戻る

前ページ   次ページ

和書 561446 (25)



歴史を学ぶ人々のために
販売元: 三省堂

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






歴史を学ぶ人々のために 第2集 (2)
販売元: 三省堂

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






歴史における科学とは何か
販売元: 三一書房

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

 本書はバーリン、ヒューズ、ビレンヌらを収めた論文集である。とはいえ秀逸なものがバーリンの論文であることは疑い得ない。
 自然科学者にとってドクマティックであるということは誉め言葉であるのに、なぜ歴史家や法学者にとっては侮辱の言葉となるのか? 
 人間は直感的な「まとめあげ」「かみあわせ」の能力をもつが、何故「電子頭脳にその製作者たちはこの技巧を与えることができない」
(36ページ)のか?
 テーマは、歴史と言えども広範囲にわたり、現在でも示唆に富む。
 なお解説として内山氏の「歴史と政治の現在」が24ページほど附されています。




歴史を考える
販売元: ミネルヴァ書房

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






歴史を逆なでに読む
販売元: みすず書房

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

ポストモダン的状況の中で、どのように歴史叙述が可能かを模索した書。

本書で批判対象となるのは、歴史叙述には不可避的に物語的側面が紛れ込むことを強調して、史実とフィクションとの境界をなくそうとする人々である。
具体的にはヘルドン・ホワイトなどなのだが、ホワイトの主著『メタヒストリー』はまだ邦訳されていないので、本書と比較することが出来ないのは残念だ。

筆者は、史実が証拠によって定められていることを重視し、この点から、芸術と科学を同一視する構造主義を退ける。
しかし、かといって筆者は実証主義に流れるわけではない。
筆者から見れば、証拠をすべて認める実証主義と、証拠をすべて認めない構造主義者は、ともに証拠について単純な見方しか出来ていないのだ。

筆者は、証拠を「ゆがんだガラス」(p85)になぞらえる。
証拠というのは、常に徹底した批判的分析を行って、そして参照すべきものなのだ。

一方で筆者は、歴史叙述におけるレトリック的なものも重視する。
歴史叙述は、「証拠」以外にも「可能性」(「多分」とか「違いない」とかで書かれるもの)が含まれていていいのだ。



さて、筆者の主張は非常に常識的なものに思われる。
特に「証拠を鵜呑みも無視もせず、史料批判を経て歴史叙述せよ」というのは、当然のこととしか思えない。
しかし、当然のことが当然でなくなってしまっているのが、ポストモダン的状況なのだろうか。

歴史叙述に含まれる「可能性」については、幅があるように思われる。
可能性やレトリックが出来るかぎり排除されるべきもの(教科書など)もあれば、可能性やレトリックが重要な役割を占めるもの(一般向け娯楽歴史書など)もあり、ケース・バイ・ケースの側面も強いからである。




歴史を精神分析する―フロイトと心理歴史学の失敗
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






歴史を学ぶ人々のために〈第3集〉
販売元: 三省堂

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






歴史科学入門―歴史を学ぶ人々のために
販売元: 三省堂

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






歴史研究の基本
販売元: 北樹出版

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

本書は,第一章は,文字道理史学概論で,歴史とは何か,史料とは何か,史料批判についてなど歴史の基本が抑えられている。内容は,オーソドックスであるが,的を得た記述であり理解しやすい。第2部は,歴史観と歴史哲学について纏めたものである。これらの思想を史学史的に整理しており,発達状況にお概略がうかがい知れる。ただし,西洋思想を詳しく知らない人にとっては難解である。第3章は,編者が従来の研究をベースに提唱している歴史知と多様化し関して纏めたものである。新しい史観にのっとった研究であり,本書の中でも特徴的である。
 本書は,歴史の基本を学び,歴史観を知る上で大変有益である。初学者には,是非手を取ってもらいたい。




歴史叙述の現在―歴史学と人類学の対話
販売元: 人文書院

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)




前ページ   次ページ

戻る

仮想世界 - シューティング/レース/電車ゲーム フライトシミュレータ