和書 508082 (327)
古代ギリシアの思想 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社
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ギリシア哲学を概観する、非常に優れた本。実に重厚な仕上がりでオススメです。
本書の特色は、ギリシア思想におけるパルメニデスの存在を非常に重視している、という点でしょうか。
パルメニデスの言葉として有名なものに「あるものはあり、あらぬものはあらぬ」という(一見して当たり前と思われる)主張があります。
著者の山川氏はこれを人間の思想史上の大事件だといいます。
たとえば我々は、「愛なんてものはない」と言います。
しかし、もし本当に愛というものがないのであれば、この発言は全く無意味です。
「そもそも存在しないもの」について何かを言うことなどできるはずがありませんから、これは結局何も言っていないのと同じことです。
もし何かを言いうるとすれば、それが何らかの形であるからでしょう。
だから、我々が語りうるのはそれが「ある」かぎりにおいてだ、ということができます。
「あるものはある、あらぬものはあらぬ」とはつまり、「あるだけがあり、ないものはまったくもってない」です。
そして、「あり」かつ「あることがない」ようなものはあり得ないという意味で、そのような対象はかならず無矛盾でなければなりません。排中律の原則です。
この「存在の無矛盾性」が、以後の思想を規定している重要な原則です。
いってみれば、彼は当たり前のことを当たり前のこととして“人類史上はじめて”思考の原理に据えた天才だったわけです。
しかし、この論には一つ疑問があります。当のパルメニデスは、「あらぬものはあらぬ」という発言で一体何のことを論じたのでしょうか?
「あらぬもの」という発言は、彼の論理でいえば無意味な表現でなければなりません。
彼の主張がまったくもって正しいがゆえに、彼はただ「あるものはある」としか言えないでしょう。いや、果たしてそれさえも言えるかどうか。
「あらぬものはあらぬ」世界では、「リンゴ」という発言と「リンゴがある」という発言は完全に等価になるでしょう。
一切が「ある」んだから、いちいち「ある」なんて言うのは余計です。情報ゼロの無意味な発言です。
とすれば、一切が「ある」というのは、実は一切が「ない」と云うのと同じぐらい無意味なのではないでしょうか。
「ない」がなかったら、我々は何によって「ある」を理解したら良いのでしょう?
「左」のない世界で、我々は「右」を理解することができるのでしょうか?
そもそもそんな世界があるのでしょうか?
言霊と他界 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社
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なんでこの二つの言葉がタイトルとして並べられているのだろう、とまず疑問に思うが、途中ぐらいまで読めば納得できる。言葉に霊的な力をみとめる観念といわゆる「あの世」のヴィジョンをめぐる、思想史的なエッセイ。あるいはもっと著者の論旨にそっていえば、世間一般の言葉では表現しきれない言語以上の「言葉」をめぐる省察と、日常とは絶対に「他」なるものとして感ぜられる「世界」へのあこがれと語りの探求。扱われる人々は近世~近代文学から日本民俗学へ、というような顔ぶれだが、著者の基本的な問題意識は国文学のそれであると思う。いや、さらに根源的なところでは、川村湊というもの書きの、言葉と死後の世界への拘泥があるのだけれど。
本居宣長と上田秋成の論争からはじまり、柳田國男の他界観についての記述でおわる。というか、柳田と折口信夫と南方熊楠の霊魂観を比較検討し、南方のそれにわりと好意的な評論をして幕を閉じる。ここら辺、なかなか楽しかった。柳田・折口の霊魂・他界観はけっこうよく知られているが、南方か。民俗学者にはちょっと書きにくい新鮮な文芸であった。
子守り唄の誕生 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社
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子守り歌といえば、子供をあやすための歌だと思っていたんですが、貧しい子たちが守り子として奉公に出た時の歌なんだそうです。
だから別名を守り子唄。
そういえば、子供のための歌というよりも、子守りをしている側の歌が多いような気がします。
子守りといっても11・12歳くらいの子だったらしいのですが。。。
歌の歴史的背景を知ることができて、私としては満足な本でした。
語り継がれてきたモノにも歴史があって、そういう上に今があるのだと思えたので。
子供の頃よく母が歌ってくれたのも、五木の子守唄でした。
婚姻覚書 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社
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コーランの世界観―イスラーム研究序説 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社
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イスラームは、ユダヤ教、キリスト教と同じ唯一絶対神を信仰し、経典なども共有する「啓典宗教」であるが、宗教としての外面と内実は大分異なっている。この本は、すべての宗教の拠り所とする世界観、特に一神教において重要な創造観、終末観を、イスラームの聖典であるコーラン(クルアーン)のアラビア語原典を学術的に検討し、我々日本人には縁遠い価値観を活写している。
アラブ人独特の思考様式にまで踏み込んだ、イスラームを深く知りたい人のための好著。
酒の神ディオニュソス―放浪・秘儀・陶酔 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社
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ディオニュソスの信仰に関する本ではなく、アレクサンドロス大王ゆかりの遺跡や、神話の舞台になった遺跡を訪ねる本である。
紀行文。信仰から見えてくる、古代の価値観などは、タイトルの割には、出てこない。
劇場マニアには、たまらないであろう、写真が多くある。
神話の引用も多々あって面白い部分もある。
しかし、著者の思い込みの激しさと、ディオニュソスとは関係ない文章の多さに閉口させられた。
ディオニュソス紀行というタイトルにすれば、期待もせず、購入しなかっただろうに、と悔やまれる。
サバンナの手帖 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社
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死の風景―ヨーロッパ歴史紀行 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社
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著者が欧州各地を旅しながら歴史の中でのそれぞれの町で発見した死の風景を描写した紀行文。どれもすばらしい。「ヒポクラティスのカルテ」では、医師ヒポクラティスが克明に記したカルテによって、現代の私たちが古代の少女の発病から死まで、医師としてのヒポクラテスの温かい筆致によって追う事ができる。「少女の墓」では、ギリシャの古代の各種の墓碑を読み解き、当時の高い精神性と今と変わらない肉親を喪った者の悲しみを感じることができる(私もこの本を片手に、ギリシャ博物館の古代の墓碑の前で時間を忘れてたたずんだ)。そして、「解剖学とオルガン」は、世界最古の解剖学教室であるイタリア・パドバ大学を訪ねるものであるが、中世人の医学にかける狂気にも近い執念が伝わってくる。
どの章も、過去の死に対する著者の省察が終わったあと、著者の目に入った太陽の光の中での明るすぎる現代の日常が対比されている。そこで読者は長く暗いトンネルを抜けた後のようにほっとするのであるが、重い死の残照と生の明滅が極めて効果的に語られていると思う。
仕掛けとしての文化 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社
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自然哲学序説 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社
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