戻る

前ページ   次ページ

和書 554120 (108)



朝鮮人従軍慰安婦―証言 昭和史の断面 (岩波ブックレット)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






日本占領下 香港で何をしたか―証言 昭和史の断面 (岩波ブックレット)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






ベトナムの日本軍 キムソン村襲撃事件―証言 昭和史の断面 (岩波ブックレット)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






私の中国捕虜体験―証言 昭和史の断面 (岩波ブックレット)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






ベトナム戦争と日本 (岩波ブックレット―シリーズ昭和史)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






極光のかげに―シベリア俘虜記 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

著者は、帰国後大学教授(静岡大学、和光大学)として教鞭をとっているわけですから、いわゆるインテリゲンチャーです。だからというわけではありませんが、あとがきに「真実を真実として伝えよう」という意思を感じます。文章は、感情的にならず、客観的に押さえられていて、読む側としては、逆に引き込まれてゆきます。些細な出来事も多かったはずですが、それには、言及していません。人とのふれあい、俘虜生活のながれなど、俘虜としての生活が非常にわかりやすく描かれています。会田雄次の「アーロン収容所」と双璧をなす俘虜記といえるでしょう。最後に、民主化運動として俘虜の間に広がった些細な自称に対する「批判と自己批判」「つるしあげ」に遭遇したロシアの老大佐のことばは、今の日本人が読んでも身につまされるのではないでしょうか。いまこそ、大局を見なければいけないと痛感いたしました。




新編 学問の曲り角 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

哲学史家でも読書人でも教師でも翻訳家でも、肩書きは、まあどうでもいいでしょう。希代の知識人というにふさわしい河野与一が1896年生まれだと思うと、同年だった林達夫のことが思い出されます。いかにも処世術にたけ、レトリカルに自分の地位を築く方策を心得ていた林にくらべ、河野の天真爛漫な人柄とすさまじいばかりの実力が、この雑簒にはみちみちている。いくつもの言語を読み、みずからを鍛えつづけた人物ですが、やはり異彩を放つのはギリシャ、ラテン哲学関係のエッセーです。本書でいえば「ローマの響宴」が白眉。おもしろい。他は、世代的というか、むかしの「帝大教授」たちの内輪話的部分は非常に鼻につきますが、それもまた日本近代思想史の一部と見ればめくじらをたてることもないのかもしれません。好きな本を真剣に好きなように読み幸福に生きた。それだけで、それ以上を求めるのは、後世のわがままだと思い定めれば、それでいいのでしょう。つまらない文章もいくつもありますが、たとえば「ベルクソンの洗礼」などはわずか3ページの何気ない文なれど、非常に本質的な問題にふれていると思います。「正誤表の話」も興味深かった。そしてすべての外国語読みが心すべき、「翻訳と字引」。プルタルコスやモンテーニュをただちに読みたくなるのが、大きな歓迎すべき副作用でした。




トロツキーわが生涯〈上〉 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

自伝前半の本書は、トロツキーの子供時代から社会主義運動への傾倒(高校時代に活動を始めたんですねえ)、そして各地での地下活動から投獄を経て、ロンドンのレーニンに会い、あれやこれやでカナダでボリシェヴィキ革命の報を聞くあたりまでの話。もちろんその後成功するのはわかっているので、何をやるのも予定調和的にいい解釈で、社会的不正への怒りから英雄的な革命運動への参加、という克服と勝利ののぼり調子のプロセスが述べられ、なかなか読んで楽しい、革命家立志伝ともいうべき部分。

翻訳は、よくも悪しくも愚直。流麗ではなく直訳的な処理が行われており、このため特に慣用表現などで意味のとりにくい部分が出ている。たとえば「ベンサムの功利主義は、人間の思想の最後の言葉のように思えた」(p.209)なるなんだかよくわからない訳は、英語などでも使われるlast word on ... といった表現の直訳。これはそれ以上の反論が不可能な決定的議論という意味なので「人間の思想の決定版」とか「人文思想としてまったく疑問の余地がないもの」とでもするべき。「敵はあらゆる陣地を保持した」(p.198. 敵はまったく無傷に終わった、くらい)や「(子供時代の)雰囲気と、私がその後の意識的生活を過ごした雰囲気とは、二つの異なった世界であり」(p.30, まったくの別世界であり、くらいの意)など、原文を類推して再変換しなければならない部分が多い。ただし、それができる程度の精度は確保されており、そんなに異様なレトリックが駆使されているわけではないこともあって、慣れてくればそんなに気になるほどではない。

また佐々木力の解説は、2000年の時点でまだレーニン万歳の旧態然とした古臭い左翼感をむき出しにしているのは失笑ものではあるが、本書の位置づけや旧訳についてのコメントなど、役にたつ情報も少しは入っている。




努力論 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

 「努力論」というより、幸福になるための努力の必要性を説いているので、「幸福論」といっても良いかもしれない。
 何かがうまくいかないとき、人のせいではなく自分の原因を考える。なぜなら、他人や運命のせいだと考えてしまえば、自分にはどうすることも出来ないからだ。自分に責任があることならば、自分自身で何とかできるからだ。だから、何事も自分のせいにしたほうが良いのである。
 夢は強く思うことが必要だが、思っているだけでは何もならない。その上で努力が必要。そして夢を他人に与えることで自分の幸福も増やすことが出来る。

 昔から外国の幸福論や成功論で書かれていることと共通部分を多く持ちながら、最近の成功本で忘れられている努力の重要性を説く。天からお金が降ってくる式の安っぽい本に辟易している人には是非読んで欲しいお薦めの本だ。文体が古いが、本をよく読む人には気にならない程度。むしろ、これぐらいは「努力」して読んだほうが、実になるというものだ。

 私も、何度も読んで、この本に書かれているように、意識して努力するのではなく、意識せずに努力の人生であるようになりたいものだ。




文明論之概略 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

福沢の文明の定義はギゾーの文明論を下敷きにして成立している。文明は相対的であるが、それは野蛮あるいは非文明に対するものとして文明を考える点で構造的であると子安はいう。野蛮や非文明がなければ、文明もない。これがギゾーと共有する文明の定義である。また、家族は市民社会と対立し、家族は否定的前提として市民社会に対立する自然的結合体である。家族から国家へという人倫体の展開過程として捉えられる和辻倫理学とも違う。
文明は文明的な社会であり、国家である。それはつねに野蛮や未開、非文明と対置される文明である。ここで言われている非文明、反文明はなによりもまず東洋の文明である。西洋文明の成立は後進アジアとともにはじまる。だからその叙述も東洋をもってはじまる。その東洋とは、インドであり、中国であった。



前ページ   次ページ

戻る

仮想世界 - シューティング/レース/電車ゲーム フライトシミュレータ