1995年12月〜1996年1月
1.経由地のフランスにて
ソウル経由でパリのシャルル・ド・ゴール空港に着いた。 入国審査で窓口に行くと、審査官がパスポートの写真と私の顔を何度も見比べ、しきりに首を捻っていた。 パスポートの写真を撮った頃から髪型を変えていたのだが、西洋人には東洋人の顔は簡単には判別できないようだ。 結局、首を捻りながらも通してもらえた。そこから、エール・ウー・エール(近郊電車)とメトロでパリのリヨン駅に行った。 イタリア方面で時間的に合うのが、名前もないような平凡な夜行急行しかなかったが、 仕方ないのでミラノまで切符を買い(座席の予約はせず)、ホームに行って車掌か駅員らしき人に切符を見せると、打刻するように言われた。 あとで知ったのだが、ヨーロッパの鉄道は、有効期間内か否かを打刻した日付を見て判断するため、 打刻のない切符は不正乗車とみなされるらしい(みなさん、打刻忘れに注意しましょう)。 列車に乗ると、6席で1部屋のコンパートメントで構成されていて、空席も結構残っていて楽々座れた。 同室には、自分の他に、若い男性1人と若い女性2人が乗っていた。
列車が発車すると、知らないうちに眠り、途中何度か目を覚ましたもののすぐに眠ってウトウトしていると、部屋のドアがガラーと開いた。 車掌だ。私以外の3人は、1秒の経たないうちに、切符をどこからともなくサッと出した。 それにしても早かった。ヨーロッパには、切符を一瞬で出せるようにしておく習慣でもあるのだろうか?
2.夜行列車で見かけたちょっとした事件(不法入国未遂)
検札が終わって眠ると、大して時間が経たないうちに、また部屋のドアがガラーと開いた。イタリアの入国審査官だ。 ところが今度は、同室の男性がずっと眠っていた。入国審査官がおどけてその男の顔の真ん前でいろんなパフォーマンスをしてみせたが、 その男は眠ったままだった。どう見ても眠っているふりをしているようにしか見えない。入国審査官がその男を無理矢理起こすと、 その男は目を覚ましたが、入国審査官がいろいろ質問すると、その男は、今はパスポートを持っていないと答え、 自分がイタリア人だと答えながらイタリア語が話せず、すべて英語で答えていた。結局、その男は、次の駅で降ろされた。 ホームに駅名標らしきものが見え、「モダーヌ」と書かれているように見えた。あとで調べてみたところ国境のようだ。 その駅を発車すると、再度、入国審査官が部屋に来て、今度は、私を含む残り3人の審査をしたのだが、表情が厳しくなっていた。
3.ローマまでの移動とホテルでの出来事
ミラノに着いたので降りて駅の外に出ると、もの凄い雪で、恐ろしく寒かった。 ミラノを見物してから行こうと思っていたが、この雪とこの寒さはかなわないと思い、すぐに列車でローマに向かった。 ローマには定刻から1時間以上遅れて着き、すっかり夜になっていた。 コンコースで両替所を捜していると、政府の観光担当の職員が尋ねて来たので、両替所を捜していると答えると、 「今日は閉まっている。今日は大晦日。わかってる?」と言われた。 私がミラノでは開いてたと言うと、ミラノまで戻って両替するとでも言うのかと言われ、 リラでいくら持っているのか尋ねられたので答えると、「Oh. Very little.」と言われた。 私がJCBの使えるホテルを知らないか尋ねると、JCBは日本ではメジャーだがイタリアでは違うと言われたが、 空室が今もありそうなところを1軒だけ知っているとのことで教えてくれた。 そこへ行ってみると、料金の高い部屋は空いているが、通常の部屋は満室だと言われた。 しかしここで、何とかならないかとかなり粘ったところ、ちょっと変わった部屋に連れて行かれた。 部屋自体は通常の客室だが、荷物が数個置いてあり、ベッドはソファーを折りたたんだものだった。 荷物が片付けられ、今日はここの部屋、明日は普通の部屋、これでどうだ?と尋ねられたので、もちろん喜んでOKした。 ベッドの寝心地は通常のベッドと比べても別に悪くはなかった。 眠る気はなかったが、ベッドに横になると、知らないうちに眠っていた。目が覚めると、零時をまわっていた。 なんという年の越し方をしたんだろうと思った。
4.ローマ観光
次の日、サンピエトロ大聖堂に行くために地下鉄の切符売場に行くと、日本人の親子連れ3人が窓口の人に何かしきりに訴えていた。 どうも、買ったか両替かしたときに渡した札を、1桁少ない札と見間違えられて、つり銭が全然足らないらしいのだが、 日本語で訴えているために窓口の人が理解できないのだ。 彼らは、渡したときの札を見せて「さっと」とか言っていた。窓口の人は、その札が一体どうしたのか理解できないのだろう。 あまりに大変そうなので私が「He paid this.」(正確な文ではないが...)と言うと、やっと理解されたようだが、 やっぱり、簡単な英会話はできないと思わぬことで苦労するだろうなあ、と思った。 地下鉄に乗り、オッタビアーノ駅で降りてしばらく歩くと、テレビや写真でよく見たことのある建物が現れた。
この後、歩いて、スペイン階段、トレビの泉、コロッセオとまわり、コロッセオ駅から地下鉄に乗ってホテルに戻った。
5.フランスに向けて出発
次の日は、ホテルをチェックアウトし、フランスに行くためにテルミニ駅に行った。
テルミニ駅には、飲食店の他、音楽CD店もある。いろいろ見てまわっているうちに昼を過ぎてしまった。
今度は、来た経路を戻らずに海岸線に沿って行くことにし、トリノ行の列車に乗った。 乗ってみると、もの凄い混雑で、通路に人がぎっしりだった。
発車してしばらく走ると、通路側(コンパートメント式なので、通路は中央ではなく片側にある)が海のある側なので、 海に夕日が沈むところがよく見えた。 いずれ混雑がましになるだろうと思っていたが、そんなことはなく、ずっと込んだままだった。 列車がトリノに着くと、夕食をとろうと店に入ったが、英語の全く通じない店だった。 運良く、イタリア語と英語の両方がわかるお客がいて、その人に伝えてもらうことができたが、 白ワインのことを、ドーブリ何とか、とか言っていた。英語とは似ても似つかぬ呼び方だ。 トリノからは、夜行急行に乗り、ディージョンに向かった。
海外旅行 旅行記 パリ (フランス) に続く