戻る

前ページ   次ページ

和書 499808 (137)



この国のかたち〈3〉 (文春文庫)
販売元: 文藝春秋

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

第3巻は1990年から91年に書かれたもの。司馬67歳から68歳ごろである。

4巻以降は「司馬史観」の総まとめともいうべき迫力に満ちた論文が多く出てくるが、
ここまではわりと穏やかに、折々に思いついたテーマを散文的に綴っている。
その興味はひろく、知識は該博をきわめていて、どの稿を読んでも面白いが、
あえて言えば朝鮮や中国との関係についての稿がいくつか目に留まった。

司馬には欧米諸国と日本の文化比較についてほとんど言及がない。
かわりに中国や朝鮮との比較については、数多くの考察がある。
それは長い歴史のなかで、日本はこの両国から、
常に巨大な文明の影響を受けて続けてきたからである。
仏教、鉄、稲作、陶器、文字。
明治維新の思想的原動力=尊王攘夷も無論、彼らからの輸入品だ。

逆に日本が中国、朝鮮に与えたものはなんだったか。
倭寇であり、秀吉の朝鮮出兵であり、日韓併合である。
儒教文明を築いた中国、その忠実なる属邦であった朝鮮。
彼らからみた日本という国は、何千年もの間、礼を知らぬ未開の野蛮な国であった。

このあたりの認識は、司馬史観というよりも一般的な歴史認識に属するが、
今日の両国への言及において、司馬を読むときの大前提である。

こんな一文がある。

 「晩年の秀吉の"病気"による禍害は、当時だけでなく、
  こんにちまで隣邦のうらみとして続いているのである。
  やりきれない思いがする。」p79

秀吉は晩年、パラノイアであったのではないか、と司馬は想像している。
ひとりの老人が、彼の国の人たちの日本嫌いの元凶であるとすれば、
たしかにやりきれない、というほかに言葉はない。




この国のかたち〈4〉 (文春文庫)
販売元: 文藝春秋

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

第四巻は92年から93年の2年間に書かれたもの。当時69歳から70歳である。

特筆すべきは、統帥権に関するまとまった論文と、
「日本人の二十世紀」と題した口述筆記である。
いずれも、昭和の戦争に対する司馬の見方を明確に示していて興味深い。

昭和の戦争は、

 ・ただ石油ほしさにアジア各国に進出した
 ・確かに戦った相手は植民地の宗主国だし、アジア諸国への領土的野心もなかった
 ・が、戦場となった国の民には甚大な被害を及ぼした侵略戦争であった
 ・植民地解放は目的ではなく結果であり、正当化する理由にも贖罪にもならない

と総括していて明快である。
司馬はついに昭和の戦争については小説を書かなかった。
その理由の一端がうかがえて興味深い論文である。




この国のかたち〈5〉 (文春文庫)
販売元: 文藝春秋

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

第5巻は、神道、宋学など、日本の歴史を貫いてきた宗教・思想にスポットをあてた随筆が中心。
でも私はむしろ、「鉄」の項を興味深く読みました。
古代から近代にかけて、この素材が日本の歴史にいかなる影響を及ぼしてきたのか、多角的に論じられています。いまでは何気なく使っている金属ですが、このような身近なものから日本の歴史を振り返る作業も、歴史の面白さといえましょう。
日本の歴史をさまざまな切り口で論じる司馬氏の引き出しの多さに舌を巻く思いがします。





この国のかたち〈5〉1994~1995
販売元: 文藝春秋

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






この国のかたち〈6〉 (文春文庫)
販売元: 文藝春秋

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

長年の連載も、著者の死によりついに絶筆。
奇しくも、未完となった章は「歴史のなかの海軍」。
「竜馬がゆく」「菜の花の沖」「坂の上の雲」など、明治維新の作品では必ず触れられてきた「海軍」には、司馬自身も相当な思い入れがあったと思うが、残念ながら絶筆となってしまいました。
司馬が残した功績は非常に大きなものがありますが、読者というのは欲張りなもの。適わぬ願いとはいえ、司馬の作品や歴史に対する考察をもっともっと読みたかった、と思ってしまう一冊です。




この国のかたち〈6〉1996
販売元: 文藝春秋

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






この国のことば
販売元: 平凡社

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






この国のすがたを歴史に読む
販売元: 大巧社

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






この国のゆくえ―殺される側からの現代史
販売元: 金曜日

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

 現代史を問う視点は何処におくか。政治家じゃあるまいし、官僚じゃあるまいし、日々生活の為に働き、終わりなき日常を生きているものにとって、右も左も本質的には関係ない筈ではないか。

 国を憂う気持ちは大いに結構だ。外圧? 冗談じゃねぇという気持ちも判る。
では、北のかの国の役人が、「喰えなくても、国がなくなったらもともこうもない。だから、核武装を誇る。外圧に負けない国を誇る」という話をしているが、その辺り「どうよ?」。

 理解できるか。理解できない人が圧倒的に多いのではないか。いや、理解したくないだろう。北だから? 外国だから? そうではなく、本質的にこの手の意見は拒否したいという気持ちにならないだろうか。こういう「考え=平和論」も「戦後レジームの弊害」なのか。イケていないのか。平和ボケなのか。

 翻って、この国の政治家がいう「戦後レジームからの脱却」って、「どうよ?」。
そんなことを考えたい人に是非お勧めなのが本書である。本書の中にある「現代史の示唆」は、この国の「普遍」を問うのに十分であろう。「レジーム以前の問題」がそこにはあるのだ。




この国の生いたち―あなたは「天皇」の起源を知っていますか?
販売元: PHP研究所

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)




前ページ   次ページ

戻る

仮想世界 - シューティング/レース/電車ゲーム フライトシミュレータ