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和書 492146 (29)



家族とジェンダー―教育と社会の構成原理
販売元: 世織書房

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著者が現在の社会をどのようにみているか、過去現在未来と家族という枠組みにどのような変化が起こっているのか…
子どもをとりまく子ども自身が選択できない二つの環境(家族と学校)がどのように関係し合い、変化しているのか、著者の前向きな暖かなまなざしを感じる一冊です。
読んでみると、なーるほどと思う点が多く、今までの「モヤモヤ」が「スッキリ」する一冊ともいえます。




家族の座標軸―読売・中公・女性フォーラム21 (読売ぶっくれっと)
販売元: 読売新聞社

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家族の変容とジェンダー―少子高齢化とグローバル化のなかで (成蹊大学アジア太平洋研究センター叢書)
販売元: 日本評論社

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家族のメタファー―ジェンダー・少子化・社会
販売元: 早稲田大学出版部

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家族破壊
販売元: 徳間書店

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食事も外、子育ても外、老後の世話も外。家族機能の外注化が進んでいる。それもこれも「女性負担の軽減」という掛け声とともに。

確かに女性が虐げられるのは許されないものの、どうしてそれに「政治」が絡むのか、よく分からない。なぜ家族機能を「社会保障」の名のもとに代用させるのか。著者はフェミニストの過激な主張は、ソヴィエトや文革時代の中国と同じだと論を展開する。

全体主義社会は家族が邪魔だ。家族というプライベートな領域が。人民全てを政治的な存在にするのにこれほど邪魔なものはない。エンゲルスが封建制の基盤として家族制・家父長制があるといい、マルクスは女性は男性の支配から逃れるために「外へ出て」おおいに働くべきだ、とのたまった。

行き過ぎたフェミニズムは全体主義と同じ。著者の真っ当な怒りが感じられる。秀逸。





家族を蔑(さげす)む人々 フェミニズムへの理論的批判
販売元: PHP研究所

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諸外国やかつての日本でもあまりにも女性が虐げられていたことも事実ではあると思う。
だが、田島洋子や、上野千鶴子といったフェミニストが叫ぶ姿を見てほとんどすべての人間が眉をひそめる。
確かに一見筋が通っているような気がするときもある。だがなにか違和感を、なにか不信感を感じてしまうのだ。なぜだろう?
文化と文明(フェミニズムを文明というのは褒めすぎという気もするが、少なくとも似非科学っぽいという意味と、文化への対極という意味でのシニカルの意味も含む)の不整合さというべきか。あるいは共産主義(という科学)が本の中ではうまくいっても結局は実現はできなかったのと同じで人間本来の持つ家族愛や信頼感。男女間の敬意や親子の情愛というものを計算できる、金銭化できる、労働力という数値化できると誤った仮定に基づくものだからではないだろうか。

実に簡単な質問をしたい。
フェミニストのような女になりたいですか?
フェミニストのような人生を歩みたいですか?

子供が自分で決める、女性が自分で決める。かっこいい事のように聞こえるけど、正しい教育や長い文化の蓄積も知らないで好き嫌いに基づいた感情で下した人間ひとりの判断ってそんなに正しいものかな?

昔ながらの日本の家族っていいなーと思わないかな。
尊敬できる父、優しい母に育てていただいたことを心から感謝します

仕事柄、フェミニスト崩れの家庭を見ることも多いですが悲惨なものです。そして意地悪だとは思いますがフェミニストの悲惨な家庭を見て悪魔的な喜びも覚えるのも事実です。

こういう本に反発するフェミニスト諸氏の子供と、僕のいつか生まれる子供と15年後にお互い会わせてせみたいですな。ヒステリックでギスギスした、男との社会との闘争に無駄に疲弊した家族と、誇り高い愛情豊かな、国や社会に感謝の気持ちでいっぱいとの極めてシンボリックな家族でしょうな。





語り継ぐトランスジェンダー史―性同一性障害の現在・過去・未来
販売元: 十月舎

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主にトランスジェンダー専門誌「FTM日本」の序文をまとめた物が書かれています。一昔前までは、こういったセクシャルマイノリティーに関する社会の制度化がまるで亀の歩みのような遅さであることが分かり、著者の相当な苦労が伺われます。
少し前に「金八先生」で性同一性障害が取り上げたことを始め、最近ではカルーセル麻紀さんの戸籍上の性別変更が認められるなど、彼らに関する認識はここ数年で急速に浸透して来たように思われます。戸籍の性別表記変更の一斉提訴が次々と却下されていた時と比べると、格段の進歩と言えましょう。
こういった内容の本は、やはりまずは「トランスジェンダーって何!?」って人に薦めてあげるのが一番なのでしょうが、とは言え「同性愛志向だったから性転換するのではない」などと書いてあると、やはり頭が混乱して来てしまうでしょうね。「こんな生き方もある。これも人間らしさの追及なんだ。」くらいにさらっと読んでしまうと、返って後に残る物が大きいと思います。




知事のセクハラ私の闘い (角川oneテーマ21 (A-8))
販売元: 角川書店

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この事件がよく報道されていた頃、私は少し冷ややかな目で事の成り行きを見ていた。多分、羨ましかったのだ、半分。最初批判的だったマスコミが、彼女や弁護士団の様子を少しずつ少しずつ伝え、そして彼女の側へ動いていく。その様を見ていた。
実際に為された彼女の告訴から裁判の様子など、気持ちを交えて描かれているこの本で特にいいなと思ったのは、最後に民事裁判と刑事裁判の流れを描いた表が添付されていたこと。裁判を経験した者にしか分かりようのない痛みがそこかしこにある。
 物事は劇的には変化してくれない。セクハラにしろ強姦、暴行に対しての社会の目や世の中の慣例は、まだまだ未熟な部分が山積みだ。でも、少しずつでも変化してゆけるのなら。もっともっと、いい方向へ、変わっていけたら。読みながら、そんなことを思った。




金子文子 わたしはわたし自身を生きる―手記・調書・歌・年譜 (自由をつくる)
販売元: 梨の木舎

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家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズムの地平
販売元: 岩波書店

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近代家族という父親中心主義・長男中心主義(家父長制)にもとづいた家族史と経済学との関わりを論じた著書。日本の<近代>は、60年代高度成長期をつうじて完成した。もちろん<近代化>は明治から100年、一貫してつづいてきてはいるが、その変化の度合は一様でない。日本の<近代化>には大きな節目が二度ある。一度めは日清・日露の両戦争から第一次世界大戦を経て日本の資本制が成立する明治末期〜大正期の時代、もう一つの大きな節目は1960年代である。この二つの節目はそれぞれI期フェミニズムとII期フェミニズムに対応している(『家父長制と資本制』195ページ)。すなわち、女性の政治参加などを求めた法的な男女平等の要求(I期フェミニズム)の実現後も、男女の差別関係は家庭のなかに残ったのである。したがって、その解放が運動として広がった60年代以降の問題テーマを林芙美子の作品は先取りしていたといえる。


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