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和書 467258 (318)



この国のかたち〈1(1986~1987)〉
販売元: 文藝春秋

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この国のかたち〈2(1988~1989)〉
販売元: 文藝春秋

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第二巻は88年から89年の約2年分を収録している。
当時司馬は65から66歳。

あとがきにこうある。
 
 「この国の習俗・慣習、あるいは思考や行動の基本的な型というものを
  大小となく煮詰め、もしエキスのようなものが取り出せるとすればと
  思い「かたち」を取り出しては大釜に入れているのである。選ぶこと
  と煮詰めることは私のしごとながら、もしよき読者を得るなら、そこ
  から本質的なものをとりだしてもらえるのではないか。」

取り上げられた話題は、教育や仕事や宗教、自然との関わりなど多岐に渡
り、一見とりとめもない。しかも、司馬によってきっちり煮詰められ、そ
れぞれが見事に味付けされているので、どれをとっても完成された美味な
る一品料理である。満足してしまう。
それだけに、これら完成された数々の一品料理から「日本のかたち」を読
者が自身が取り出すのは、相当な努力を要する。

この年齢にもなれば、司馬にはもう答えはわかっていたはずである。
それをあえてこういった形にして、読者に対する謎かけのような形にして、
私たちの前に「さあ、召し上がれ」と出してくれる。

この時期、司馬はもう小説を書くことをやめていたし、
話題的にも過去の作品と重なるところが多いため、
本シリーズは司馬小説の余禄もしくは解説といえなくもない。

が、筆者にはまた、司馬が自身の小説の読者に対して出した
宿題のような気もするのである。
いつかそれの答えがわかるまで、何度も読み直してみたい。




この国のかたち〈2〉 (文春文庫)
販売元: 文藝春秋

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第二巻は88年から89年の約2年分を収録している。
当時司馬は65から66歳。

あとがきにこうある。
 
 「この国の習俗・慣習、あるいは思考や行動の基本的な型というものを
  大小となく煮詰め、もしエキスのようなものが取り出せるとすればと
  思い「かたち」を取り出しては大釜に入れているのである。選ぶこと
  と煮詰めることは私のしごとながら、もしよき読者を得るなら、そこ
  から本質的なものをとりだしてもらえるのではないか。」

取り上げられた話題は、教育や仕事や宗教、自然との関わりなど多岐に渡
り、一見とりとめもない。しかも、司馬によってきっちり煮詰められ、そ
れぞれが見事に味付けされているので、どれをとっても完成された美味な
る一品料理である。満足してしまう。
それだけに、これら完成された数々の一品料理から「日本のかたち」を読
者が自身が取り出すのは、相当な努力を要する。

この年齢にもなれば、司馬にはもう答えはわかっていたはずである。
それをあえてこういった形にして、読者に対する謎かけのような形にして、
私たちの前に「さあ、召し上がれ」と出してくれる。

この時期、司馬はもう小説を書くことをやめていたし、
話題的にも過去の作品と重なるところが多いため、
本シリーズは司馬小説の余禄もしくは解説といえなくもない。

が、筆者にはまた、司馬が自身の小説の読者に対して出した
宿題のような気もするのである。
いつかそれの答えがわかるまで、何度も読み直してみたい。




この国のかたち〈3 1990~1991〉
販売元: 文藝春秋

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第3巻は1990年から91年に書かれたもの。司馬67歳から68歳ごろである。

4巻以降は「司馬史観」の総まとめともいうべき迫力に満ちた論文が多く出てくるが、
ここまではわりと穏やかに、折々に思いついたテーマを散文的に綴っている。
その興味はひろく、知識は該博をきわめていて、どの稿を読んでも面白いが、
あえて言えば朝鮮や中国との関係についての稿がいくつか目に留まった。

司馬には欧米諸国と日本の文化比較についてほとんど言及がない。
かわりに中国や朝鮮との比較については、数多くの考察がある。
それは長い歴史のなかで、日本はこの両国から、
常に巨大な文明の影響を受けて続けてきたからである。
仏教、鉄、稲作、陶器、文字。
明治維新の思想的原動力=尊王攘夷も無論、彼らからの輸入品だ。

逆に日本が中国、朝鮮に与えたものはなんだったか。
倭寇であり、秀吉の朝鮮出兵であり、日韓併合である。
儒教文明を築いた中国、その忠実なる属邦であった朝鮮。
彼らからみた日本という国は、何千年もの間、礼を知らぬ未開の野蛮な国であった。

