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和書 508066 (20)



この一冊で「戦国武将」101人がわかる! (知的生きかた文庫)
販売元: 三笠書房

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この一冊で「戦国武将」101人がわかる!―ひとり3分!すぐ読める「エピソード」集 (知的生きかた文庫)
販売元: 三笠書房

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 有名な戦国武将から、暗愚とまで言われた今川氏真まで。戦国黎明期から関が原の戦いまでに活躍した各武将達のエピソードが簡単にまとめられて大変読みやすい本。一人3分とあるが、多分3分もかからないで読めるでしょう。各武将における著者の見方も書かれているところがあり、結構参考になる本かと思います。電車などで読めばいいでょう。ただ、いささか情報が少ないところは難点です。




この国のかたち〈1〉 (文春文庫)
販売元: 文藝春秋

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文藝春秋誌の巻頭に、1987年から96年2月になくなるまで、
およそ10年に渡り、120本を書き続けた随想録である。

ただし単なる随想ではなく、
司馬生涯のテーマである「日本とは何か、日本人とは何か」についての考察であり、
司馬自身が苦手といっているように、
私生活や私事について述べたものではないから、
これをエッセイというのにはためらいがある。
が、論文というには、色艶が美しすぎる。
これも小説と同列に扱うべき堂々たる司馬作品なのだ、としかいいようがない。

第一巻でとくに興味深かったのは、若衆に関する論述である。
オトナと若衆の二元的社会構造が、
現在にいたるまで日本の社会の基本をなしている、という。
司馬史観のひとつのポイントとして押さえておきたい観点であった。




この国のかたち〈2〉 (文春文庫)
販売元: 文藝春秋

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第二巻は88年から89年の約2年分を収録している。
当時司馬は65から66歳。

あとがきにこうある。
 
 「この国の習俗・慣習、あるいは思考や行動の基本的な型というものを
  大小となく煮詰め、もしエキスのようなものが取り出せるとすればと
  思い「かたち」を取り出しては大釜に入れているのである。選ぶこと
  と煮詰めることは私のしごとながら、もしよき読者を得るなら、そこ
  から本質的なものをとりだしてもらえるのではないか。」

取り上げられた話題は、教育や仕事や宗教、自然との関わりなど多岐に渡
り、一見とりとめもない。しかも、司馬によってきっちり煮詰められ、そ
れぞれが見事に味付けされているので、どれをとっても完成された美味な
る一品料理である。満足してしまう。
それだけに、これら完成された数々の一品料理から「日本のかたち」を読
者が自身が取り出すのは、相当な努力を要する。

この年齢にもなれば、司馬にはもう答えはわかっていたはずである。
それをあえてこういった形にして、読者に対する謎かけのような形にして、
私たちの前に「さあ、召し上がれ」と出してくれる。

この時期、司馬はもう小説を書くことをやめていたし、
話題的にも過去の作品と重なるところが多いため、
本シリーズは司馬小説の余禄もしくは解説といえなくもない。

が、筆者にはまた、司馬が自身の小説の読者に対して出した
宿題のような気もするのである。
いつかそれの答えがわかるまで、何度も読み直してみたい。




この国のかたち〈3〉 (文春文庫)
販売元: 文藝春秋

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第3巻は1990年から91年に書かれたもの。司馬67歳から68歳ごろである。

4巻以降は「司馬史観」の総まとめともいうべき迫力に満ちた論文が多く出てくるが、
ここまではわりと穏やかに、折々に思いついたテーマを散文的に綴っている。
その興味はひろく、知識は該博をきわめていて、どの稿を読んでも面白いが、
あえて言えば朝鮮や中国との関係についての稿がいくつか目に留まった。

司馬には欧米諸国と日本の文化比較についてほとんど言及がない。
かわりに中国や朝鮮との比較については、数多くの考察がある。
それは長い歴史のなかで、日本はこの両国から、
常に巨大な文明の影響を受けて続けてきたからである。
仏教、鉄、稲作、陶器、文字。
明治維新の思想的原動力=尊王攘夷も無論、彼らからの輸入品だ。

逆に日本が中国、朝鮮に与えたものはなんだったか。
倭寇であり、秀吉の朝鮮出兵であり、日韓併合である。
儒教文明を築いた中国、その忠実なる属邦であった朝鮮。
彼らからみた日本という国は、何千年もの間、礼を知らぬ未開の野蛮な国であった。

