラ社

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なぜウソをついちゃいけないの?―ゴットフリートおじさんの倫理教室
販売元: ベストセラーズ

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書名と装丁を見たときは,もっと押しつけがましい内容かと思ったけど(そして「ゴットフリートおじさん」はもっと年寄りかと思ったけど),第1章を読み始めてすぐにそうではないことが分かった。本書は,ありがちな,著者自身の限られた経験にもとづく道徳観が延々と展開されるというものでは全くない。西洋哲学・倫理学の歴史をふまえ,一つ一つのテーマに対して結論を出すことを目指さずに,考える道筋を示してくれる。

哲学者の言説がコラムの形で嫌味なく示されているのもよかった。本文とあわせて読むと,道徳・倫理が西洋哲学史においてどのように論じられてきたかが概観できるようになっている。本書の主人公のフェルディナントと同じ年頃というのは無理にしても,高校生ぐらいのときにこの本が読めたらよかったなあ,「倫理」が哲学・考えることの対象だということが認識できていたら違う10代の過ごしかたがあったかもしれないなあ,と思う。親という立場になって,「訳者あとがき」にあるような話し合いを自分の子ともつことを,これからの楽しみにしよう。




なぜ人は破壊的な感情を持つのか
販売元: アーティストハウスパブリッシャーズ

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やはり会話を起こした本なので議論を追うのが難しい。少なくとも私くらいの能では困難だった。補助で章の冒頭や終わりに要約やチャートが欲しい。ダライラマの合いの手や質問が的確でそこから議論が深まったり明瞭になるくだりは興味深い、しかしやはり一般の啓蒙書と違い脳の知識が点で結ばれてゆくのでどうしても概要を浮かべることが読書をしていてつらい。特にはじめと最後の章は難しいので心してかかった方が良い。


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