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和書 508066 (364)



ローマ人の物語〈14〉パクス・ロマーナ(上) (新潮文庫)
販売元: 新潮社

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 カエサルの政治構想力に基づき広大な欧州の地にばら撒かれたパーツを、ローマ帝国として組み上げる仕事を残されたオクタヴィアヌス。同じ帝政を目指しながら、なぜカエサルは暗殺され、オクタヴィアヌスは皇帝となれたのか。この疑問はかなり興味深い。
 カエサルは、同時代に生きた政治家と比較して、明らかに飛びぬけた能力を持っていた。軍隊を率いさせればガリアを平定し、弁舌は兵士を魅了し元老院議員を沈黙させる。その政治的センスが際立っていたことは、反抗的だったガリアを属州の優等生と呼ばれるまでにした統治政策からも明らかだと思う。だが、後世から見れば明らかな事実も、同じ時代を生きている人間から見ればそうとは限らない。まして元老院議員から見ればカエサルは同輩でしかないのだから、一人カエサルが人気絶頂にあれば嫉妬の炎を燃やしもするだろう。しかし、おそらく彼はこの嫉妬が理解できなかったのだと思う。だから、統治すべき民衆に対しては細心の心配りができたのに、同輩の自尊心を満足させる策を打たなかった。カエサルは生まれながらの支配者だったがゆえに暗殺されたのではないか。
 一方、オクタヴィアヌスは元老院議員を嫉妬させることが無かったのだと思う。何しろ彼は、軍隊を指揮すれば必ず負け、演説をすればやり込められるような存在だったのだから。ただ、オクタヴィアヌスは自分が天才ではないことを知っていた。きらめくような人をひきつける魅力は無かったかもしれないが、人を利用することは知っていた。だから、元老院を自分の支配構造の中に取り込み、飼いならしていったのだと思う。権威と権力に酔う人間には夢を見させておけばよい。オクタヴィアヌスは元老院に共和制の夢を見させ続けることに成功した。
 このように考えると、現代日本で強力なリーダーが生まれづらい理由が分かるような気がする。カエサルとオクタヴィアヌスのように、政治的な意味で”幸せな結婚”が生まれる環境が作れれば良いのだが…




ローマ人の物語〈15〉パクス・ロマーナ(中) (新潮文庫)
販売元: 新潮社

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いよいよアウグストゥスがローマの平和を実現させるべく、
ローマ全土のリストラとインフラ整備に乗り出す激動史。

といっても内政事業が大半を占めているので、
父カエサルのような劇的なドラマトゥルギー性はない。
しかし、内部を固めると言うことはこう言うことなのだなと思わずにはいられない、
深謀遠慮の極みの成せる業。

ローマ帝国初代皇帝の基礎固めから発展への道のりはかくも地味であるが、
地味なだけに組織運営の最も良い参考書。

徳川家康など目ではない。





ローマ人の物語〈16〉パクス・ロマーナ(下) (新潮文庫)
販売元: 新潮社

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アウグストゥスの晩年を描く下巻。
冷静かつ巧妙に帝政への手を打ち続けていた青・壮年期と比較して、失政(というほどの失敗でもないが若いころのアウグストゥスの周到さからみれば粗が目立つ)や一族の不祥事が続き、そのことが却ってアウグストゥスの人間らしさを気づかせてくれているような印象を受けました。人間誰しも歳をとると弱気になり、身内を可愛く思うようになるのでしょうが、身内の不祥事にはことのほか心を痛めたのではないでしょうか。
「アウグストゥスが…確立に努めた帝政とは、効率よく機能する世界国家の実現であった」と塩野氏は述べていますが、カエサルにしろアウグストゥスにしろ、私欲というものを全く感じさせず、適確な国家観とそれを実現するグランドデザインをもっていったという2点において、極めて有能な政治家であったと思います。
2000年経った現代でも学ぶことの多い時代であり、それを分かりやすく読みやすく紹介する塩野氏の功績は評価されてしかるべきと思います。




