和書 499808 (155)
たっぷり風林火山歴史ウォーキング―信玄ゆかりの甲斐・信濃を行く
販売元: 水曜社
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地図が大きくて見やすいのがいいですね。
先日家族で旅行に行ったのですが、
山梨のガイドブックは歴史の話がほとんどないので、
この本はとても参考になりました。
今度はこの一冊をもって長野に行ってきます。
イラストもかわいいですよ。
「たとえ話」の効用―法華経の読み方
販売元: 産業能率大学出版部
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たべものの名前のひみつ (名前のはじまり探検隊)
販売元: 岩崎書店
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たべもの歴史散策
販売元: 時事通信社
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たべもの江戸史 (河出文庫)
販売元: 河出書房新社
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「たら」「れば」で読み直す日本近代史―戦争史の試み
販売元: 講談社
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たいそう有益な本ではあるが、ひとこと苦言を呈するならば、支那事変以降の日本政府と日本軍首腦に対する批判がいささか感情的で見苦しく、この本の価値を落としている。
枚数の都合もあるのだろうが、戦史の描写も米国の太平洋戦争史観に基づいた一方的なものと見受けられる。筆者は元自衛隊員だそうだが、自衛隊ではこんな歴史教育をほどこしているのだろうか。
だから歴史は面白い―谷沢永一対談集
販売元: 潮出版社
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著名人九名との歴史談義。谷沢が309Pにある「事前の用意」の成果として、対談相手それぞれの個性をよく引き出している。渡部昇一は、昭和天皇が敗戦の際に退位せずに、国民に断絶感を生じさせなかったことや、巡幸の車中ではトンネル以外では食事をしなかったことを賛辞する。中国・韓国に気兼ねする政治家・マスコミは言えないことだけに、渡部の毅然とした態度が光る。
堺屋太一の歴史評価の中立的、極めて公平な視点には感心。歴史に学ぼうとするビジネスマンを常に意識している会田雄次の語り口は、わかり易くて嬉しい。津本陽はまるで役者不足。谷沢も興醒め気味。「下天は夢か」など推して知るべし。司馬遼太郎はおつきあい、といったところ。
86Pで谷沢が語る。明治初年に小学校ができた頃、建物がないので神社を借りた。教科書がなく、神主さんが知っているのは祝詞だけなのでそれを教えたそうな。谷沢曰く「それでいいんですよ。子供が定時に集まってきて、一緒に何かを勉強することに意義があるのであって、・・・」。昨近ゆとりの教育の失敗が叫ばれているが、歴史に学ぶ姿勢を持って、今一度教育の意義を問い直してみては如何でしょうか。
だまされるな東北人―『東日流外三郡誌』をめぐって
販売元: 本の森
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2000年、これも東北地方で旧石器発掘捏造事件が発覚しました。
でもこれは起こるべくして起こったのではないかとわたしには思
えます。どう見ても大嘘としか言いようのない古文書をさも本物
として扱う学者たちの様は滑稽というより哀れといえます。
センセーショナルなところはなく、静かに語られていますがそれ
が問題点を浮きぼりにしています。
だれが中国をつくったか 負け惜しみの歴史観 (PHP新書)
販売元: PHP研究所
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あとがきにもあるように、「だれが中国をつくったか」といえば
それは司馬遷以来の歴史家たちなのであって、彼らの手で
「正統」という儒教的観念に基づく歴史叙述法が規定されて以来、
中国人の歴史意識はそこから出られなくなってしまい、
現実を糊塗して理念を先行させる歪んだ傾向を生み出した、
というのが本書の主張である。
上に述べた内容は、著者の他の著作でも繰り返されているし、
5章までは、歴代の正史に現実を捻じ曲げた虚構がいかに多く含まれているか、
という同じパターンの告発ばかりが続くので、やや、単調に感じられた。
また、本書の主張自体には必ずしも直接関係がないような
個々の歴史家についての伝記的事実が、妙に詳しく語られている部分も多く、
単に紙数を埋めるためでは? という気がしないでもなかった。
最後の章に登場する、清の乾隆帝時代の『欽定外藩蒙古回部王公表伝』が、
満洲語に堪能な漢人官僚の手で書かれたものであり、
このたぐいまれな歴史書が、満洲語の文書を基礎としているために、
例外的に筋が通った歴史的記述をなしえた、という事実は興味深いが、
ここでも編纂者である祁韻士の伝記的事実ばかりが淡々と綴られ、
『欽定〜』の中身がこれまでの歴史書とは具体的にどう違うのか、
という点についてはほとんど触れられておらず、物足りなさを感じた。
異民族王朝である清朝のもとで初めて、「中華思想」から相対的に自由な歴史叙述が
可能になったという主張は頷けるが、どうせなら近代以降の変遷にも触れて欲しかった。
著者の論法で行くなら、14世紀に『神皇正統記』が書かれているから、
日本人は現代にいたるまで皇国史観から解き放たれていない、
と主張することもまた、可能になってしまうような気がする。
だれにでもわかる伊勢の斎王
販売元: 神道国際学会
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