戻る

前ページ   次ページ

和書 882814 (48)



漢詩と日本人 (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

本書で改めて、日本に生きる私たちの言語生活の来歴に思いを深くいたしました。古来より言語を練り上げてきた最先端の文化人または表現者は、大和言葉による表現と漢語による表現を並行して行ってきたのでした。それは明治においても夏目漱石や正岡子規、森鴎外が漢詩を残し、しかもレベルの高い作品に仕上げていたという事実にも示されています。

 大陸の高度な文明の象徴たる文字の受容は、日本人の言語生活を二重化したわけで、現代に生きる私たちが使う言葉の中にも練り込まれています。言葉を磨いていくためにもあらためて、日本における漢文の伝統をもういちど取り戻したいものです。

 本書で言及されている『唐詩国字解』は平凡社版で読めます。早速読み始めましたが、「~まずは手柄ぢゃ」などという言葉遣いも味があって楽しいです。本書の後に読んでみると興味が深まります。




漢字道楽 (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

イタリアで漢字を教えるという話があります。
海外に行ったときに、漢字の成り立ち、由来、日本の漢字と中国の漢字の違いなど、説明するとすごく喜ばれます。
この本に書かれている外の話題も知っていて、簡単に紹介すると喜ばれることがあります。
国際人とは、英語が話せる人ではなく、自分の国の文化を、他の国の人に説明できる人のことだと思っています。真の国際人になるために、漢字の歴史や小ネタを説明できるようになりたいものです。
コンピュータと漢字では、文字鏡フォントについて触れられていない理由はわからない。





感性の覚醒―近代情念論の再検討を通じて (同時代ライブラリー (322))
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






カント『純粋理性批判』入門 (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

私も下のレヴュアーの方と同意見で、これだけで“純粋理性批判”が読めるようになるとは到底思えません。 実際にお試しになった方も多いと思うのですが、読めるでしょうか? しかし−しかしです、そもそも“純粋理性批判”という本に、何が書いてあるのかさえ理解できない(私のような)読者にとっては、初めの一歩としてありがたい本なのです。 感性と悟性、ア・プリオリとア・ポステリオリ、物自体と現象、超越論とカテゴリーなどのキーワードから、“純粋理性批判”が生まれるまでの“沈黙の10年”、さらにはその後のカントの“力の減退”から来る思想的変遷など(これは黒崎氏の持論のようですが)も鋭い考察なのではないかと思います。

それに1足す1は2というのは真実なのか?という素朴な疑問が、筆者のカントへの入り口だったとの記述には納得させられました。 こういう疑問に答えてくれないのであれば、哲学というものはまさに我々一般人の人生と何の接点もないということになり、人生とまったく関係のない哲学など哲学とは言えないと思います(いわゆる役に立つ立たないは別として)。 “純粋理性批判”自体はまだ無理だとしても、もう少しカント哲学とは何か−を知りたい方にはちくま新書の“カント入門”をお薦めします。 むしろこの“カント純粋理性批判入門”を読んだ後のほうが、そちらの方もくっきりはっきり分かります。




関東軍 (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

先日、小泉首相は関東軍なのか?という外国メディアによる記事が出た。
これを読んだ殆どの人は、その意味がわからなかったのではないだろうか?
関東軍は日本の関東地方とは関係ない。
日露戦争で日本が租借した大連・旅順を含む地方のことを
関東州と呼んだことにその起源がある。

その関東州と南満州鉄道沿線を警備する役目を担っていたのが関東軍である。

関東軍は僅か一万の兵力ながら、満州における日本の権益確保のため
全満州を相手に満州事変を起こし、武力攻勢に打って出た。
日本首脳部はこの独断専行を追認し、長い戦争に突入していく。

何故関東軍はこんな大胆不敵な賭けに打って出られたのか?

そして何故日本首脳部は彼らの暴走を止められなかったのか?
少数のタカ派の暴走が日本、いやアジア全土を巻き込む大事となることを
関東軍の歴史は現在の私たちに教えてくれる。
そういう意味でオリジナルの関東軍を知ることは
現代において必須なのではなかろうか?




学生と読む『三四郎』 (新潮選書)
販売元: 新潮社

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

 《成城大学という場で、ある教授が学生たちに文学を教える行為をめぐる詳細な記述》を読むことを通じて、読者は「文学を学ぶことの意味」もっと言えば「人生を生きる意味」について深く向き合わざるを得ない構造を持った本である。

 実際に『三四郎』を「読み」始めるのは後半過ぎからであり、話の内容もいろいろな方面に飛び、良く言えばダイナミック、悪く言えば散漫ということにもなろうが、大学の講義とは元々こういうもの。学生時代を思い出しながら、非常に楽しく読んだ。

 特に一人の教育者として、学生に向けた厳しくも優しい眼差しには読みながら何回も心を打たれた。著者と同じように、登場した学生たちの将来に幸あれと願わずにはいられない。

 若干、著者の自意識の高さが鼻につくところも散見されるが、それはご愛嬌。純粋に読書の醍醐味を楽しむ意味でも、文学理論の基礎を学ぶ意味でも、有意義な教育論として読む意味でも、そして若者たちの成長物語としても、価値のある一冊である。




学問はおもしろい―“知の人生”へどう出発したか (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

   それぞれの著者の、人生を引きずった語り口の違い(永井均とか高山宏とか町田宗鳳とか)がおもしろく、とりあえず一気に通読できたけれども、興味が持てたのは三分の一くらい。それも学問とは関係のないところで「おもしろい」と感じてしまいました。

 したがって、表題通りに「学問はおもしろい」と感じ、副題通りに「<知の人生>へ出発」する人が出るかは少々疑わしい。学問のおもしろさを、こういう有名な学者たちの半生を綴ったような文章から感じとることは難しいし、もしもそこに学問のおもしろさを嗅ぎ取ってしまった人がいたとしても、そういう人こそ学者にはふさわしくないような気がします。

 この本のもっとふさわしい題名は「大学教授はやめられない」でしょうか。「ホームレスはやめられない」とか、あるいは「不法入国はスリリング」や「結婚詐欺で食べていける」などの「おもしろさ」と質は同じだと思います。ということで、もしもこの23人の著者のなかの誰かのファンであって、その人だけが目当てだというならば、立ち読みで十分でしょう。




学歴社会 新しい文明病 (同時代ライブラリー)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






学歴の社会史―教育と日本の近代 (新潮選書)
販売元: 新潮社

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






学校教科書 (1982年) (朝日選書〈213〉)
販売元: 朝日新聞社

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)




前ページ   次ページ

戻る

仮想世界 - シューティング/レース/電車ゲーム フライトシミュレータ