ローマ人の物語〈17〉悪名高き皇帝たち(1) (新潮文庫)
販売元: 新潮社

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カエサル、アウグスストゥスの後を引き継いで最高権力者の地位についたティベリウス。彼にはアウグストゥスが打ち建てた事実上の帝政の確固たるシステム化(誰が皇帝になっても運営できる体制づくり)という使命がありました。しかも、神君となったアウグストゥスが成果を明確にしなかったゲルマン侵攻の決着という難題も残ります。
アウグストゥスの血を引く養子ゲルマニクスを担ぐ一派や政治的な能力を失ったレベルの低い元老院。何かと先帝アウグストゥスと比較するローマ市民。こうした難しい環境下でティベリウスはストイックに政治・外交に取り組み、課題を解決していきます。
第2代皇帝として自身に与えられた(アウグストゥスに細かく指示された訳でもないのに)使命を正確に理解して冷徹に仕事を進め、人柄としても面白みに欠けるうえ、人気取りの施策を行わなかったゆえ、市民には不人気だった(死にあたっては「遺体をテベレ河に捨てよ」の声まで出た)ティベリウスを、塩野氏はかなり好意的に描いています。読む側にとっても「帝政とパックスロマーナを確固たるものにした賢帝」というイメージを強く持ち、タイトルとのギャップが印象的です。
そもそもこのタイトル、塩野氏によると反語的なもので、「悪帝と断罪されてきたけどホント?」という意味だそうです。歴史的に評価されていないティベリウスからネロまで4人の皇帝が塩野氏の視点によってどう描かれるのか楽しみです。





ローマ人の物語〈18〉悪名高き皇帝たち(2) (新潮文庫)
販売元: 新潮社

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「カエサルが企画しアウグストゥスが構築した」帝政を確固たるものにしたティベリウス。その死後、皇帝の地位を引き継いだカリグラは、後世、愚帝と評されますが、決して賢くなかった訳ではなく、ティベリウス(とその施策)の不人気の理由を正確に理解し、その反対の(つまり人気を得るための)施策を次々と行います。そして幸か不幸か、それを実現するだけの安定した国家体制と健全な国家財政が残されていました。
廃税、剣闘士試合、戦車競争、海上を馬で渡るというパフォーマンス。財政は破綻し、神君アウグストゥスが使った家具調度品まで競りにかける始末。さらにカリグラは暴走し、先帝たちも望まなかった「神」になることを求めます。そして、暗殺。
「政治とは何かがわかっていない若者が政治をせざるを得ない立場に就いてしまった」不幸。
皇帝就任にあたってゲルマニクスの子供というだけで手放しで喜んだ市民、何の実績もない若者に軍事・政治の全権と「国家の父」の称号まで与えた元老院。彼らはたった2年で手のひらを返すようにカリグラを見放します。カリグラ自身が行った政治のポピュリズムと彼をもてはやした衆愚政治。現代日本にも十分あてはまる示唆を与えてくれているように思います。
ちなみに、本書後半で触れられているユダヤ社会とローマ、ギリシャとの関係についての考察は、ユダヤの特性を理解するのに大変役に立ちます。




ローマ人の物語〈19〉悪名高き皇帝たち(3) (新潮文庫)
販売元: 新潮社

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カリグラの暴挙に呆れ暗殺した近衛軍によって次期皇帝に担がれたのは、市民の人気未だ衰えない亡きゲルマニクスの弟、クラウディウス。本人ですらも予期しなかった皇帝への就任、しかも、政治の世界に身を置かずに50歳まで歴史家として暮らしてきた経緯を考えれば、本書で描かれるクラウディウスの治世はなかなかにして順調で決して悪政というほどのものではありません。
しかしながら、クラウディウスにはある一面で致命的な欠陥がありました。それは家族(特に妻)や市民から畏敬の念をもってもらえないこと、しかも、皇帝になるまでにそのような経験がないだけにそのこと(皇帝という立場には畏敬をもってもらうことが重要であったこと)に無頓着だったことでした。結局、そのことが彼の人生に悲しくも滑稽な最期をもたらしてしまいます。
それにしても、広大なローマ帝国を治める事実上の「皇帝」に求められる能力・人間性のレベルは余りにも高く、この時期の皇帝たちが(確かに悪政であったり、人間的に問題があったにしても)後世からの評価が低いのはやむをえないような気がして、クラウディウスに少し同情してしまいました。





ローマ人の物語〈20〉悪名高き皇帝たち(4) (新潮文庫)
販売元: 新潮社

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世界史オンチの私は、「ネロ=暴君」ということしか知識がなく、ネロがどのような政治を行ったかのごく一般的な教養すらももっておりませんでした。そのため、ネロが描かれるこの巻はある意味楽しみにしていたのですが、塩野氏が描くネロは(確かにわがままではあったにしても)単なる暴君ではなく、どこか憎めない人物として描かれます。
オリンピックを開催したり、自ら歌手として市民の前で歌ったり…と、やりたい放題。更に、母殺しに妻殺し、有能な将軍たちの理不尽な処分(自死命令)、キリスト教徒の処刑などなど…確かに書き連ねれば乱暴なことばかり。
それでも悪意に満ちた政治という訳でなく、就任後5年は善政であったと古代の史家も評価する皇帝であったことが分かります。塩野氏もどこか哀れみをもった表現で、「皇帝だったことさえ忘れたら愉快な若者」「善政はしたのだがそれが持続しなかっただけ」と評しています。その死後、ネロの墓には花や果物の供物が絶えなかったというエピソードからもネロの印象が大きく変わるのではないでしょうか。




