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和書 554250 (91)



鋼の女―最後の瞽女・小林ハル (集英社文庫)
販売元: 集英社

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水上勉さんの小説に『はなれ瞽女おりん』という、映画化もされた有名な作品があります。瞽女仲間というのは盲目の女性のみの自助組織にして旅生活をするので、正規の瞽女たちの戒律や生活はとても厳しく、とりわけ性に関しては、目の見えないことで強姦されて、という場合でも、本人の不注意ということで破門にされました。

生後百日、そこひの後遺症で失明した小林ハルさんは、9歳で家を出て長岡の瞽女屋敷に弟子入りして以来、そうやって“落ちる”ことなく、最後まで瞽女として生き抜いた不羈の人です。73歳でひっそりと廃業して特別老人ホームに入ったのですが、その直前にマスコミに取り上げられて、「最後の瞽女」として注目を浴びることになります。

本著では、その厳しい人生と凛とした人となりが、下重暁子さんの取材を通じて浮き彫りにされていきます。一貫して感じるのは下重暁子さんの小林ハルさんへの敬意でしょう。

90歳を過ぎてハルさんはますます美しい、と、取材を重ねながら下重さんは繰り返しています。掟の厳しい瞽女は、その一方では、芸人として人を逸らさず、実は性的魅力も必要な職業でもあり、二律背反の大変な生活だったはずです。

瞽女や伝統芸能にそれほど関心のない人にも、仲間内での軋轢を生き抜き、見える人達への不信感や周囲の人々への報われない思いにもじっと耐え、それでもすねたり意地悪くなったりすることのなかった女性のライフヒストリーには、きっと心打つものを感じることでしょう。

「誰もなんもしてくれる人いねくなってどうする」と厳しかった母親の躾け。「目がみえたらちがうだろうが、何々好きなんて考えらんねえ」。そして、瞽女という自活の道を選んだこと。そのまま忘れられてしまうわけにはいかない生き方であり、本だと思います。





修復の理論
販売元: 三元社

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訳文が極端に悪く、ほとんど読めない。ハイデガーの「現存在」やフッサールの「現象学的還元」を知らないのはご愛敬か。しかし文章全体が深刻な問題を抱えている。たとえば28頁。「われわれが芸術作品という名を与えているこの人間活動の特殊な産物は、明らかにわれわれの意識の中に存在する特異な固有の認識によって生み出されるものである。この認識はいわば二重の意味で「固有」なものであり、あらゆる個人がその都度、認識しなければならない点において、そうでなければ各個人が行う認識のためにしか引き起こされないゆえに、固有であるといえる。」何ですかこれ?
 全編がこの調子で、私にはまるで理解できない。「特異な固有の」。特異と固有は違わないか?「そうでなければ」。必要十分条件の見落とし。「認識のためにしか引き起こされないゆえに」?こんな日本語があるか。(引用しなかったが、その直後に出てくる「作品が眼前にある」という訳も大間違い。)
 訳すならこうか。「人間の活動から生まれた一つの物が芸術作品と呼ばれるのは、そこに或る特定の認識、意識の中で起きる特定の(「これは芸術作品だ」という)認識が関与するからである。この認識は二重の意味で「特定」の認識である。なぜなら、それはその都度、或る「特定」の個人によって行われなければならないし、逆に、「特定」の個人にそれをしてもらう以外に、その所産を芸術作品として認定する術はないからである。」 
 修復分野の重要文献とされるブランディがこういう形で出たのはまことに悲しいことだ。28頁の担当者はイベントなどでご多忙なようだが、きらびやかでない、実直な仕事をお勧めする(翻訳の責任は監訳者ではなく訳者自身にある)。なお私はイタリア語原文ではなく(入手困難だしそもそも読めない)、フランス語訳を見てこの文を書いている。原文を見ないで訳を批判するのは冒険だが、沈黙する訳にもいかないではないか。




