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和書 508080 (212)



数学の学び方・教え方 (岩波新書 青版 822)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

数学教育の歴史と著者が勧める指導法の解説です.

大人になってしまった私たちには当たり前と思われることも子どもたちにとっては理解しにくいものがあるようです.例えば,「男の子が5人,女の子が3人います.男の子は女の子より何人多いか」という問題で,「5-3=2」と答えを書くと,「先生,男の子から女の子は引けません」というような疑問がでたそうです.子どもというのはこんなところにもつまずいてしまうのかと驚きでした.このようなことを考慮すると,同じ引算でも,差を求める求差と余りを求める求残を区別して教える必要があるとのことです.教育というのは何と奥が深いんだろうと思ってしまいます.

量,数,集合と論理,空間と図形,変数と関数の各話題について,どのように指導していくべきかという話が書かれており,目からウロコが落ちることしばしばでした.

また,外国人は計算が苦手だとよく言われますが,言語と算数の得手不得手の関係はなかなかおもしろい話です.





自動車の社会的費用 (岩波新書 青版 890)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

日本が高度経済成長を遂げた1970年代、大企業批判が展開され、経済成長至上主義の負の側面として環境・公害問題が大きくクローズアップされるようになった。1974年に刊行された本書はそうした時代的風潮に先駆ける形で登場し、先進諸国の発展を支えてきた自動車がもたらすさまざまな社会的費用とともに、社会的共通資本のあり方を真摯に模索した意欲作である。著者である宇沢弘文氏は、近代経済学(新古典派理論)の発展に大きな貢献をなした学者であるが、本書ではその著者自らが、新古典派理論によって自動車の社会的費用の問題を明らかにすることには限界があることを強調しており、そのことがかえって宇沢氏の深刻な問題意識を浮かび上がらせている(自己批判の発露かもしれない)。自動車の飛躍的普及がもたらす諸問題を丹念に解説し、それを経済学的なフレームワークを通じて客観的に分析するスタンスはきわめて説得的である。自動車の普及を生物体に侵入したガン細胞であるとみなし、それはガン治療よりもはるかに困難であるという。なぜならば、「自動車は経済社会のなかで有用なはたらきをしている側面があって、有害な面だけを切り離すことが不可能に近いからであり、また生物体とは異なって、経済社会を構成する個々の細胞は人間だからである」(30頁)。労働を生み出す生産要素としてのみ人間を理解する新古典派理論が、こうした問題に不十分にしか対応し得ないのは自明なのだ。「社会的費用の発生をみるような経済活動自体、市民の基本的権利を侵害するものであるという点から、許してはならないのである」(175頁)という主張を噛み締めつつ、人間にとって暮らしやすい安定的な経済社会のあり方とその実現に向けて、自分なりに考え続けてみたい。それはいかなる経済学がこれからの時代に要請されているのかを問い直すこととも密接に関連する。本書の問題意識は輝きを増しているに違いない。




無限と連続―現代数学の展望 (岩波新書 青版 96)
販売元: 岩波書店

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単純に面白いです。
自然数を考えることで、無限に到達してしまったカントールからはじまり、
トポロジーにいたるまで、丁寧(ときおり適当)に解説されています。

いわゆる文科系を目指されている方は、
これとあわせて
ウィトゲンシュタイン、フッサール、マルクスを、

いわゆる理科系を目指されている方は、
これとあわせてゲーデル、ウィトゲンシュタインを

読むと、新しい世界が開けてくるのが実感できます。




零の発見―数学の生い立ち (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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無い物を認識するって、難しい事です。ゼロというものをどうやって発見したのか知りたく購入しましたが、結局のところ、よく分かりませんでした。「無名のインド人が発見した」というだけで、発見の過程に関する仮説もありません。

