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和書 492132 (381)



日本の民俗宗教 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社

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日本文化の形成 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社

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日本人はどこから来たのか。その源流を可能な限り遡ったらどこまで到達できるだろうか。これを文献によってさぐると3世紀前半の魏志倭人伝「倭人の条」にたどり着く。倭人と呼ばれる人々は時代を下って15、16世紀の『朝鮮王朝実録』にも頻出するがその生活ぶりは魏志倭人伝の倭人とあまり変わらないという。またその活動範囲も、朝鮮半島南辺、対馬・壱岐、斉州島、西北九州、中国江南の沿海地方を含む海域で古代における「倭」の分布とほぼ重なっているという。(村井章介『中世倭人伝』による。)
このような史実を踏まえれば本書の次のような記述も首肯しやすい。「朝鮮海峡の航海権を倭人が握っていたとしても、半島にも倭人の植民地があることによって、大陸の文化は半島倭人の手によって日本にもたらされたであろうし、時には強力な集団が侵攻という形をとらないで日本へ渡航したと見ていい。そういう力が凝集してやがて日本の武力的な統一をおこない、統一国家を形成していったのではなかろうか。」
本書の記述は日本列島の先住民である縄文文化人が狩猟漁労によって何を食糧としていたかに始まり、おそらく稲作の伝来とも関わりのある南方系の倭人の動向を描いた後に(p.47以下)、青銅器や鏡をもたらした渡来人による統一国家へと向かう古代日本列島の様相を予想させるに至る。
残念なことに、本書は多くが未完のままに遺されており「日本文化の形成」という標題には届いていない。構成も「日本列島に住んだ人びと」、「日本文化の海洋的性格」、「日本における畑作の起源と発展」のわずか3部からなるにとどまり、ここで展開されたテーマを敷衍するものとしてであろう、「海洋民と床生活」と題する論文が加えられている。
著者は「日本文化形成史」と題する講演を1979年7月から翌年9月まで都合11回行い、その講義録2冊と本書に相当する遺稿のあわせて3冊が「日本文化の形成」として1981年12月に刊行された。著者はすでに同年1月に故人となっており、その目から見たこれらの作品の完成度は高いとは言い切れないだろう。しかし、それにもかかわらず、著者の生涯にわたる研鑽の上に築かれた本書の視野と発想は新鮮きわまりない。






日本人の一生 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社

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憑霊信仰論―妖怪研究への試み (講談社学術文庫)
販売元: 講談社

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『姑獲鳥の夏』を契機に日本文化の盛衰変化などの具体的な要素に興味を持ちまして、異邦人の記録から江戸後期から明治初期にかけて変化した日本文化が何を失い何を得たのかを考察する『逝きし世の面影』
赤松啓介の『夜這いの民俗学』などと併せて本書を読みました。
地方(場所,箇所)によってそれぞれ異なるものから類似点,共通性を挙げ、憑物と云う概念が日本文化においてどう作用していたのか、を明らかにしようと云うのが本書。
論文であるので当然なのですが、引用文とともに参考文献を記してあるので混乱することもなく、しかも類似点,共通性が主題であるので、敷衍した展開から素人でもすんなり読めます。
折角題材が面白いのに、その引用元が有るのか無いのか判らず是非の判断が出来なかった『あやつられた龍馬―明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』を読むと学者的な記述(情報源,参考文献と論旨の関係性)の重要性を思い知ります。
憑物と云う物質的(具体)にありえない抽象的概念が、どうして表現上だけとは云え現代にまで通じているのか。
そして、もっと頻繁に遣われていた時代には、具体とどう関連し、どういう意味だったのか。
本書を読めば、『憑物』が意味として通じなくなった現代の利鈍までに及び、様々な文化的理解の助けとなるでしょう。
印象深いのは、本書『憑きものと民族社会』の締めくくり。以下本書からの引用です。

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古い「憑きもの」信仰は、たしかに滅びつつある。しかしながら、本稿で垣間見たように、農村ばかりでなく、現代の都市生活者の、重層した形で帰属する複数の集団のそれぞれのなかにおいてさえも、衣を改めた「憑きもの」信仰がなおも生きているのをはっきりと認めることができる。人びとが他人を犠牲にしてでも自分自身の上昇を望み、その一方では他人の成功を苦々しく思い嫉妬を覚えるかぎり、広い意味での「憑きもの」はけっして人間社会から消滅することはないのではなかろうか。
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『姑獲鳥の夏』は個人の問題を時代(社会)や装飾となる民俗学,妖怪に仮託した作品でしたが、上記の文言──憑霊信仰論の著者、小松和彦の言葉を受け、敷衍した理解を求めるのならば、社会主義的だった村社会から資本主義(都市)への転換。そして迷信を払拭せしめんとする科学認識ある今現在でさえも憑物を孕んだ社会(文化)であると理解出来ます。




魔の系譜 (講談社学術文庫 (661))
販売元: 講談社

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日本の王権の歴史は、死者が生者を支配してきた。そしてそれを認めない者には、日本の歴史をは語れない、と筆者は主張する。
「死者の魔」が歴史を動かすのだと。
例えば、桓武天皇が祟りを恐れて長岡京から平安京に遷都したことは有名だろう。

1969年に書かれた部分がほとんどのようなので、流石に文章は古臭い感じがする。
が、ところどころに興味深い考察や伝承等が書かれてあって読みづらい程ではない。

ただ、やはり呪いや魔除け関連の本では、近年出版されているものの方が面白いし、うまくまとめられていると思うので、おそらくはベースにあるであろうこの本をどのように位置づけて読むのかは読者次第、か。




魔女とキリスト教―ヨーロッパ学再考 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社

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祭りと信仰 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社

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未知の次元―呪術師ドン・ファンとの対話 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社

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カントの『純粋理性批判』の更に向こう側の
領域とも言えるナワールに対して、人間の
日常的な意識の領域をトナールと呼ぶと
考えて良い。

1 fit
2 suit
3 match

この3つが完全に揃っていて
水も漏らさぬ適合状態が「完璧なるトナール」と
考えられる。いや、私も「見た」事がある。
「そぐわなさ」の零度。




民間暦 (講談社学術文庫 (715))
販売元: 講談社

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 柳田邦夫を師と仰ぐ著者が、昭和17年から27年にかけて著した民俗学的研究成果。全国のさまざまな民族行事を比較検証し、その本来の姿を探る、というものであるようだが、残念なことに明確な結論を得るにはいたらない。
 私が興味を持って読めたのは、農業活動の中でどのように稲や麦が作られ活用されてきたかというところ。各種の神事にかかわる記述については興味が離れた。
 その理由を考えるに、もはやそうした神事が私の生活とほとんどかかわることがないためだと思う。著作の中身が悪いわけではなく、こうした研究に対しては自分の周囲との差異を意識しながらでないと興味をつないでいけない。中盤以降は読み飛ばしてしまった。




民族の世界―未開社会の多彩な生活様式の探究 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社

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