本書で扱われる狼、山犬、猫はすべて人間のそばにあって
人間と共に生きてきた動物たちである。
ある時は愛され、ある時は畏れられ、ある時は忌まれる存在。
狼が守ってくれたり、小豆ご飯をたべて帰ったり、
猫が踊ったり、言葉をしゃべったり、温泉に行ったりする。
巻末の言葉で著者が水俣病の発生時に水銀に汚染された魚を
食べた猫たちが踊るように苦しみながら死んでいった話を
収録できなかったことの悔恨について述べているが本当に心が痛む。
この思いこそが著者をして「現代民話考」シリーズ
をまとめさせたのだと思う。
著者は「戦争を民話にしてもよいのか」と自問する。
だがやはりそれらが「人の口によって語り継がれること」「語り継ぐべきこと」
である限りにおいて民話でありつづけるのだろう。
民話はいいかえれば「共同体が共有すべき個人の物語」なのかもしれない。
それにしても先の戦争の悲惨さ、旧軍隊の理不尽さ・非人間性は
想像を絶する。その中にわずかでも人間的魅力あふれる人や心優しい人が
いたという事実だけに救われる思いがする。
そんなことを改めて考えさせられる一冊。
木のたたり、木の霊力、木に守られる、木をよけてつくられた道路、
あるいは木にすむ蛇の話などなど。
この話の中で特に感銘をうけたのは
北海道で国鉄時代、吹雪を避けるために
一人の営林職員が生涯かけて木を植え続け、
後輩たちがそれを守り抜いて鉄道林をつくりあげた話であった。(p175)
不思議なお話もさることながら、こんな心うたれる話もまた
現代の民話なのだ。
第五巻は「死」がテーマになっている。
現代世界では「生」にくらべ、「死」そのものが語られることは少ない。
死に瀕して川や花畑をみたことを語る人々の話
先に死んだ家族が迎えにくるのを見てなくなる人々の話
親しい人に自分の死を伝える人々の話
不思議な夢を見た人の話など
矛盾しているようだが、死について語りながらも
それらはすべて人々の生そのものであり、
語りでしか伝ええない貴重な記録である。
それらは決してデータや数字では表しえないのだ。
このような語りの中に!こそ、日本人の、そして人類の
決して知りえない深みを見ることができるのではないだろうか。