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和書 492142 (211)



雑誌『新聞と社会』 (第3巻)
販売元: 柏書房

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雑誌『新聞と社会』 (第4巻)
販売元: 柏書房

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雑誌『新聞と社会』 (第5巻)
販売元: 柏書房

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雑誌『新聞と社会』 (第6巻)
販売元: 柏書房

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雑誌『新聞と社会』 (第7巻)
販売元: 柏書房

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雑誌『新聞と社会』 (第8巻)
販売元: 柏書房

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雑誌『新聞と社会』 (第9巻)
販売元: 柏書房

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雑誌タイトルコピー大全 女性誌編
販売元: 雷鳥社

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「an・an」「Olive」「CREA」「クロワッサン」「婦人画報」など、
さまざまな女性誌のタイトルコピーを1994年~2003年までの10年分、集めた本です。

若い読者を対象にした雑誌ほど、コピーは面白いです。
平気で新しい言葉をつくったり、無茶な組み合わせをするからです。

逆に対象年齢が35歳を超したあたりから、急激にコピーがつまらなくなります。
「主婦の友」「ミセス」「クロワッサン」「婦人画報」「家庭画報」など、もう全滅!

やっぱり人間は、35歳から急速につまらなくなっちゃうのかなあ、と思ったり。
というわけで、キャッチコピー風に決めてみたいです。

「しっかりしろ! 人生後半組!」

それでは、名キャッチコピーを紹介します。

3キロ、5キロはあたりまえ! こうすれば夏までに"松本明子の頭ひとつ分"やせられる!(JUNON 2000年7月号)
ごちゃまぜおしゃれが楽しいね!(Olive 1999年9月18日号)
だったら皮物買いにソウルへ飛べ!(CanCam 1998年1月号)
「実は」チープと「いかにも」チープはここで差がつく! 5つの法則(CanCam 1998年12月号)
"ゴハンに誘われる女"判定模試(MORE 2003年9月号)
行ってきますのバッグの中身(ViVi 1994年6月号)
ごほうびアクセとおねだりジュエリー(JJ 2004年1月号)
お願いサマンサ、私が買うまで売りきれないで!(JJ 2002年11月号)
効果はプチ整形以上!? 最新テクノロジー化粧品を徹底リサーチ(an-an 2001年9月19日号)
「ほめられパンツ」それどこの?(non-no 2003年11月5日号)
お願い今すぐ「もてヘア」にしてください!(non-no 2003年2月20日号)
調べてあげたよ! 注目スターの私服&ドラマ服(non-no 2000年6月20日号)

権威ある第1回「らいおんの家」雑誌記事コピー賞は、
以下が選ばれました。おめでとうございます。

●金獅子賞「JJ」
 気持ちをそのまま言葉にしたような勢いがあるのに、実は考え抜かれたコピーです。お見事。

●銀獅子賞「CanCam」
 擬音語、擬態語の使い方がピカ一。いきなり「だったら」で始めるセンスにも脱帽。

●銅獅子賞「Olive」
 言葉の組み合わせ方が絶妙。子供っぽくてかわいいのに、実はすごく知性的です。

●銅獅子賞「non-no」
 造語の天才。恐れず新しい日本語にチャレンジする姿勢は立派です。




雑誌と読者の近代
販売元: 日本エディタースクール出版部

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雑誌のカタチ―編集者とデザイナーがつくった夢
販売元: 工作舎

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 著者は本書での試みが“「雑誌黄金時代」へのノスタルジー”と受け取られることを慎重に回避している。そして賢明なる読者は、この企てが「幻の雑誌」ではなく「雑誌の幻」を追い求めるためのものであることを知るだろう。そう、“雑誌の共同幻想力”から著者は語り始めるのだ。それは年末なのに「新年号」、3月なのに「入学お祝い号」という「雑誌的タイムラグ」。テレビ、ネットのリアルタイムではなく、この“雑誌的リアルタイムの中で「起きつつある何か新しいこと」に参加し続けること-それこそが雑誌読者の最高の快楽”であると著者は言い、僕も強く頷く。
 「ネットの登場が雑誌というメディアにとっても奇貨ともなりうる逆説」という可能性を著者は提示するけど、それもそうだし、形態はネットでも、そこに“雑誌的なるもの”を見出すことは可能だと思う。例えば、映画好きが自分が欲しくて作っちゃった「ぴあ」と、パソコンおたくが同様の思いで作っちゃった「価格.com」の類似。本書を通読すると“雑誌的なるもの”とは何かってことが、黄金時代の雑誌のカタチを通して見えてくるのだ。
ひとつのパースペクティブとして「大きい物語(モダン)」と「細分化された情報(ポストモダン)」の間に、対立、混沌、融合、コラージュ、クロスオーバーとしての<雑> 誌があったんだな、ってことがある。
それは、「テキスト優先」から「デザイン優先」の間としての「POPEYE」とか、「批評、評論(啓蒙、押し付けの文化言論)」と「東京ウォーカー的商業情報」の間としての“自立的な受け手”のための情報誌「ぴあ」とか、「倶楽部」や「〜の友」的おっきな共同体雑誌と“誌名が意味不明の記号”なちっちゃな雑誌たちの間としての「ワンダーランド〜宝島」とか。
 こう書いちゃうと不可逆的な歴史の一過程として“雑誌の時代”があったみたいな感じだけどそうじゃなよね。雑誌にはまだまだ可能性がある。


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