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和書 508082 (150)



ウパデーシャ・サーハスリー―真実の自己の探求 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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 インド最大の哲学者シャンカラの代表作。
 本作では一切の差別・区別を超越した不二一元論が説かれている。
 インド哲学に興味がある方は一度は読んでほしい。インド哲学の真髄を味わうことができる。




エチカ―倫理学 (上) (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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 ユークリッドスタイルで書かれたこの本は、歴史的制約の下にあってさえなお、輝きを放っている。スピノザは無神論のかどで攻撃されているけれども、もっともだ。スピノザの神は人格神ではない。また、アニミズムのようなものでもない。それがどのようなものであるかはよくわからない。この本は文学的関心で読むと、はっきり言って極めてつまらない。その点も踏まえて、私は、この本に対する二つのアプローチを提示してみたい。
 まず一つ目に、非歴史的考察。これはスピノザを現代哲学として読む試みである。
 そして、二つ目に、数学の歴史、政治状況、ユダヤ哲学の伝統などを踏まえながら、読む、という歴史的考察の試みである。

 前者はすぐにでも始められるし、後者は時間がかかるものの、得られるものもまた大きいだろう。
 この二つを折り合わせたときに、この本一冊から得られるものは、非常に大きいと私は考える。それが何かは、読む人それぞれによると思う。




エチカ―倫理学 (下) (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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全能の神に不可能はない、と私たちは言いたがります。ところで、三角形の内角の和は2直角ですが、全能の神なら2直角ではない三角形をつくれるでしょうか? おそらく無理です。--でも、だから神は全能ではない、とか、神は存在しない、あるいは、存在していても無視してかまわない、という方向にスピノザは進みません。逆です。三角形の内角の和が2直角であるちょうどそのように神は存在する、と言うのです。

問題は私たちが世界をどう捉えているかという一点にかかっている、というのがスピノザの主張です。そして、世界と自分の関係を正しく、内角の和が2直角である三角形のように理解することができれば、私たちは誰でも神を愛し幸福になれるはずだ、と言います。

三角形の内角の和が2直角であること、それを否定するとそもそも三角形自体が存在できないこと、この<これ以外には存在し得ないこと>、を理解できるかどうかは、ひとえに私たちにかかっています。三角形が自ら2直角を誇示しない、という意味では、神は沈黙しています。でも知りたいと思う人に向けて何一つ隠している訳ではないのですから、神はすべての人に開かれている、ということもできます。ーー私(たち)に神が見えないのは、神を見ようとしないからです。

(偉そうに書いてしまいましたが、きっとこういう理屈だと思います。ーーもちろん、我流にスピノザの表面をなぞってみたにすぎませんが)

「エチカ」は大変優れた本だと思います。読みやすくはありませんが、是非挑戦してみてください。




エックハルト説教集 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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説教集なのでキリスト教概念に基づいて、私たちはどのように生きるべきか、世界をどう捉えるべきかが、語られています。
けれども、とりわけ感銘を受けたのは
〔説教五b〕なぜという問のない生き方について
のところです。

「だれかが命に向かって千年もの間、「あなたはなぜ生きるのか」と問いつづけるとしても、もし命が答えることができるならば、「わたしは生きるゆえに生きる」という以外答はないだろう。それは命が命自身の根底から生き、自分自身から豊かに湧き出でているからである。それゆえに、命はそれ自身を生きるまさにそのところにおいて、なぜという問なしに生きるのである」

諸学問は事後分析的であり、生成そのものを生み出すことはできません。もし機械や人工装置によって世界が席巻されることになっても、それは人間の目的論内での話だと思います。私たちは現実生活そのものを変更することはできません。朝目覚めて、夜眠りにつくまで、時間はとめどなくおしよせ、生きる意味に思いを馳せるとしても、雑事に追われていずれは問いを放擲してしまいます。
「生きるために生きる」その生成は言語的手段に訴えて必死に説明しようとしても徒労に終わるだけのようにも思われます。同じことの繰り返しであって、わけも分からないでただ前に進んで行くだけという考えは、真理をついています。
また、世界観の規定においても「恩寵」「浄福」という概念が、この現実の私たちが生きる世界に効力を及ぼしている…そのことが〔説教二十一〕「一なる神について」を通して、聖書理解・キリスト教の変遷の理解をするうえでも示唆に富んでいるように思われます。





