戻る

前ページ   次ページ

和書 492150 (57)



わがいのち月明に燃ゆ (ちくま文庫)
販売元: 筑摩書房

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

 著者18歳~23歳の手記。
大正11年生まれと察せられ、戦争が無ければ、まだ存命であったかもしれない。学徒出陣で第一級の人材は散華してしまった。戦後残ったのは二流三流の人材のみという生き残りの同世代の自嘲の声を聞いた事が一度ならずある。
 この手記を読み、なる程その同世代の生き残りの自嘲が自嘲にあらず、本当かもしれないと思った。その読書量、語学力、思索力、どれを取っても現代の我々は足下に及ばないであろう。著者が、散華することなく、戦後生き残ったならば、必ずやその名を世にしろしめしたでありましょう。その証拠に、手記の中で、著者が学生時代、最も親密な交流をしたO氏は、戦後梵語翻訳で大いなる業績を残した学者、大地原豊氏その人であった。
 戦争の最中にありながら、著者の洞察は世界史的論議の中で自分自身の存在を捉えていた。彼は、原書で社会科学等の本を読んで思索していたのである。
 彼ほどのインテリが、軍隊の中では、最高の肉体機械になるべく奮闘せねばならなかった。彼が、軍隊の日常の中で、魂で希求した生活とは、畳の上に寝ころんで本を読む生活であった。今、私が享受している生活である。
 本書の救いは、この本のタイトルともなった、著者の最期についての記述である。
 彼は、航空隊所属。終戦2週間前に高度六千メートルの雲海の上、散華したのである。
 1945.7.28午前零時飛び立つ。月は満月に近く、しかも昇って間もない。下方三千メートルには一面の雲海、金波銀波のさざ波の如く、満天にまだ星が煌めき、その中を彼我の曳光弾が飛び交った直後、一閃の爆発が著者の散華を告げたのだ。わたしは、その瞬間を美しく思った。陸戦の泥沼の中の死よりも。実は、彼が海軍を選んだのも陸の不潔を嫌ったからともいう。




わがクウェート―日本人妻の湾岸戦争
販売元: 平凡社

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






わが南京プラトーン―一召集兵の体験した南京大虐殺
販売元: 青木書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






わが南京プラトーン―一召集兵の体験した南京大虐殺
販売元: 青木書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






わが回想のルバング島 (朝日文庫)
販売元: 朝日新聞社

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






わが国の防衛政策―その実態と課題
販売元: 日本教育新聞社

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






わが子に伝えたい昭和の体験記録〈上〉
販売元: 小学館

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






わが子に伝えたい昭和の体験記録〈下〉
販売元: 小学館

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






わが家の薬害戦争
販売元: 風琳堂

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






わが帝国海軍の興亡
販売元: 光人社

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

ちょっとした驚きがあります。
帝国海軍の興亡,と言いながら日本海海戦の記述が全く無いことです。
しかもそのことについて一切の言及がありません。
黄海海戦までは比較的密度濃く書かれています。坂の上の雲を髣髴とさせるような,手際よく緻密な記述です。逆にそれだけに,驚きもより大きく感じられるのかもしれません。

全般的には時間軸を基準としながらも,所々で切り口を変えて帝国海軍の足跡を辿るという手法で,人物・エピソード・著者の批評などが随所に散りばめられており,通り一遍等な歴史ドキュメントなどと違い読者を退屈させません。特に太平洋戦争開戦前の軍政面における人物に関する記述は詳細で,批評も独自のものがあります。この時代を総括的に把握されたい方には一読の価値があるでしょう。

随所に現れる,指導層への批評は概して批判的です。零戦搭乗員として,特攻まで経験させられた著者の経歴からすれば当然でしょう。
ひょっとすると日本海海戦の記述が無いことは,このことに絡んでいるのかもしれません。実際の軍令部は成功体験に傾倒した,とされる訳ですがこうしてひたすらに戦争の経緯だけを見ると,一体何を目指していたのか…と少し空虚に感じられるのです。

話は変わりますが戦争指導に対する批評書の類は巷間数多存在します。しかしながら,じゃあ実際どのようにという観点において正鵠を得た論旨を未だに目にすることはありません。一参謀課長も認めているように開戦した時点で負け,だったということでしょう。もちろん開戦に踏み切らなければ負けはありませんが今の日本の繁栄もなかったでしょう。アメリカやソ連の支配を受けていたかもしれません。

我々の世代はこのような批評を元にして,日本をどのように方向付けるのが正しかったのかということを常に意識すること,日本の国家戦略を模索し続けることが求められます。そしてそれは今の日本(または自分)をどう方向付けるか,という試行錯誤において貴重な擬似体験となるでしょう。それが歴史に学ぶ,と言うことではないかと思うのです。


前ページ   次ページ

戻る

仮想世界 - シューティング/レース/電車ゲーム フライトシミュレータ