遡って1971年、キースがまだコロンビアと契約していた頃、ソロ・ピアノ2作をライブでやった後契約を一方的に打ち切られたという事があり、その前に当時は全く無名だったECMのマンフレート・アイヒャーからレコーディングの3つの企画提案を受けていた。その3つというのは、
1.チック・コリア、ゲイリー・ピーコック、デイブ・ホランドとの2台のピアノと2台のベースとのレコーディング
2.ソロ・ピアノのレコーディング
3.ゲィリー・ピーコック、ジャック・ディジョネットとのトリオのレコーディング
である。そのうちの2が1971年11月10日オスロで吹き込まれた『フェイシング・ユー』であり、3が3人の名前で吹き込まれたのは本作および3つ子の2作ということで、その12年後!ということになる。(ゲイリー・ピーコックの『Tales Of Another』は別として)
このユニットがライブでなくスタジオで3作を作ったというところにまず重要なポイントがある。また、2作がスタンダード・ナンバー、1作がオリジナルというのも後のスタンダーズの活動の青写真を見ているようで極めて興味深い。1と2はメンバーおよびアイヒャーの意見でどのように並べる事も出来たのだろう。この後『スビリッツ』という癒しの期間が85年の5月から6月にかけての4週間あり、そこからすぐにスタンダーズのライブが延々と続くようになる。そう考えると、『スビリッツ』以前の自分の中でこのスタンダーズというユニットの可能性と重要性にキース自身が気がついたと言う事でもあるようだ。
個人的にはスタンダース2の演奏、特に『So Tender』が最も好きな演奏だ。
遡って1971年、キースがまだコロンビアと契約していた頃、ソロ・ピアノ2作をライブでやった後契約を一方的に打ち切られたという事があり、その前に当時は全く無名だったECMのマンフレート・アイヒャーからレコーディングの3つの企画提案を受けていた。その3つというのは、
1.チック・コリア、ゲイリー・ピーコック、デイブ・ホランドとの2台のピアノと2台のベースとのレコーディング
2.ソロ・ピアノのレコーディング
3.ゲィリー・ピーコック、ジャック・ディジョネットとのトリオのレコーディング
である。そのうちの2が1971年11月10日オスロで吹き込まれた『フェイシング・ユー』であり、3が3人の名前で吹き込まれたのは本作および3つ子の2作ということで、その12年後!ということになる。(ゲイリー・ピーコックの『Tales Of Another』は別として)
このユニットがライブでなくスタジオで3作を作ったというところにまず重要なポイントがある。また、2作がスタンダード・ナンバー、1作がオリジナルというのも後のスタンダーズの活動の青写真を見ているようで極めて興味深い。1と2はメンバーおよびアイヒャーの意見でどのように並べる事も出来たのだろう。この後『スビリッツ』という癒しの期間が85年の5月から6月にかけての4週間あり、そこからすぐにスタンダーズのライブが延々と続くようになる。そう考えると、『スビリッツ』以前の自分の中でこのスタンダーズというユニットの可能性と重要性にキース自身が気がついたと言う事でもあるようだ。
個人的にはスタンダース2の演奏、特に『So Tender』が最も好きな演奏だ。