このあたりの認識は、司馬史観というよりも一般的な歴史認識に属するが、
今日の両国への言及において、司馬を読むときの大前提である。

こんな一文がある。

 「晩年の秀吉の"病気"による禍害は、当時だけでなく、
  こんにちまで隣邦のうらみとして続いているのである。
  やりきれない思いがする。」p79

秀吉は晩年、パラノイアであったのではないか、と司馬は想像している。
ひとりの老人が、彼の国の人たちの日本嫌いの元凶であるとすれば、
たしかにやりきれない、というほかに言葉はない。




この国のかたち〈4〉 (文春文庫)
販売元: 文藝春秋

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第四巻は92年から93年の2年間に書かれたもの。当時69歳から70歳である。

特筆すべきは、統帥権に関するまとまった論文と、
「日本人の二十世紀」と題した口述筆記である。
いずれも、昭和の戦争に対する司馬の見方を明確に示していて興味深い。

昭和の戦争は、

 ・ただ石油ほしさにアジア各国に進出した
 ・確かに戦った相手は植民地の宗主国だし、アジア諸国への領土的野心もなかった
 ・が、戦場となった国の民には甚大な被害を及ぼした侵略戦争であった
 ・植民地解放は目的ではなく結果であり、正当化する理由にも贖罪にもならない

と総括していて明快である。
司馬はついに昭和の戦争については小説を書かなかった。
その理由の一端がうかがえて興味深い論文である。




この国のかたち〈5〉 (文春文庫)
販売元: 文藝春秋

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第5巻は、神道、宋学など、日本の歴史を貫いてきた宗教・思想にスポットをあてた随筆が中心。
でも私はむしろ、「鉄」の項を興味深く読みました。
古代から近代にかけて、この素材が日本の歴史にいかなる影響を及ぼしてきたのか、多角的に論じられています。いまでは何気なく使っている金属ですが、このような身近なものから日本の歴史を振り返る作業も、歴史の面白さといえましょう。
日本の歴史をさまざまな切り口で論じる司馬氏の引き出しの多さに舌を巻く思いがします。





この国のかたち〈6〉 (文春文庫)
販売元: 文藝春秋

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長年の連載も、著者の死によりついに絶筆。
奇しくも、未完となった章は「歴史のなかの海軍」。
「竜馬がゆく」「菜の花の沖」「坂の上の雲」など、明治維新の作品では必ず触れられてきた「海軍」には、司馬自身も相当な思い入れがあったと思うが、残念ながら絶筆となってしまいました。
司馬が残した功績は非常に大きなものがありますが、読者というのは欲張りなもの。適わぬ願いとはいえ、司馬の作品や歴史に対する考察をもっともっと読みたかった、と思ってしまう一冊です。




この子を残して (アルバ文庫)
販売元: サンパウロ

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 著者の永井博士は、長崎大学で放射線医学の研究を専門に行っていて、慢性骨髄性白血病を発病し、余命3年と診断されたそうです。そんな時にあの原子爆弾が落ちてきました。1945年8月9日のことです。 自分が亡き後の子供のことを頼んでおいた奥さんは、バケツの中の軽い骨となって家の焼け跡から拾わねばならなかったそうです。(たまたま子供たちは三日前から疎開していて無事だった。)
 博士は原爆による急性原子病も加わり、急速に病が進行していきました。それでも、博士は一生懸命生きました。自らの体(原子爆弾症)を研究材料に選び、数多くの負傷者の救護に当たりましたが、ついに2ヵ月後危篤に陥ります。なんとか回復するものの無理がたたり被爆から約1年後の1946年7月に長崎駅で倒れ以来寝たきりになってしまいました。      博士の体は脾臓が途方もなく大きくなり、少しでも衝撃を与えると破裂してしまい、内出血して死んでしまうため、幼い子供たちは博士に甘えたいのも我慢してたそうです。 博士は一分一秒でも死期を遅らせ子供たちが孤児になってしまうのを先に延ばしてあげようと必死に生きました。 奥さんが健在ならば、子供たちも母親に甘えることも出来ただろうにと思うと切なくなります。 博士は結局1951年5月に亡くなってしまいます。 まだ43歳の若さでした。 戦争がなければ、長崎に原子爆弾が落とされてなければ、博士はその後も研究を続け放射線医学の第一人者になってたかもしれません。 残念でなりません。 核実験のニュースが聞かれる昨今ですが、このような思いは誰もしたくないはずです。 世界平和について考えさせられる作品です。 皆さんもぜひ一生に一度はこの作品に触れてください。




ごめんあそばせ独断日本史 (中公文庫)
販売元: 中央公論社

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