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和書 500834 (167)



生と死のはざまで
販売元: 保健同人社

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生と死の振り子―生命倫理とは何か
販売元: 日本評論社

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生と死の様式―脳死時代を迎える日本人の死生観
販売元: 誠信書房

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生と死の倫理―伝統的倫理の崩壊
販売元: 昭和堂

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P248-249
重度の障害をもった人間の乳児と、たとえばイヌやブタなどの人間以外の動物とを比較した場合、合理性、自己意識、コミュニケーションなど道徳的に重要だと考えることのできるもに関して言えば、人間以外の動物のほうが現実的にも潜在的にもすぐれた能力をもっていることに私たちはしばしば気づくべきだろう。

 論理の展開に間違いはない。ある論者は、功利的考察であるならば、その功利性について具体的に定量化すべきではないかと述べているが、それは量的快楽主義の観点であり、上記のような場合に、実践可能かを考察していない。むしろ、この見解は厚生経済学的基礎に基づく、思考実験的仮定と措定したほうがわかりやすい。
 さて、この論述に対しどのような反駁が可能か。敢えて述べるなら、上記の言説を効用関数として、一般解としては正しいが、私は、人間の効用(人間の神聖性)を最大限にする座標に立つ特殊解を採用するとしか言いようがない。進化論的に最上位に達した種としての横暴性により、シンガーの新しい倫理を認めないとするしかないのでないか。
 批判は充分に受け止めよう。しかし、私はこれ以上の反論を思いつかない。




生と死の倫理学―よく生きるためのバイオエシックス入門
販売元: ナカニシヤ出版

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生の尊厳―日米欧の医療倫理
販売元: 思文閣出版

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講演集 聖ヨハネホスピスのめざすもの―安らぎの中で生きるために
販売元: 星和書店

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聖ヨハネホスピスの友人たち
販売元: 講談社

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精解 衛生法規―保健・医療・栄養関係者のための
販売元: 第一出版

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私の臓器はだれのものですか
販売元: 日本放送出版協会

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 本書は、臓器移植に関する日本の宗教界の発言を、欧米、特にアメリカと比較してまとめたものである。

 米国では植民地時代から宗教界が社会で指導的な役割を果たしており、社会問題に対しても積極的に発言してきたが、脳死移植に関しては消極的である(基本的には賛成)。その背景には、アメリカは自由を尊重する国であり、自分の生死は自分で自由に考え決定するのが当然の権利で、死後、自分の臓器を他人に提供するか否かは自分が決めるべき、という考えがある。一方、日本の宗教界は社会問題に関する発言を殆どしてこなかったが、脳死による臓器移植については積極的に発言している。それは、脳死が人間の「生命」の問題と密接に関わるからである。(日本の宗教界の発言は6割が反対)

 現在、臓器移植法の改正案が注目を集めている。1997年の臓器移植法では、脳死は人の死か、という問に答えを出さずに「自己決定の原則(生前に本人が許諾した場合に限り移植を認める)」を拠り所にしている。改正案では本人の同意が無くとも家族の同意で脳死からの臓器移植が可能になり、自己決定の原則を覆す、と言われている。しかし、ヨーロッパでは本人の意思表示が無い場合は臓器提供を認めたものとみなす国が多いし(沈黙の同意)、1991年のWHOの「臓器移植に関する指導指針」でも“本人の意思が最優先で不明の場合は遺族の意思による”となっている。

 脳死による臓器移植の主な反対意見に臓器売買がある。この懸念には大賛成だが、日本人の潔癖症から、有益な事に付随して生じる望ましくない状況を避けるために、有益な事そのものを止めてしまっていないか?脳死による臓器移植の意義をきちんと議論した結果、価値があるのなら、当初の狙いが、正しく、公平に実施される手続き・ルールを決めるべきと思う。そして、その過程では、純医学的な見地のみならず日本人の宗教観も考慮されることが重要である。


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