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和書 554120 (41)



どこが消えるか・AV(オーディオ・ビジュアル)業界戦争―松下・ソニー・ビクター・パイオニア
販売元: あっぷる出版社

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どこへ行く、基地・沖縄
販売元: 高文研

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どんぐりの会『自然との共生』の実践記録 (シリーズ 市民の活動)
販売元: 松籟社

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どんづまりの時代の眠らない思想―エジンバラの不思議な記憶と現象学
販売元: 白順社

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「ない」の時 昭和精神史―「ない」の日本文化論
販売元: 北樹出版

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ながい旅 (新潮文庫)
販売元: 新潮社

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大岡昇平氏の戦争モノでは、多くの読者さんらは「野火」「俘虜記」「レイテ戦記」を思い浮かべられるんちゃいますやろか。わては、シニカルで、かつどこかフランス哲学か何かの描出的な心理描写の文章が大好きなんですけども、「俘虜記」の横に並んでおった本書も買うてきて、読みました。最初は、大岡氏の晩年の比較的小品、くらいにしか思っておらず、読み出させていただきました。

「野火」「俘虜記」も大岡氏の実体験に基づくノンフィクション的作品と、読者はどうしても思いますけども、ほしたら、本作は岡田司令官に基づくノンフィクション作品。大岡氏の岡田中将への強い共感が感じられて、実に懐が深い作品じゃ。例年終戦のころになるとテレビでみる太平洋戦争関連の番組は、ともすると重い感じがせんでもないですけども、本作は、そういう意味突き抜けた感じがする。死や戦争のおろかさを感じさせるというよりは、超越した、強靭な岡田資氏の精神がすがすがしく、かつ共感に満ちて強く感じさせられる作品なんですなあ。

巣鴨の、岡田氏の亡くなった跡を今度訪ねたいと思うと共に、大岡氏のあのクールな、特にかなり軍執行部への批判的な「野火」や「俘虜記」での文脈は、何ゆえやったのやろう、と思います。大岡氏も歳を重ねて、愛国的なものに共感を深めていかれはったのか?あくまで、岡田氏への個人的共感なのか?戦後の不安定な世相で、大岡氏も本心を書けへんかったのかも、ということをほのめかすくだりも本書に出てきとります。

本書冒頭にある、岡田司令官の家族写真と戦中、戦後の写真、この厳しい中にも優しさを感じさせる写真は、わての小さい頃の、小学校の校長の厳しさと優しさを想起。実に含蓄が深い、夏の宝物のような作品です






なぜ“ことば”はウソをつくのか?―理性と直観の哲学バトル! (PHP新書)
販売元: PHP研究所

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無智の構築する稚拙な詭弁。
トートロジーとアンチノミーの嵐。
思い切りの無い、無難で鈍(なまくら)な論。
下らない弱者の現実拒否に過ぎず、読んで得られる物は皆無と言っても過言ではない。

現実を直視できないからファンタジーに逃避しているだけ。




なぜ「話」は通じないのか―コミュニケーションの不自由論
販売元: 晶文社

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「哲学・思想エッセイ」と聞くと、本来は合間見えそうにないはずのその二つの言葉の合わさった響きが奇妙に聞こえるわけだが、読み終わった今、
この本を一言で表現するならばまさに「哲学・思想エッセイ」という言葉がピッタリくることがわかる。この本は哲学思想史を専門とする著者が自身
の身の回りでおきた「話」が通じなかったエピソードを後日談として―怒りも交えて―語り(エッセイ)、その原因を哲学・思想の観点から考察
するという形式をとっている。

筆者が論じる「話が通じない相手」とは、単純に耳を貸さないヤツだけでなく、一見コミュニケーションが出来ているように見えても、議論は平行
線をたどっているだけで、実はまったくできていない(中島梓はそれを「コミュニケーションと言う名のディスコミュニケーション」と呼んだ)ヤ
ツや、相手の話している文脈のそのすべてを追うことなしに、センテンスの中のある一単語にだけ敏感に反応して激烈に反論してくるヤツのことで
もある。そんな「話」の通じない輩―筆者曰く「パブロフの犬」、「ワン君」―は、老若男女、どの階級、どの学歴にも存在するらしい(この本
を読んでいると、むしろ知的な階層ほど多いのではないかという気さえしてくる)。