修復家だけが知る名画の真実 (プレイブックス・インテリジェンス)
販売元: 青春出版社

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修復技術のめざましい発展によって、ルネサンスの名画(ミケランジェロ「最後の審判」、レオナルド「最後の晩餐」等…。近年まで、かなり荒く違う絵になってしまう程の加筆修復がなされていました)を、画家オリジナルの絵画として楽しむことができる、幸せな時代に私達は生きています。

本書は、画家がどんなに綿密な計画を立てて絵を描いているか、等とても興味深く書かれています。修復前で、しかも印刷状態の悪い昔の画集などを観て「昔の油絵って茶色っぽいなぁ」と思っているような人には、眼からウロコな情報も満載です。

でも、画家の意思によって(重ね塗りなどによって)葬られた部分というのは、希少価値の為だけに、他人が覗き見て良いものなのか、少し疑問が残ります。勿論、この方は修復家という立場上、また遺族や持ち主の同意の上の話ですから、当然の行為ではあります。しかし絵を観る時に、「なぜこの瞬間で画家の筆は終わりとされたのか」と、画家のメッセージに想いを馳せることは、下地が何かを知るよりも、より深く絵を理解することに繋がると、私は思います。

修復家の眼、という冷静沈着な内容かと思ったら、最後の「贋作」に言及する部分は、著者の絵画への強い愛情が伝わってきて、同じ想いを共有できました。




シュザンヌ・ヴァラドン―その愛と芸術
販売元: 西村書店

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首都圏マル知ランド博物館・美術館 (地図の本情報版)
販売元: 日地出版

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シュピルマンの時計
販売元: 小学館

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「戦場のピアニスト」の著者ウワディスワフ・シュピルマンの長男、クリストファー・スピルマン氏が、亡き父を偲んで書いたエッセイ。

同じ姓なのに(Szpilman)、カタカナ表記が父は”シュピルマン”、息子は”スピルマン”になっているのは、父親が本と映画で”シュピルマン”として有名になるずっと前から、クリストファー氏が日本に在住し、”スピルマン”の名で学者として活動してきた…という事情による。本書も翻訳本ではなく、スピルマン氏が日本語で書いたものである。

戦後のシュピルマンは、結婚して子供もでき、おおむね平穏で幸せな人生を送った模様。少なくとも、特段の不幸(精神をひどく病む、貧困にあえぐ、共産主義政権に迫害される等)はなかったようで、何よりである。だが、さすがにホロコーストの体験が、ずっとトラウマになっていたようだ。たとえば、幼い息子の身を案じるあまり、自転車や海水浴を問答無用で禁止する、ケガをして帰宅した息子を逆上して殴る等、異様に偏狭で神経質な側面があったという。
著者は、そのような”普通じゃない”父親に、若干のわだかまりを抱いていた。だが、父はナチスに家族を根こそぎ奪われたため、新たに得た家族だけは何としても失いたくないと思い詰めていたのだ…と最近になって察し、せつない気持ちで昔を思い出しているという。

「戦場のピアニスト」の後日談として興味深いのはもちろん、普遍的な親子の葛藤のドラマとしても、しみじみとした味わいがある。本であれ映画であれ「戦場のピアニスト」に感銘を受けたなら、読んで絶対損はない。




主婦AV女優
販売元: 徳間書店

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いくら、今の自分と違う居場所を見つけたいとしても、これは違うと思う、自分が女(この人の場合はメス)だとしても、やってはいけない、息子、娘がかわいそう、モラル無さすぎ




シュルレアリスムと“手”
販売元: 水声社

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ショアー
販売元: 作品社

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映画版が先にできて, 小説版は後からです.
ぜひ映画版を見ることをお薦めします.

ベートーベンの第九を文字で表現しきれないように,
映画の「ショアー」は小説版以上の感動があります.

表情, 間, 困惑, 怒り, ためらい.
すべてがあって「ショアー」です.




絶対音感 (小学館文庫)
販売元: 小学館

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エピソードや情報満載、でも個々のエピソードを貫き、まとめる哲学、思想がない。思想がないのならば、本を書く意味も必要もないのではないか。


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