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和書 507508 (69)



ゴミと化学物質 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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廃棄物学会の権威である酒井博士の著作である。90年代の廃棄物管理の現状が概観できた。ゴミの種類からその有害性の考え方が論じられたあと、残留性有機汚染物質・シュレッダーダストなどの廃棄物管理の現状、今後の提言などが纏められていた。廃棄物問題を適正に対処していく方法は、有害化学物質の1)廃棄抑制、2)リサイクル、3)適正処理であり、それを踏まえた「化学物質をコントロールする枠組み」が必須であることを確認できた。また廃棄物問題の遠因として「人口増大と物質消費を前提としたライフスタイル」があるとした著者主張に同意できた。




産業廃棄物 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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酸性雨 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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酸性雨のことは、報道などで見聞きしていましたが、欧州でこんなに進んでいるとは知りませんでした。
またブロンズ像がまだらになっているのは普通の現象だと思っていました、昔はまだらではなかったのですね。
この本が書かれた時よりは、状況は良くなっているのでしょうか。




自然保護という思想 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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証言水俣病 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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患者たちの生きた言葉が、これでもかとばかりに胸に突き刺さる。高度経済成長と呼ばれた時代に置いて、その負の面を背負わされながらも、ありのままで生きていこうとする人々。チッソをうらまず、また単なる犠牲者としてではなく「人間として生きる」ことを追い求めている人たちの姿がこの本にはある。20世紀の日本とは何であったかを振り返るのにも、この本は最適であろう。
 また編者の栗原彬氏のもつ「やさしさ」が、この本の下敷きとなっている。彼の水俣患者に対するまなざしが患者達をここまで語らせたといっても過言ではない。
 とにかく偏見無しで一読あれ。確実に胸を揺さぶられる。




世界森林報告 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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 世に「鬼の霍乱」という言葉があるが、本書のプロローグは「森の攪乱」という小見出しから始まる。激変した地球環境を静かに憂える筆頭人のような著者の、押し殺した呻きが聞こえてくる。これまで40年間、90回余り世界の森を歩き、生態学的な調査をした報告なのだが、そこで身に沁みた言葉・願いを読み落とさないようにすべきであろう。  
 
 消えてゆく原生林、大開発の代償…自らが被害をこうむるまでは、まじめに危険性を訴える人々の意見を無視するという傾向がある。そのための代価があまりにも大きいことは、歴史が証明しているにもかかわらず、同じ過ちを繰り返してしまうのは、人類の性なのであろうか。

 枯葉作戦…地球生態系にとって許すことのできない犯罪であった。しかし、ベトナムの人は寛容である。アメリカに対して交渉はしていくが、基本的な処置は自分たちでやっていくしかないと、静かに、しかしきっぱりという。
  
 インドネシアの森は、ひどい状況にある。30年前ならばいくらでも見られた美しい森が、今では無残な後を残すのみとなっている。そんな中に新しいエコーツーリストを開く道はあるのだろうか。
 
 森の伐採が進むにつれ、そこに住む人の生活と文化が危機に瀕しているとされ、多くの運動が起こってきた時期と、私が世界の森を歩いてきた時期とちょうど重なる。森に住む人は貧しく、かつ純朴な人が多い。かれらの訴えは、私だけでなく世界を揺り動かした。




ダイオキシン (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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ダイオキシンについて知るには必読書といってよい。
ただし、ダイオキシン類とは、3種類の化合物群のことで、222種類もの異性体が存在するが、調査結果のデータがPCDD,PCDF,Co-PCBなどすべてが統一して記載されているわけではなく、実際に読むと、データの詳細について、もっと知りたいと思うことが多いと思う。

ダイオキシン類の調査費用はとても高価なので、データが制約されるのは、しかたがないのであろう。




ダムと日本 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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長野県の田中康夫知事が「脱・ダム宣言」を出して議論をよんだのは記憶に新しい。欧米先進国ではすでにダム開発に終わりを告げた。アメリカではダムの撤去すら行われている。一方、日本でもダムによる治水から少しずつではあるが転換しつつある。このような変化は、本書の著者である天野礼子氏の力によるところが大きい。彼女は日本の河川行政を批判し、方針を転換させようと長良川河口堰問題をベースに活動してきた。本書で彼女は自身の活動を紹介しているが、それを読むと、著者の奮闘ぶりと熱意が伝わってくる。本書はまさに天野さんの自伝ともいえるものである。川辺川ダムや諌早湾干拓の問題がマスコミにも大きく取り上げられている。このような状況の中、ダムや川の問題について考えたい、そう思ったときはぜひ本書を手にとって欲しい。




