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和書 499786 (155)



ぼく、14才で戦争に行った
販売元: 東海出版社

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ぼくたちは10歳から大人だった―オランダ人少年抑留と日本文化 (教科書に書かれなかった戦争)
販売元: 梨の木舎

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ぼくと兄の日章旗―兄から学んだこと (新・のびのび人生論)
販売元: ポプラ社

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ぼくの戦争―原爆は、そら豆がこげるにおい
販売元: ウインかもがわ

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ぼくの東京が燃えた
販売元: 新日本教育図書

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ぼくの比島戦記―若き学徒兵の太平洋戦争
販売元: 元就出版社

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ぼくの考古古代学
販売元: 日本放送出版協会

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ぼくの街に爆弾が落ちた―銀座・その戦争の時代 (市民ライブラリー)
販売元: 平和のアトリエ

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ぼくは皇国少年だった―古本から歴史の偽造を読む
販売元: インパクト出版会

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ぼくらの「侵略」戦争―昔あった、あの戦争をどう考えたらよいのか
販売元: 洋泉社

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論者は山田風太郎を最年長として、おおむね団塊もしくはポスト団塊と言われる人々である。1995年の村山内閣による「不戦決議」という出来事を挿んで、これらの論者たちが「大東亜戦争」もしくは「太平洋戦争」もしくは「15年戦争」について語るというもの(この呼称自体がひとつの問題系をなすことは本書所収の松本健一の議論に詳しい)。玉石混淆の観がなきにしもあらずだが、山田風太郎の「戦中派の考える侵略発言」、佐藤貴彦の「太平洋戦争問題発言は封じられた正論である」、そして副島隆彦の「総ねじれの日本国内言論」は出色の論考と評価できる。とりわけ故・山田風太郎の言説は、戦中に生きた人間の真率な発言として傾聴に値する。星ひとつ減であるのは、「日本悪玉論」を無前提の金科玉条とする論説も見受けられることによるが、それとても今日の戦争観を如実に反映するもののひとつして収録に値するのかも知れない。左派か右派かという不毛な議論を乗り越えて、「あの戦争」を語ることの意味を問うた労作である。また巻末に収録された宮崎哲弥と小浜逸郎の対談は読み応えがある。この種の対談にありがちな安易な妥協を排して、双方ともに互いの立場を鮮明にしたうえで相互の違いをとことん究明しようとする態度は敬服に値する。それにしても宮崎氏のタフなこと。


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