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ミュージック 575170 (341)



ワーグナー:楽劇「ラインの黄金」
販売元: ユニバーサルクラシック

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ワーグナー:歌劇「ローエングリン」
販売元: アイヴィ

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我が心のセビリャ
販売元: ポリドール

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我が祖国
販売元: EMIミュージック・ジャパン

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ワルキューレ*楽劇
販売元: ポリドール

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ワルキューレ*楽劇
販売元: EMIミュージック・ジャパン

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ワルトビューネ1997~サンクト・ペテルブルク・ナイト~
販売元: EMIミュージック・ジャパン

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ワーグナー 楽劇《神々の黄昏》
販売元: TDKコア

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既成概念に対して、徹底して対抗するシュトゥットガルトの指環。演奏や歌手は2流だが、演出は超1流である。この「神々の黄昏」は結論から言うと、さすが鬼才コンヴィチュニー演出だという印象だ。一部だけ内容に触れておくと、たとえば第2幕、ハーゲンの家臣たちが登場する場面、ハーゲンもだが、家臣たちまで何と全員がスーツ姿で大合唱する。家臣たちが当初呼び集めたハーゲンの意図がわからないで騒いでいる場面なだけに、この演出は効果絶大である。これはまさに現代社会の縮図で、私たちが社会人として組織の長の考えを理解できないまま、とりあえず団体行動を起こしている姿に対する痛烈な皮肉とメッセージが込められている。これは第1幕の前半で動物の毛皮をまとったジークフリートの姿が第1幕後半から第3幕の絶命するまでの間、Yシャツ&ネクタイ姿になる展開にもよく現れている。清楚な格好をしていても、大切な何かを忘れたまま生きてる現代人そのものなのである。特に第3幕のライン川のほとりで熊を追いかけて登場するジークフリートの姿と第1幕の最初のジークフリートの姿との鮮烈な対比が素晴らしい。このほかにも随所で多数のメッセージがこめられており、各々で探してもらいたい。コンヴィチュニーは演出はクセのある変化球だが、メッセージは直球勝負。そのメッセージを受け取れるかが評価の分かれ目だろう。




ワーグナー 歌劇《ローエングリン》
販売元: TDKコア

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ワーグナー:楽劇《ジークフリート》全曲
販売元: ユニバーサル ミュージック クラシック

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輸入盤レビューより改訂
日本語で分りやすいのでお薦めです。
出た当初ノートゥング自動生成装置と揶揄されたジークフリート
しかし、よく考えるとシェローはジークフリートの台詞「親方の出来ないものを親方と同じやり方を踏襲していては出来るわけがない」の具現化をしているに過ぎない。ワーグナーの時代は産業革命は甚だしく全てが変革をしている時代であった。それは今でも変わらない。古い価値観が壊れ行きつつ昔の知識は役に立たないとまでワーグナーはジークフリートにて代弁する。
 ジークフリート、ミーメ、エルダ、ヴォータンもこのテーマにおいて同じことを言う。これは台詞上での表現にしかず劇場では絶対に表現できない。
 が、シェローはノートゥングで表現する。
 ミーメのハンス・ツェドニクも光ってる(ラインの黄金ではローゲ役だがこれも異彩を放っていた。)指環の執着願望がミーメの精神の崩壊に拍車をかけ(新しいものを受け入れられない精神状態も伏線にある)ジークフリートの義父殺害もある意味安楽死に近くなる。
 ファフナーもドラゴンドラゴンしてわかり易い。シェローは日本の演劇にも造詣があるそぶりがみえる。黒子という考え方を導入し、ドラゴンを無用に大きくしない。(ワルキューレの第三幕では暗黒舞踏のイメージさえある)
 自由の象徴である鳥が籠の中に閉じ込められジークフリートがそれを開放にしても、意味深い。
 ワルキューレにて眠りについたブリュンヒルデの灰色の中性的制服衣装が「白く」女性的に変わっているのが眼を引く。少女から女の変化を現している。
そういう意味以外では第三幕の全体は音的に盛り上がるけれど魅せ場無い。
この場合ブーレーズの音に委ねよう。



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