一つひとつの講義、耳小骨の話とか、目玉の話などは、具体的でよくわかるし面白いのだが、いつのまにか解剖学の話が脳の話、数学や哲学の話に発展していってしまって、全体として本書の感想を書こうとすると、大変むずかしい。話題が多岐にわたりすぎて、話のシンがどこにあるのかよくわからなくなってしまう。
ひとつ手がかりがあるとすれば、
「コノハムシやハナカマキリが葉っぱや花にそっくりなのを、おどろくのは、鳥でもムシでもなく人間だ」
という箇所。解剖学は「形が似ている」というフシギをわかるための一つのアプローチの仕方で、そのさらに奥には「似ている」ということを面白く感じる人間の脳のフシギがある。解剖学は解剖そのもののためにあるのではなくて、形が似ている、というフシギ、そして形が似ていること自体を面白いと感じる人間のフシギ、これをわかるためのあるのかもしれない。そう理解することで、本書の輪郭がボンヤリとわかった気がする。
そういえば、南伸坊には「本人の人々」という名(迷?)著がある。顔が似ているのは可笑しい。なぜだか理由はわからないが、ともかく似ているだけで可笑しい。してみると、養老孟司と南伸坊、実は根っこはとても近しいのではないだろうか。
本作のセッションも非常に気があっているように思う。気が合いすぎてガンガン飛ばしすぎて、多少、読者がおいてきぼりになり気味である。その点が少々難ではある。
一つひとつの講義、耳小骨の話とか、目玉の話などは、具体的でよくわかるし面白いのだが、いつのまにか解剖学の話が脳の話、数学や哲学の話に発展していってしまって、全体として本書の感想を書こうとすると、大変むずかしい。話題が多岐にわたりすぎて、話のシンがどこにあるのかよくわからなくなってしまう。
ひとつ手がかりがあるとすれば、
「コノハムシやハナカマキリが葉っぱや花にそっくりなのを、おどろくのは、鳥でもムシでもなく人間だ」
という箇所。解剖学は「形が似ている」というフシギをわかるための一つのアプローチの仕方で、そのさらに奥には「似ている」ということを面白く感じる人間の脳のフシギがある。解剖学は解剖そのもののためにあるのではなくて、形が似ている、というフシギ、そして形が似ていること自体を面白いと感じる人間のフシギ、これをわかるためのあるのかもしれない。そう理解することで、本書の輪郭がボンヤリとわかった気がする。
そういえば、南伸坊には「本人の人々」という名(迷?)著がある。顔が似ているのは可笑しい。なぜだか理由はわからないが、ともかく似ているだけで可笑しい。してみると、養老孟司と南伸坊、実は根っこはとても近しいのではないだろうか。
本作のセッションも非常に気があっているように思う。気が合いすぎてガンガン飛ばしすぎて、多少、読者がおいてきぼりになり気味である。その点が少々難ではある。