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和書 554168 (34)



オウム法廷〈6〉被告人を死刑に処する (朝日文庫)
販売元: 朝日新聞社

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貧家の養子として薄幸の少年時代を過ごした岡崎一明。殺人事件の実行犯とは言え,彼の少年時代を思うと,オウム入信もやむをえなかったのではと,私は同情を禁じえなかった。しかしながら坂本弁護士一家殺害事件の描写を読むと,その気持ちが吹き飛んだ。実行犯でありながら,オウムを脱会後,そ知らぬ顔でぬくぬくと生活をしてきた彼が,幾ら涙を流して反省をして見せても,それが認める人はいなかったというのは私は当然だと考える。
裁判所は,自首の成立を認める一方で,動機はわが身可愛さの自己保身によるものと断言し,情状酌量に値しないと,死刑を言い渡した。
私も裁判所の判断を正しいと思いました。




オウム法廷〈7〉「女帝」石井久子 (朝日文庫)
販売元: 朝日新聞社

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オウム法廷〈8〉無差別テロの源流 (朝日文庫)
販売元: 朝日新聞社

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この『オウム法廷』シリーズは、一連のオウム裁判を詳細に記録した貴重な記録として残るでしょう。この8巻から12巻にかけては、坂本弁護士一家事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件などの、特に凶悪な犯罪に関わった者たちの公判が大詰めにさしかかり、死刑を求刑され、また死刑を宣告されるまでの記録です。同時代の重要な記録です。




オウム法廷〈9〉諜報省長官井上嘉浩 (朝日文庫)
販売元: 朝日新聞社

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井上嘉浩は,サリン事件の現場指揮官か、後方支援・伝達役か.まだ決着は付きません.ただし裁判中「精神的には高校生」と診断された井上嘉浩が,徐々に,本当の反省というものに近づいていく事は,どうも確からしいのです.

尾崎豊に憧れ,何か世の中全体が澱んでいるような感覚に襲われた時,全ての問いに答えてくれる教祖様が現れたら,自分もついていってしまったかも知れないなあ、という人は,私の他にも沢山いるのではないでしょうか.
彼を決して狂った他者とは思えない所に,オウム事件の悲劇の本質があるように感じます.




教育事件 (朝日文庫)
販売元: 朝日新聞社

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二昔くらい前の教育現場の荒廃を追った本
生徒も荒れるが体罰が常態化している高校も多かったとのこと
学校からすれば何百分の一でしかない生徒も、生徒からすれば1/1な学校生活
若干左がかったテイストはあるが誰もための教育かという論点が欠落したものではないな
赤い教師でも白い教師でも(政治を持ち込まず)生徒のほうを向いているのがをするのがよい教師だってことで




暗い森―神戸連続児童殺傷事件 (朝日文庫)
販売元: 朝日新聞社

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以下に私の雑感を記します。1、少年は女子中学生をつけまわした同じ日に、二人の幼女をハンマーで殴打している。この日、中学の教師は少年の犯行だと、たぶん気が付いていたはずだ。だからアルバムを刑事に見せなかったのではないか。2、虐待というほどではないが、母親の体罰は異常なレヴェルのものだった。3、異常な性的欲求と独我論的傾向とは相関関係がある。4、大切なのは他者への共感能力だ。この種の犯罪に共通するのは犯人の共感能力の欠如。共感力を失わせるものは、トラウマからくる憎悪、不公平感、不条理感。トラウマを作るものは親の愛の欠如。差別体験。いろいろな虐待。とくに性的虐待。5、共感能力をダウンさせるものは、権威(者)への盲従(アイヒマン実験)。スローガン。宗教・イデオロギー的狂信。組織防衛。6、殺人欲求は何処から来るのか。いくら心理を分析してもこうした人間の根底にあるものには届かない。7、少年の行動は一見ユニークなものに見えるが、そうではない。この種の犯行には地域差や時代を超えたあるパターン、共通性がある。だから犯人の特殊事情(例;日本の教育事情など)にこの事件を還元してしまうと、事件の本質を捉え損なう。




グリコ・森永事件 (朝日文庫)
販売元: 朝日新聞

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交通事故のミステリー 鑑定人の事件ファイル (朝日文庫)
販売元: 朝日新聞社

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子供たちの復讐 (朝日文庫)
販売元: 朝日新聞社

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 約30年前の事件のルポルタージュです。取り扱われている事件は2つで、
それはこのページの目次から分かるとおりです。
 本書は、新聞記者として(毀誉褒貶あるものの)高名な筆者が、教育論に偏らず、司法評論にとどまらず、さまざまな資料を整理し、専門家にインタビューし、取材をしたことがらを一冊にまとめたものです。
 私が初めて触れたのは、20年前、私自身が事件の当事者と同じ年頃の高校生だったときです。
 その頃と比べて、現代では理解しにくい事件があまりにも目立ちすぎ、中学生・高校生のいわゆる家庭内暴力などには事件性が認められないようになり、報道もそれほど目立ちません。
 実態がどうであるかは私は知る努力を怠っておりますが、このたび、本書を2006年に再読してみて、日本社会の病理としてみるときには、ここで取り扱われている事件のはらむ危うさが、今もなお――いやますます凝縮されて現れているように感じました。
 本書を読むのに、教育や司法に関心のある方という限定を付するのは適当だとは思えません。単に事件的興味で読むにしても、最近のルポルタージュにはないような、対象に食い込みつつも一歩引いて俯瞰する視線で述べられた上質の分析が含まれております。一つの事案を「物語る」方法に関するすばらしい教材でもあります。




セクシャルアビューズ―家族に壊される子どもたち (朝日文庫)
販売元: 朝日新聞社

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様々な極限を経験した人が、どのような精神状態に置かれるのか、ということに元々興味があり、そういう意味では、言葉は悪いが、「興味本位」で手に取った本書。いまだに日本では表沙汰になりにくい、子供への、必ずしも猟奇的でない性犯罪の被害者を扱った、基本的にはルポタージュである。その傾向のアメリカの情報には、よく接しているためか、個人的には免疫が出来ており、体験談なども、拒否反応を持たずに読めてしまった。

性にまつわる深刻な問題というのは、公で話すのがはばかられるため、問題を抱えた人間は、非常に深い悩みを、個人的に抱えることになる。この書で繰り返し語られるが、性犯罪の被害者となった子供は、肉親を含む周囲に信じてもらえなかったり、いわれもなく、「問題をつくり出したもの」として扱われ、逆に攻撃を受けたりすることにより、心を閉ざしていく。しかし、同じような苦い体験をし、苦しんでいるのは、自分だけではないという事を、何らかのきっかけで知ると、そこから突破口を見出すことも多いという。それゆえ、こういう本は、臭い物には蓋をするだけで、臭わぬかのように振る舞ったり、物が腐らぬようにすることも、真の意味では怠りがちな、日本の社会では、存在するだけで意味がある。筆者の真意も、そこら辺の受け皿になることにあるようである。

ただ、子供への性犯罪という深刻な問題を包括的に見たい読者は、加害者の生まれる背景などへの情報や、著者の考察に、物足りなさを感じるだろう。どのような環境や人間が、子供への性犯罪を生みだすのか。そこら辺をもっと掘り下げたい場合は、他の著作もあたる必要がある。


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