2005/8/19作成   

海外旅行 旅行記 パリ (フランス)

海外旅行 旅行記 ローマ (イタリア) から続く

1996年1月

1.ディジョンにて

 イタリアのトリノから夜行急行に乗り、眠っていた。途中、入国審査官に起こされたが、すぐに深い眠りに就いた。 「ピーピーピーピーピーピーピーピー」。ビックリして目が覚めた。同じコンパートメントに居合わせた女性2人も目を覚ました。まだ夜明けだ。 「そうだ。降り損ねないように自分で目覚まし時計をセットしていたのだ」と思い出し、おもわず「Oh, sorry !」と叫んで慌てて止めた。 そのまま乗り続けてもパリまで行けるが、ディジョンで降りた。パリ行くのに、一部、TGVを使ってみようと思ったからだ。 特急券の自動券売機で空席状況をみてみると、正午頃まで満席だった。ショック! 今日、パリで活動できる時間が少ししかない。

 気を取り直し、正午頃の特急券を買ってから街に出て、観光案内所でディジョン観光の順路みたいな資料をもらった。 マクドナルドがあったので、観光の前に何か食べようと思って入ってみると、 売り子はどうみても東南アジア系の東洋人の若い女性だったが、英語は全くわからず、フランス語でいろいろ言って来た。 フランス生まれかもしれないが、ひょっとすると、他の国で生まれ、英語は無視してフランス語だけ学習したのかもしれず、そう思うと奇妙に感じた。 日本に居ると、英語は無視して他の外国語を学習するのは奇妙に感じるが、それは単に日本がアメリカべったりだからなのかもしれない。 結局、奥から英語のわかる人が出て来て、食物が10時までないとわかり、私は近くにあるベイカリーショップみたいなところでパンを買った。

 それから、観光案内所でもらった資料に従って巡ったが、フランスの文化に疎い私には、あまり意味がわからなかった。 順路の後半に入り、トイレに行きたくなったので見渡すと、丁度、5階建くらいのショッピングセンターがあったのでそこに入った。 ショッピングセンター内は、フランス人女性ばかりだった(当たり前だが...) 日本では、フランス人(映画俳優だけかもしれないが)をありがたがる風潮があるみたいだが、それが奇異に思えて来た。 フランス人といえども、フランスでは、どこにでもいるありふれた人達なんだけどなあ...

2.TGVに乗って

 順路をまわり終え、ディジョンの駅に着いてしばらく休むと、発車時刻が近づい来た。 ホームに行くと、案内板には、ホームのどちら側の列車についても同じ列車名が表示されていた。 「??? 一体どっちに乗ればいいんだ?」 わけがわからなくなり、近くの人に特急券を見せると、進行方向左側の列車を指されたので、それに乗った。 発車時刻になると、もう一つの列車の方が先に発車した(この理由はあとでわかる)。 しばらくすると、自分の乗っている列車も発車し、かなり速くなって来たが、周りは田んぼばっかりで速さが実感できない。 道路をくぐる瞬間だけ、橋桁がそばを通るので確かに 300km/h くらい出ていることが実感できた。 パリ(リヨン駅(Gare de Lyon))に着いて降りてみると、列車の前方の車両数がディジョンのときよりずっと増えていた。 これでディジョンでの謎が解けた。 先に発車させた右側の列車を、すぐにバックさせて、左側の列車の前につないでいたのだ。だから2つの列車名が同じだったのだ。 しかし、そんな作業で時間を浪費したら300km/h出す意味がないだろうと思った(右側の列車が発車する前に乗らなければならず拘束時間は長いままだから)。

3.パリにて

 その後、駅のコンコース内にある観光案内所で市内地図(有料)をもらい、 それを眺めては「チャンプスエリシース? 聞いたことないなあ」とか思っていたが、 よく見ると、名前だけはフランス語で書かれていることがわかり、「シャンプセリス?」 「なんだシャンゼリゼか」とやっと気づいた。 日が暮れてきたので、ガイドブックから選んだホテルに行くと、今夜は満室で明日から空くと言われ、他のホテルをかなり広い範囲歩いて捜し、 それほど高くないホテル(ただし風呂は、共同でしかも有料)を見つけた(それでも7000円くらいした)。宿泊の手続きをすると、その日は寝た。