ローマ人の物語〈21〉危機と克服〈上〉 (新潮文庫)
販売元: 新潮社

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ネロ自死後に皇帝に名乗りを上げた(というよりも成り行きで手を上げた観が強い)ガルバ。それ以降、たった1年間でローマは3回も皇帝を変えることになります。この間、事態は、それぞれ国境警備を任されていた「ライン軍団」と「ドナウ軍団」の戦闘、そのことに起因して発生する怨恨と報復(これは皇帝ヴィテリウスの愚かな施策による)、そしてローマ市街戦へと発展していきます。
それにしても印象的なのは、平凡な、否、その地位にふさわしい能力をもたない人間が帝政のトップにつくことの恐ろしさ。そして、逆に、帝政という、いわば皇帝の能力によって国の行く末が左右される仕組みでありながら、皇帝にその能力がないなら頭をすげかえればいいと冷静に見極めていた市民たちの反応です。ローマで市街戦が勃発しても、殺し合いが行われるなかで、市民たちは居酒屋で盛り上がり、娼婦も客をとっていたといいます。
混乱の極みであった1年間はまさに「危機」。これに対し、新皇帝ヴェシパスアヌスがいかなる施政を行うのか。次巻での「克服」の部分に興味をそそられます。




ローマ人の物語〈22〉危機と克服(中) (新潮文庫)
販売元: 新潮社

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ローマ市街戦にまで発展したネロ死後の皇帝の座をめぐる争い。事態を収拾したのはシリア属州総督だったヴェスパシアヌス。場当たり的にその地位についたネロ死後の皇帝らと違い、彼は忠実な同僚のムキアヌスや息子ティトゥスと周到に準備をすすめ、皇帝の座につきました。
この高貴な生まれでもなく前線勤務の軍人から出世したヴェスパシアヌスの資質を、塩野氏は「健全な常識人」と評し、その資質こそが混乱の極みにあったローマを安定させるのに必要であったと論じます。
その治世は「歴史家に言わせれば特筆すべき事件は何もなし」。まさに健全なる常識をもって、ユダヤ反乱の収拾、財政再建(これも歴史家に言わせれば、歴代皇帝のなかで最高の国税庁長官)などにあたりました。特に印象的なのは、かつてアウグストゥスがこだわった「血」に基づく皇帝継承を、わざわざ法を作ってまで次期皇帝決定システムを制度化したこと。
生真面目さがにじみ出る施策によってローマが危機を克服していく様子が描かれています。いつもながら塩野氏の筆による人間ヴェスパシアヌスへの描写に、思わず親しみが湧いてしまいました。





ローマ人の物語〈23〉危機と克服〈下〉 (新潮文庫)
販売元: 新潮社

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ローマを再び安定化させ、天寿を全うしたヴェスパシアヌスの後、皇帝についたのは、父とともに国政を担ってきたティトゥス。ヴェスパシアヌスによって、ユダヤ反乱平定という「箔」までつけてもらい、早い時期から次期皇帝継承者として仕事を任されてきティトゥスは、塩野氏によれば「(この人ほど)良き皇帝であろうと努めた人もいな」いというほど、真面目に精力的に皇帝の仕事に没頭します。しかし、その治世におきたヴェスピオ火山噴火とポンペイの消失、そしてローマの大火という度重なる大惨事。心労からか、ティトゥスは就任後2年で病死。とりたてて欠点(失政)のなかった皇帝を皮肉好きのローマ人が評した言葉「治世が短ければ誰でも善き皇帝でいられる」には笑ってしまいました。
ティトゥスの次は、その弟ドミティアヌス。死後「記録抹殺刑」の処される皇帝であり、よほどの悪政を行ったのかと思いましたが、ドナウとラインの両河をつなぐ「ゲルマニア防壁」を築くなど、後世にも残る(刑によって名は残らないけど)事業や施設を実施。しかし、その治世も暗殺によって幕を閉じます。
ドミティアヌスの項はその治世の長さ(15年)の割りに、「記録抹殺刑」の影響で資料が少ないせいか、塩野氏の記述もどこか淡々としていて、印象が薄いように思います。
ところで、本編の最後の「ローマの人事」の部分は、人材(国家のリーダー)育成の視点から
ローマの強さを感じさせる内容で、短いながらも佳い文章でした。


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