このあたりの認識は、司馬史観というよりも一般的な歴史認識に属するが、
今日の両国への言及において、司馬を読むときの大前提である。

こんな一文がある。

 「晩年の秀吉の"病気"による禍害は、当時だけでなく、
  こんにちまで隣邦のうらみとして続いているのである。
  やりきれない思いがする。」p79

秀吉は晩年、パラノイアであったのではないか、と司馬は想像している。
ひとりの老人が、彼の国の人たちの日本嫌いの元凶であるとすれば、
たしかにやりきれない、というほかに言葉はない。




この国のかたち〈6〉 (文春文庫)
販売元: 文藝春秋

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長年の連載も、著者の死によりついに絶筆。
奇しくも、未完となった章は「歴史のなかの海軍」。
「竜馬がゆく」「菜の花の沖」「坂の上の雲」など、明治維新の作品では必ず触れられてきた「海軍」には、司馬自身も相当な思い入れがあったと思うが、残念ながら絶筆となってしまいました。
司馬が残した功績は非常に大きなものがありますが、読者というのは欲張りなもの。適わぬ願いとはいえ、司馬の作品や歴史に対する考察をもっともっと読みたかった、と思ってしまう一冊です。




この国のかたち〈6〉1996
販売元: 文藝春秋

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この国のけじめ
販売元: 文藝春秋

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「いや、痛快痛快、先生のおっしゃる通り」という人もいればこんな軽薄な国家論がベストセラーになること自体が許せないという人もいて賛否の別れたベストセラー「国家の品格」をものした藤原先生の講演や他の発表作を集めたものです。生い立ちやご家族に関するエッセイも含まれていますので、おっしゃりたいことは「国家の品格」の方がストレートでしたが、日本人には武士道の悪いものは悪いのだという情理の伝統があり、これは世界に誇れるものであったのに戦後の占領政策によってすっかり骨抜きにされてしまい、経済発展至上主義に害され惻隠の情を忘れ、日本人はどこにいってしまったのかというのが大骨子となっています。あちらこちらにある逆説的な例証もニヤリとさせられたり、先生そこまでいってもいいのというところもあります。 それはともかく「国家の品格」を読んでも私が痛く同感しましたのは、小学校から英語を習わせることで国際人を養成できるという過誤にはっきりと反対し、それよりも国語、さらに言えばもっと本を読まにゃあかんとおっしゃっている点、これに大賛成です。
 読書は深みや、翳り、落ち着きなどの人の味をかもし出してくれる、まあ人生の調味料のようなもの。それがなくても別にかまわないといえばその通りですが、やはり賞味があるほうがよろしいわけで。
いずれにしても1,2時間で読める本ですのでそれぞれの「日本人とは」を語るのにお読みになることをお勧めしますが、最初にいいましたように著作の品格としては「国家の品格」の方が上でしょう。
作者はオックスフォードで教えていたりしたこともある国際派の数学者であり、本書の冒頭で紹介されていますが父上は「富士山頂」というドキュメンタリータッチの名作の作者、新田次郎氏です。新田次郎さんは強い意志でことを貫いていく骨太の男性を描くことがお得意でその日本武士の矜持がご子息にうけつながれていると思いました。





この国のなくしもの―何がわれらを去勢したのか
販売元: PHP研究所

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この国のはじまりについて―司馬遼太郎対話選集〈1〉 (文春文庫)
販売元: 文藝春秋

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わたしの友人に静岡のヤツがいまして、こいつが京都にいるとき「関西のテレビはつまらない」なんてぬかしやがった。テレビ大好き人間のこっちがなぜだと訊くと、答えて曰く「東に比べトークの量が多すぎる」、だって。ふぅ・・・何が面白いって、なによりトークがおもろいんやないか!
言われてみると、たしかに関西の人間は「喫茶店の会話」というのが好きですね。漫才なんかでも、しゅべくるタイプだろうがぼやくタイプだろうがこの「喫茶店の会話」風のセンス、スタイルを踏まえてないと、どうもうけない。よしんばうけても、好かれない。その点司馬先生も関西人です。だから楽しいですよぉ、この対話集は。
「浄土宗は弥生的だ」なんていう突拍子もない自在な歴史認識の面白さもさることながら、読んでいて近所の喫茶店の常連さんの会話に混ぜてもらっているような、そんな気になるところがなんとも心憎い。そのためか「この国のはじまり」も、なにやらおらが町の昔話のようにおもえてきます(特に本書で語られる北条政子像は、一般の彼女のイメージより随分身近に感じられます)。この辺は「トークしかない本」の真骨頂かもしれませんね。




この国のアルバム―富良野風話
販売元: 理論社

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 本書は著者の最新エッセイ集。シリーズとしての「富良野風話」はこれまでも様々な問題を提言してきましたが、本書でもゴミ問題からイラク問題まで、自然の中に暮らす著者だからこそ見えてきたもの、現代の日本が見失ってしまった大切なものなど、倉本氏の想いが詰まっている一冊です。


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