 次の日は、今のホテルは場所が不便なので、まず、昨夜「明日から空く」と言われたホテルに行き、宿泊の手続きをして荷物を預かってもらった。 その後、セーヌ川まで行って、川の南側を歩き、ノートルダム寺院を眺めて、ポン・ヌフ橋あたりまで行った。 本当はそのままルーヴル美術館に行きたかったのが、その日は年末年始の休館日でまだ入れないので、南に曲がって路地に入って行った。 歩いていると、ステーキハウスのようなレストランの前を通り掛かり、値段もそこそこなのでそこに入った。 1500円くらいのコースがあったのでそれを頼むと、何番目かに、ジャガイモか何かを粉状に削って山盛りにしたようなものが出て来た。 どうやって食べるものかわからなかったので様々な食べ方をしていると、店長兼コックが「No No No No」と言いながら飛んで来た。 私が「これは何だ?」と聞くと、彼は「シモニ」とか何とか言って「パスタみたいなもの」と言い、食べ方の説明をしてくれた。 メインの肉料理は味はそこそこ美味しかった。コースの値段は日本とあまり変わらないが、量は日本よりずっと多いので、日本より割安かなと思った。 その日はそのままホテルに帰って寝た。

 次の日は、ポン・ヌフ橋まで昨日と同じ道を歩き、ポン・ヌフ橋を渡ってルーヴル美術館に行った。 入口がピラミッドみたいな形になっていて、中に入ると地下に下りる階段があった。 地下に下りると、そこはコンコースのようになっていて、入場券の売り場もそこにあった。 入場券を買って中に入ると、複数階に分かれていて、その1つにテレビや写真でお馴染みの絵があった。「モナ・リザ」だ。 大きさはあまり大きくない。縦も1mなかったと思う。 シーズン中は人が群がっていて中々見れないらしいが、冬だからか大して人がいなかったので、至近距離で何度も見れた。 その後、見てまわり、ゴッホの絵の本物とか、「フランダースの犬」でよく話に出て来たルーベンスの絵とか見れて楽しめたのだが、 あまりの広さに段々疲れて来て、ざっと目を通すだけとか、いくつか見ずにとばすとかするようになった。 ルーヴル美術館は、実は、複数階に分かれているだけでなく、左右にも1つずつ別館があり、展示室の数が異常に多いのだ。 大きな小学校(小さい小学校なら2校分)の校舎のすべての部屋が展示室になっている感じに近い。 ルーヴル美術館は、時間的なことだけ考えれば、朝から行けば1日で全部見れるかもしれないが、体力がもたないので、 本当に全部見たい人は、何日か用意しておいた方がいいと思う。

 ルーヴル美術館を出て西に行き、コンコルド広場を抜けると、有名な通りに出た。

 

シャンゼリゼ通りだ。

木が電飾で飾られている。


 

歩いていると、右(北側)に娯楽施設が見えた。

フランの手持ちが減って来たので、少し両替しておいた方がいいかなと思っていたが、 この娯楽施設には、両替所もあった。 日本円からフランに変えるレートが駅の両替所よりもよかったので、少し両替した。


 

さらに歩くと、正面に凱旋門が見えて来た。


 凱旋門から地下鉄に乗って Bir Hakeim 駅で降り、そこから歩いてエッフェル塔まで行った。 入場券を買って、塔の天辺にある展望台まで昇り、外を眺めた。

 

綺麗な夜景だ。

[注] 安価なカメラで撮ったフィルムからおこしているので、
      写真では綺麗に見えませんが、実物は綺麗です。

シャンゼリゼ通りが光の帯になっている。
その帯の左端には凱旋門も見える。


 充分眺めたので、展望台から降りて、地下鉄で帰ったが、最寄り駅とは違う駅で降りて歩いてみた。光の弱い街灯しかない。 そういえば、さっきエッフェル塔から眺めたときも、余程大きな通り以外には、ネオンサインらしきものが見えなかった。 日本の都市とは違う。意識的にそうしているのかもしれないと思った。

 ホテルに着くと、その日は寝て、次の日、帰国した。
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