それに後半部分は「零の発見」とは直接関係しない、数学上の読み物。数学を知りたい上ではいいですが、「発見」を知りたい私にとっては、余分な読み物でした。




星の古記録 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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 著者は古天文学の専門家。聞き慣れない学問だが、古代から近世の文書記録を渉猟して天文学的な記載を発掘しようとするものである。天文学は法則に支配された世界なので、たとえば時間に金星がどの方角に見えていたかというようなことも、計算して割り出すことが出来る。つまり、記録にあらわれた天文事象を完璧なまでにチェック・再現できるのである。これは天文学にも役立つが、逆に、古代の事件の日時を決定したり、文書記録の記述の確認にも有用なのである。
 本書の中心は、日食、超新星、星食など。古記録との照合、正確な日時の計算などは小気味よいほどである。そのほか、隕石やシリウスの色、金星の太陽面通過といったエピソード的な話も多く、興味深かった。




科学の哲学 (岩波新書 黄版 260)
販売元: 岩波書店

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経済データの読み方 (岩波新書 黄版 307)
販売元: 岩波書店

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スポーツと健康 (岩波新書 黄版 39)
販売元: 岩波書店

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物理学とは何だろうか〈上〉 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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予備校に通っていたときに物理科の先生がこの本を紹介されていた。当時、「物理なんて公式にあてはめればチョロイ」と思っていた愚生は当然「物理=あてはめ」と信じており(もちろんそうではありません)、いかに多くのあてはめ例を覚えるかが勝負といきり立っていた。そこで本書を、「どんなあてはめテクニックが紹介されているのだろうか」と胸おどらせてひも解き、案の定テクニックのかけらも見つからず終わった。いうまでもなく物理学はそんな姑息な学問ではない。現象の仕組みをひも解く学問である(と今は思っている)。そのひも解き方、見方が本書には書かれている。はっきり言って、簡単な書きぶりではない。頭をフル回転させ、鉛筆と紙を横において作業を行わないとわからない。同じ所を繰り返し読んだり、前にもどったりしないとわからない。しかし、そういう苦労に報いてくれる内容である。パッと見わかりやすいもの、視覚に訴えるものがわかりやすいと思われがちであるうが、そうでないように見えるものが実は一番わかりやすいと思う。そういう本である。お勧めです。




物理学とは何だろうか 下  岩波新書 黄版 86
販売元: 岩波書店

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上巻に続き「原子論」「統計物理」が完成されていく様子が史実に忠実に記述されています。我々のような後世の人にとっては原子・分子が存在するということはもはや当たり前なのですが、ボルツマンやマックスウェルの時代はそれらは「目に見えないもの」であって、そんな中で如何にして分子運動論が形成されていったかが良く分かります。「原子・分子の哲学上存在から実在へ」という過渡期におけるボルツマンの孤独、特に彼の理論を裏付ける実験が彼自身が提案出来なかったことに対するもどかしさが伝わってきます。(アインシュタインのブラウン運動の理論が現れるのがもう少し早ければ...) 上下巻併せて読むと「Science is a self-correcting process」(Carl Sagan)の意味が良く分かります。

この第3章を読み終えると現在の物理学でも似たようなことがあるでは、と思ったりします。例えば「超ひも理論」は、現況ではまだ誰もその存在を実験で実証できる状況にはない訳で、「超ひも」を誰も見たわけではないですから。その意味では、「原子・分子」が実在のモノとして見えてない時代におけるボルツマンの悩みと似てたりするのでは、とも思ったりしました。(勿論、「超ひも」は究極の統一理論として有望な候補の一つではあるのでしょうけれども。既存の理論をまとめあげるだけでなく、既存の理論の範疇では説明しきれない自然現象を定量的に説明出来ることが「新理論」には求められます) そんなことも考えながら、この下巻に収められている「科学と文明」という講演記録を読むと興味深く読めました。

この本は残念ながら未完で、未完の部分は朝永先生から「読者への演習問題」として残っている訳です。個人的にはこの続編として、セグレ著「X線からクォークまで―20世紀の物理学者たち」、朝永振一郎著「スピンはめぐる」を推薦したいと思います。「創り出される物理学」は「創られた物理学を学ぶこと」とは全く別物である(←湯川先生の言)、ということが良く分かります。どちらも在庫切れなのが残念。


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