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和書 499808 (136)



この人どんな人
販売元: 友人社

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この人を見よ!―不思議の国ニッポンを作ったキーパーソン
販売元: 大和書房

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この刺戟的な眼―草柳大蔵歴史対談集
販売元: ワイエス出版

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この国で戦争があった
販売元: PHP研究所

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この国のかたち (4)
販売元: 文芸春秋

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第四巻は92年から93年の2年間に書かれたもの。当時69歳から70歳である。

特筆すべきは、統帥権に関するまとまった論文と、
「日本人の二十世紀」と題した口述筆記である。
いずれも、昭和の戦争に対する司馬の見方を明確に示していて興味深い。

昭和の戦争は、

 ・ただ石油ほしさにアジア各国に進出した
 ・確かに戦った相手は植民地の宗主国だし、アジア諸国への領土的野心もなかった
 ・が、戦場となった国の民には甚大な被害を及ぼした侵略戦争であった
 ・植民地解放は目的ではなく結果であり、正当化する理由にも贖罪にもならない

と総括していて明快である。
司馬はついに昭和の戦争については小説を書かなかった。
その理由の一端がうかがえて興味深い論文である。




この国のかたち〈1(1986~1987)〉
販売元: 文藝春秋

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この国のかたち〈1〉 (文春文庫)
販売元: 文藝春秋

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文藝春秋誌の巻頭に、1987年から96年2月になくなるまで、
およそ10年に渡り、120本を書き続けた随想録である。

ただし単なる随想ではなく、
司馬生涯のテーマである「日本とは何か、日本人とは何か」についての考察であり、
司馬自身が苦手といっているように、
私生活や私事について述べたものではないから、
これをエッセイというのにはためらいがある。
が、論文というには、色艶が美しすぎる。
これも小説と同列に扱うべき堂々たる司馬作品なのだ、としかいいようがない。

第一巻でとくに興味深かったのは、若衆に関する論述である。
オトナと若衆の二元的社会構造が、
現在にいたるまで日本の社会の基本をなしている、という。
司馬史観のひとつのポイントとして押さえておきたい観点であった。




この国のかたち〈2(1988~1989)〉
販売元: 文藝春秋

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第二巻は88年から89年の約2年分を収録している。
当時司馬は65から66歳。

あとがきにこうある。
 
 「この国の習俗・慣習、あるいは思考や行動の基本的な型というものを
  大小となく煮詰め、もしエキスのようなものが取り出せるとすればと
  思い「かたち」を取り出しては大釜に入れているのである。選ぶこと
  と煮詰めることは私のしごとながら、もしよき読者を得るなら、そこ
  から本質的なものをとりだしてもらえるのではないか。」

取り上げられた話題は、教育や仕事や宗教、自然との関わりなど多岐に渡
り、一見とりとめもない。しかも、司馬によってきっちり煮詰められ、そ
れぞれが見事に味付けされているので、どれをとっても完成された美味な
る一品料理である。満足してしまう。
それだけに、これら完成された数々の一品料理から「日本のかたち」を読
者が自身が取り出すのは、相当な努力を要する。

この年齢にもなれば、司馬にはもう答えはわかっていたはずである。
それをあえてこういった形にして、読者に対する謎かけのような形にして、
私たちの前に「さあ、召し上がれ」と出してくれる。

この時期、司馬はもう小説を書くことをやめていたし、
話題的にも過去の作品と重なるところが多いため、
本シリーズは司馬小説の余禄もしくは解説といえなくもない。

が、筆者にはまた、司馬が自身の小説の読者に対して出した
宿題のような気もするのである。
いつかそれの答えがわかるまで、何度も読み直してみたい。




この国のかたち〈2〉 (文春文庫)
販売元: 文藝春秋

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第二巻は88年から89年の約2年分を収録している。
当時司馬は65から66歳。

あとがきにこうある。
 
 「この国の習俗・慣習、あるいは思考や行動の基本的な型というものを
  大小となく煮詰め、もしエキスのようなものが取り出せるとすればと
  思い「かたち」を取り出しては大釜に入れているのである。選ぶこと
  と煮詰めることは私のしごとながら、もしよき読者を得るなら、そこ
  から本質的なものをとりだしてもらえるのではないか。」

取り上げられた話題は、教育や仕事や宗教、自然との関わりなど多岐に渡
り、一見とりとめもない。しかも、司馬によってきっちり煮詰められ、そ
れぞれが見事に味付けされているので、どれをとっても完成された美味な
る一品料理である。満足してしまう。
それだけに、これら完成された数々の一品料理から「日本のかたち」を読
者が自身が取り出すのは、相当な努力を要する。

この年齢にもなれば、司馬にはもう答えはわかっていたはずである。
それをあえてこういった形にして、読者に対する謎かけのような形にして、
私たちの前に「さあ、召し上がれ」と出してくれる。

この時期、司馬はもう小説を書くことをやめていたし、
話題的にも過去の作品と重なるところが多いため、
本シリーズは司馬小説の余禄もしくは解説といえなくもない。

が、筆者にはまた、司馬が自身の小説の読者に対して出した
宿題のような気もするのである。
いつかそれの答えがわかるまで、何度も読み直してみたい。




この国のかたち〈3 1990~1991〉
販売元: 文藝春秋

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第3巻は1990年から91年に書かれたもの。司馬67歳から68歳ごろである。

4巻以降は「司馬史観」の総まとめともいうべき迫力に満ちた論文が多く出てくるが、
ここまではわりと穏やかに、折々に思いついたテーマを散文的に綴っている。
その興味はひろく、知識は該博をきわめていて、どの稿を読んでも面白いが、
あえて言えば朝鮮や中国との関係についての稿がいくつか目に留まった。

司馬には欧米諸国と日本の文化比較についてほとんど言及がない。
かわりに中国や朝鮮との比較については、数多くの考察がある。
それは長い歴史のなかで、日本はこの両国から、
常に巨大な文明の影響を受けて続けてきたからである。
仏教、鉄、稲作、陶器、文字。
明治維新の思想的原動力=尊王攘夷も無論、彼らからの輸入品だ。

逆に日本が中国、朝鮮に与えたものはなんだったか。
倭寇であり、秀吉の朝鮮出兵であり、日韓併合である。
儒教文明を築いた中国、その忠実なる属邦であった朝鮮。
彼らからみた日本という国は、何千年もの間、礼を知らぬ未開の野蛮な国であった。

このあたりの認識は、司馬史観というよりも一般的な歴史認識に属するが、
今日の両国への言及において、司馬を読むときの大前提である。

こんな一文がある。

 「晩年の秀吉の"病気"による禍害は、当時だけでなく、
  こんにちまで隣邦のうらみとして続いているのである。
  やりきれない思いがする。」p79

秀吉は晩年、パラノイアであったのではないか、と司馬は想像している。
ひとりの老人が、彼の国の人たちの日本嫌いの元凶であるとすれば、
たしかにやりきれない、というほかに言葉はない。


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