筆者はこのワン君が増殖した理由を、「小さな物語」の増殖に求めている。
マルクス主義という「大きな物語」が信用されなくなった以降(ポストモダン)、みなが好き勝手に「小さな物語」を作り始めた。その個々人の
「セルフ物語」は一旦その個人の中で強固に整合性を持ち始めると、なかなか改編できる代物ではない。さらに、その本人の中では誰もが共有できる
「大きな物語」だと思っているのだからたちが悪い。そんな異なった「物語」をもった者同士で議論となり対立が生まれたとしても、それは弁証法の
ように何か発展性のある対立にはならず、議論は結局はただのいがみ合いになってしまうのだと筆者は説く。

こんなふうに筆者は「話」が通じなくなった理由を、少々歯ごたえのある哲学史をからめて説明してくれるのだが、本文にはたびたび彼が忌み嫌う
「ワン君」たちへの忠告が挟まれる(そういえば彼の『わかりやすさの罠』にもたくさんあったなあ)。いちいち挟まれているそれらを読んでいく
と、よほどこの人はネット上で嫌な思いをさせられてきたんだなあと、想像してしまうわけである。
察するに、彼がこの本を書き上げた根本的なモチベーションになっているのは「なんでこうもまともに話ができる/聴けるヤツがいないんだ!!」という
悲壮感と怒りの気持ちだろう(筆者は否定するかもしれないけれど)。この本が、哲学・思想オタクのためだけの閉じた内容になっていないのは、
その悲壮感や怒りが「エッセイ」へとうまい具合に還元さているからではないだろうか。


筆者本人が述べていることだが、彼は少々強迫神経症気味らしい。
今の時代、このようにまともな「話」をしようと心がける人間ほど病を患ってしまうものなのかもしれない。




なぜ人は破壊的な感情を持つのか
販売元: アーティストハウスパブリッシャーズ

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やはり会話を起こした本なので議論を追うのが難しい。少なくとも私くらいの能では困難だった。補助で章の冒頭や終わりに要約やチャートが欲しい。ダライラマの合いの手や質問が的確でそこから議論が深まったり明瞭になるくだりは興味深い、しかしやはり一般の啓蒙書と違い脳の知識が点で結ばれてゆくのでどうしても概要を浮かべることが読書をしていてつらい。特にはじめと最後の章は難しいので心してかかった方が良い。




なぜ悪人を殺してはいけないのか―反時代的考察
販売元: 新曜社

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 実は書名を見てすぐ、「?」と思った。だって「悪人はこの世から排除しろ。異物は社会から排除しろ」っていう思想は、反時代的どころか、むしろ近年の大衆的感性に寄り添ってるもん。
 …とワダカマリを抱えつつ最後まで読んだら、あとがきで著者自身がそのことに触れていた。一時期、死刑廃止論が下火になったので、大勢に迎合するみたいになるから単行本化は控えようとも考えたらしい(p262)。ま、著者の誠実さはそれなりに認めるけど、だったらタイトルにバーンと「反時代的考察」とブチ上げてるのはナゼ? という疑問は残る。著者はむしろ、取り澄ましたインテリ的感性を揶揄し、大衆に潜在する感性みたいなものに応えることで批評家としての地歩を築いてきたのじゃないか?
 とは言え、私は著者の議論の大半に納得させられるし、諸文献を博捜し敵手の立論の虚偽ともつれを暴いていく手並みにいつも感心させられる。私は愛読している。本書に収められた論考の多くも非常に内容豊かだし、かつ読み物としても面白い(ただし最後の「カナダ留学実記」は、なぜ本書に収められたのか、よく分からなかったけど…ま、「それがコヤノだ」とも言える。コヤノという批評家の存在そのものが反時代的だと言うなら、納得できないでもない)。
 一点だけ、「宮崎(勤)は精神異常を装って三十九条による無罪を狙った」(p29)という断言は、危ういと感じた。ここだけを拾い上げて著者の議論をひっくり返すことはできないにしても、議論の一つの分岐点になる重要なポイントだと思うので、指摘しておきたい。


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