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和書 492412 (274)



ろまん灯篭 (角川文庫クラシックス)
販売元: 角川書店

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この「ろまん灯篭」という作品は新潮文庫でも読む事が出来ますが、私はこの角川文庫クラシックス版をオススメします。それはこの作品集には新潮文庫版には収められていない(新潮文庫版と角川文庫クラシックス版では収録作品が全く異なります)「愛と美について」という作品(新潮文庫では『新樹の言葉』に収められています)が収められているからなのです。

太宰はこの「愛と美について」で、堅物の長男、自信家の長女、俗物の次男、ナルシストの次女、幼い末弟という性格がバラバラな五人兄妹にリレー形式で物語を語らせることで小説を展開させるというスタイルを試みました。ですが、その興味深い試みもここでは上手く機能されずに終ってしまっています。そのリベンジのつもりか、太宰は「愛と美について」と同じスタイルを、同じ登場人物を使ってこの短編集の表題作「ろまん灯篭」で再び試みているのです。ここでの五人兄妹による連作には、それぞれの書き手の性格がユーモアたっぷりに反映され、一つの物語としては支離滅裂なのですが、そこに作品の面白さが生まれ、この試みの成果が出ています。そして五人兄妹を支える形で、彼らの母、祖父母が上手く機能し、作品をより面白いものにしています。

このようにこの二作には強いつながりがあり、「愛と美について」と「ろまん灯篭」をあわせて読むことで(この文庫には「愛と美について」の直後に「ろまん灯篭」が収められています。ニクイ演出です)、この「ろまん灯篭」という「隠れた名作」をより深く楽しむ事が出来ると私は思うのです。この作品集にはこの二作の他に、後に「お伽草紙」で完成を見る太宰の翻案小説のハシリと言える「女の決闘」などが収められています。




ろまん燈籠
販売元: 新潮社

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 表題作「ろまん燈籠」と「雪の夜の話」について書いてみよう。
 自分の分を知り、その分を守り、それぞれがそれぞれの義務・役割を果たして、力を合わせて生きていく。――彼が理想としたのは、平凡だけれど美しい、そんな生活だったのではないか。
 「ろまん燈籠」では兄妹たちがそれぞれの個性を生かし、連作・合作して一つの物語を作る。「雪の夜の話」には、難破した水夫の話が出てくる。医者が難破した水夫の目を顕微鏡で調べたところ、一家の団欒の光景がその網膜に残されていた。この事実を医者は知り合いの小説家に伝える。小説家がこれを解釈する。もし、水夫の目が損傷していたら、医者はその網膜から一家団欒の光景を見つけることは出来なかったし、医者が水夫の目を顕微鏡で調べたとしても、小説家が解釈しなければ、水夫の行為は明らかにされなかった。この小さな物語は、水夫と医者と小説家との三人で力を合わせて作った話として捉えることが出来るのである。
 「ろまん燈籠」の最後の方の場面で、兄妹の祖父が批評の言葉を述べる。主人公とヒロインとが幸福をつかんだのは、父母の隠れた愛があったればこそだが、ほとんど誰もそれに触れなかった、そこがなっとらん。だいたい、そんなことを言う。隠れているけれども、存在しているもの、隠れているからこそ、大切なもの、そういうものを探し出して、文学として定着させる、それが太宰にとって重要なテーマの一つとなっていたのである。
 隠れた愛、で連想するのは、善い行いをするときは、人に見られないよう心がけなさい、そうすれば、隠れたところにいます天の父なる神が、報いてくださるだろう、というイエスの教えである。太宰は隠れた愛の行為を文学として定着させながら、読者に福音が訪れることを祈っていたのではあるまいか。そんな気がする。ちなみに、太宰が『聖書』を福音として受容していた一面があるのでは、との指摘は渡部芳紀氏によりなされており、私はそれを応用したまでのことである。




わかぎみ (新潮文庫)
販売元: 新潮社

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わからずやの恋人 (角川ルビー文庫)
販売元: 角川書店

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「わからない」という方法 (集英社新書)
販売元: 集英社

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小林秀雄のモォツァルトにおいて、天才とは努力を発明するというようなことがあったが、著者は、自らが考えすぎる性格で、それが弱点であり、ただの暗記ということが苦手だと言っている。いろいろと見えてしまうこのような人にあって、他人がわかる方法をそのまま使うということができないみたいだ。既に、出ている答えを答えとしてわかるのではなく、まったく、わからないと仮定してその問題として、答えをだすプロセスを時間をかけて自らがたどりなおすことで、その答えとともにもう一つ自分にとっての答えが見つかる。その自分にとっての答えを見つけることで、それは一つの方法を自分で作ったともなる。そんなことを言っている。




わかれの船 (光文社文庫)
販売元: 光文社

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伊集院静香、林真理子から、遠藤周作に至るまで、いろいろな作家の作品のなかから、人との「別れ」に関係する作品を、チョイスして集めたもの。

お涙ちょうだい的なものはほとんど無く、笑えるものや、推理小説的なものなど、いろいろ、アラカルト。




わが「転向」 (文春文庫)
販売元: 文芸春秋

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 予言的な論文を、その予言された日時に読んでみるというのは、なかなか痛快な読書体験である。
 本書の表題にもなっているインタビューは、1993年に行われた。
 その中で、去年(つまり1992年)の世論調査では、九割一分が中流意識を持っているから、十〜十五年後には、九割九分の人が中流だというでしょう、と予測している。(これを外挿の理論というのでせう)
 さて、今はそれから十五年が過ぎた。果たして九割九分の人が中流だと思うような世の中になりましたかね?
 また、日本は世界で最も貧富の差の少ない国だと威張っている。確かに、今でも中国やアメリカやロシアに比べてそうだろうが、十五年前の日本と比べてどうだろう? 貧富の差は広がりつつあるのでないのかな??
 本書のあとがきで、吉本さんは、自分は戦後、思考の軌道に一貫性があるとは言わないが、思考転換した場所と時間があれば、必ずその理由を明記している、とかっこ良く言い放っている。
 しかしですよ。
 確か70年代、羽仁五郎あたりを批判するときに、かつて化学に携わっていた頃、外挿の理論を使う時はいつも後ろめたかった、と書いたのはどちらさんでしたっけね?
「象は忘れない」と言いますが。熱心な吉本読者だって結構物覚えはいいんですよ。

 文芸春秋は右寄りになった吉本隆明の「思考の軌道」がよっぽどウレシかったらしく、わざわざ1000号記念号に、本書巻頭のインタビューを載せ、しかも勝手に、「わが「転校」」などとタイトルを付けている。
 しかし、吉本さんもまんざらでもなかったらしく、(旧左翼陣営に対するアテツケもあったのだろうが)、訂正させるどころか、本書の書名にまでしてしまった。
 また、インタビューの中でも、これまでいっさい論じてこなかった本多勝一をいきなり批判したりして、文春にリップサービスしている。
 だが、本書は、「バブル後〜大震災/オウム前」という特異な一時期に、吉本隆明がどんな立ち位置に居たか、また、反核異論から埴谷雄高との論争を経て、ほぼ旧左翼陣営との決別が完了したことを告げる、一種のマイルストーン的著作として、コンパクトにエッセンスが詰まった単行本であることは確かだ。
 吉本さんの営みに、否定的であれ肯定的であれ、興味を持つ人は、避けて通れない一書だと思う。




わがひそかなる愉しみ (光文社文庫)
販売元: 光文社

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わがふるさとは黄泉の国 (角川文庫 緑 375-6)
販売元: 角川書店

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わがふるさとは黄泉の国
販売元: 早川書房

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