チェルノブイリ―アメリカ人医師の体験〈上〉 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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 この本は、チェルノブイリ原発事故(1986年4月26日)の直後、自ら進んで、ソ連での被爆者医療に関わったアメリカの医師、ロバート・ゲイル博士が、当時の体験を回顧した、貴重な回想の一書である。ゲイル博士は、1945年、広島と長崎に原爆が投下された年に生まれた。そして、ニューヨークで育った後、一度は、原子核物理学者への道を志すが、医学の道に進み、白血病をはじめとする血液疾患治療の第一人者と成った医師である。ゲイル博士は、骨髄移植の第一人者であった為に、チェルノブイリ原発事故の際、現地で、被曝した人々の治療に従事したが、その際、以前から知己の有ったアーマンド・ハマー氏の協力を得てソ連に向かふ。こうした経緯から、ゲイル博士は、結果的に、チェルノブイリ原発事故での医療活動を通じて、米ソ関係の裏側をも垣間見ると言ふ、稀有な体験をする事と成った。更には、ソ連とイスラエルの関係改善の切っ掛けを作る事にも、結果的に、一役買ふのであるが、そうした事からも、この本は、現代史の貴重な証言の書と成って居る。しかし、この本を読んで、何よりも打たれることは、矢張り、ゲイル博士の医師としての真摯な情熱と、その深い教養に裏打ちされた、内省の言葉の数々である。--その上巻は、核兵器と原子力発電の歴史の回顧に始まり、チェルノブイリ原発事故が起きた際、自身がニュースを聞いて、被爆した人々の治療に役立ちたいと思った事の回想から、以前から知己の有ったハマー氏を通じて、ソ連に行く事と成った経緯、それから、ソ連に向かい、現地で、ソ連の医師と被爆した患者に出会った際の事柄などの回想へと進む。そして、ゴルバチョフ書記長(当時)との会見の回想なども語られるが、何と言っても、チェルノブイリ原発事故直後の被爆者の状況とそれらの被爆者の医療に当たるソ連の医師たちの様子、それに参加したゲイル博士自身の体験等の記述は、当事者であり、そして、放射線障害の治療の第一人者であるゲイル博士の回想であるだけに、生々しく、貴重極まり無い物である。又、この上巻の冒頭には、ゲイル博士が、日本語版の為に、特に書いた序文が有る。その中で、ゲイル博士は、こう書いて居る。--「なにはともあれ、私たちが決して忘れてはならないことは、1945年の終戦直前になにが起きたかということだ。私は、広島の原爆慰霊碑の写真を手にして、原子力、原子力にまつわる事故、そして核戦争について講演することがよくある。その慰霊碑には、『安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから』と刻まれている。そうした世界の実現こそ、私たち人類のすべてが望み、そして祈っていることなのだ。」--本書を全ての日本人に推薦する。

(西岡昌紀・内科医/広島に原爆が投下された日から60年目の日に)




チェルノブイリ―アメリカ人医師の体験〈下〉 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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 チェルノブイリ原発事故の際、被爆した人々の治療を行なったアメリカの医師、ロバート・ゲイル博士の回想の後半である。--この下巻では、ゲイル博士が自身の人生を回顧する事から始まり、続いて、ソ連での医療活動の後、ワシントンで、当時のシュルツ国務長官に会った事、再び訪れたソ連で、患者の一人、バルシニャンの死を知り、その解剖に立ち会った事など、が語られて行く。そして、更には、ソ連からのユダヤ人出国問題などに関わりを持つ事に成った事までをも語りながら、自分は、医者として何が出来たのか?人類は、原子力発電をどうするべきなのか?と言った問題にまで、著者の回想と思索は及んで行く。--ゲイル博士は、原子力発電その物は否定しない。だが、「核廃棄物についての問題が解決されるまで、原子力発電所の建設は以後中止すべきである。」(187ページ)と述べ、原子力発電の更なる推進には、反対する。こうした立場を取るゲイル博士であるが、チェルノブイリ事故直後に、自身がソ連で行なった医療活動を省みて、「医者として何ができたのか?」と自問する博士の態度は、真摯であり、哲学的ですらある。--「宗教的」と呼びたく成る程、その自問の姿勢は深い。--この本は、様々な視点から読む事が可能である。チェルノブイリ原発事故(1986年)と言ふ、20世紀の歴史の一大事件を当事者の一人が回想した記録である事は勿論であるが、一人の医師が、自身の人生の一部を思ひ起こす為に書いた本として読む事も、チェルノブイリ原発事故の陰で同時進行して居た、米ソ関係の一断面に関する資料として読む事も、或いは、災害医療についての一つの教訓として読む事も可能である。そうした様々な視点から読まれる事が可能なこの本が、広島と長崎の体験の風化に直面する我が国において、永く読まれ、更なる読者を得る事を、私は願ふ。

(西岡昌紀・内科医/広島に原爆が投下された日から60年目の日に)


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