エミール 下  岩波文庫 青 622-3
販売元: 岩波書店

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下巻は、エミールの妻となるソフィーを通して、女子の育て方、女性の幸福な生き方を中心に描いているが、その目的は、教育論の最後の仕上げとして、人間が幸福な生涯を送る為には、男女とも、良い配偶者を得ることが非常に大切であるということを読者に説くことにあると思う。




エミール〈上〉 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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(;'Д`)ハアハア  ルソーはいい加減なおっさんである・・・口では教育論だのと

立派な事を言っているが・・実際 自分が産ませた5人の子供は・・・孤児院送りだったり

私生活もだらしなく・・・啓蒙のけの字もない・・・。

当時 勃発していた・・啓蒙思想とやらの萌芽 その時流に乗って・・・ベストセラー作家となっただけの人物であるという見方が大きい・・・。

こんな人格破綻者で社会不適応者の・・・著書に  何故・・・ロベスピエール先生や イヌマエルカント先生のやうな

真面目な人格者が・・・影響を受けたのか・・・・それは長年の謎であったが・・・・

らき☆すたというアニメを視聴して・・・ようやく分かった・・・・。

そのアニメでは・・・真面目で 弁護士を目指す かがみ が 自堕落で、怠け者の こなた に強く惹かれていたのだ・・・。

つまり真面目な人間ほど・・・ダメ人間に惹かれる!!!これは・・・自然の摂理である!




エミール〈中〉 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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この中巻は、純粋無垢な子供から大人へと移行する時期の教育をテーマとしている。ルソーの教育心理学、倫理学、道徳学、哲学、宗教学が説かれており、上巻より濃密・高度である。大人の哲学書としても読める。ルソーは概ね次のようなことを子供と教育者に対し述べている。@作られた「理性」に拠るのでなく、自然に備わっている「良心」に従えば善い行いができる。Aこの世を生んだ神の存在を信じ、神が与えた今に満足すれば幸福である。B青年期の欲情の高まりを、さりげなく遅らせたり逸らしたりして、生産的な活動に集中する時間を長く保つ。




科学と仮説 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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”次第に多くを観測して、次第に少ししか一般化しなくなった”(P170)仮説は検証しなくてはならないが、第11章のような確率論による検証は難しいかもしれない。その後に続く、光学と電磁気学に関する記述には確率論的な証明まで踏み込んでいないので、すごく難解な問題の解説はないかもしれない。そのため、科学者、技術者の1年生が読んでも、十分理解できる内容が多いのおで、ぜひ読んでください。





河童駒引考―比較民族学的研究 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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この石田英一郎氏著の「河童駒引考」という本の存在を知ったのは「ゲゲゲの鬼太郎」で有名な水木しげる氏の河童関連の本を小学校時代に読んだ時であった。
あの水木しげる氏が参考にした本であったので、これはさぞかし教科書的お手本になる本であろうと一度読んでみたいと思っていた。
しかし、この本の刊行自体が昭和22年と古く(存在を知ったのは昭和50年代後半)、例え図書館で探したとしても、そうは簡単に見つかるようなシロモノでは無いだろうと半ば諦めていた。今ならばインターネットというまさに「文明の利器」があるので、それで簡単に探し出せただろうが…。
あれから十数年、大学生になってから新たに文庫本でこの本が発売される事を新聞の広告で知った。そして早速書店で購入し、むさぼり読んだ。初恋の人に再会した様なものであった。
さて、この本は石田英一郎氏のライフワークというか、研究の成果がギッシリと詰まった一冊である。文庫本というサイズ自体は小さいが、その内容は深く、広いものだ。
また、ただ単に日本の河童について記述しているだけで無く、外国の河童の仲間、もしくは水神信仰にまで遡って民族学的にそれぞれを考察している。これは素晴らしい。好きな人にはたまらない内容である。
現在のハイテク、科学技術の発達した現代に於いては、自然を畏怖する気持ちが現代人の中では薄らいできているが、「環境破壊」というコトバが聞かれて久しいので、改めてこういった原点に立ち返る事は意義のある事だと思う。




神を観ることについて 他二篇 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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クザーヌスの哲学は教会のキリスト像のまなざしがどの位置からでも自分を見ているように見える経験から出発し、その類推・発展として無限と有限との関係にまで洞察が深まっている。観ることは観られること。まず、観ようとしなければ神の眼差しは感じられないのである。(今後も岩波文庫が手ごろな価格で中世のキリスト教哲学の良書の発刊に力を入れてくれることを期待している)




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