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和書 492116 (210)



日本文化のかくれた形(かた) (岩波現代文庫)
販売元: 岩波書店

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ハイデガー (岩波現代文庫)
販売元: 岩波書店

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ハイデガーの主著『存在と時間』が、実は二部構成のうち、第一部の第二章までしか終わっていないというこぼれ話から始まる。あれほど後世の哲学に影響を与えた大著が、未完の大作だとは、おどろきである。

しかし木田氏は、その「未完の大作」である『存在と時間』の第一部第三篇「時間と存在」以降に書かれるべきだった「基礎存在論」が書かれたならば、それはいったいどのようなものであるかを考えた。後期ハイデガーの文献を丹念に精査し、ありうべき後期『存在と時間』の擬似的な復元を試みようとする。そしてついに、『現象学の根本問題』の内容が、概ね『存在と時間』の構成と逆対応関係にあることを、彼は突き止めたのだった。

この木田氏の興味深い問題意識を比較的平易な解説で追いつつ、前期から後期にかけてのハイデガーの着眼点が、文庫一冊の分量でお手軽に通覧できる。これはそれなりに魅力的である。ただ、現象学・解釈学の専門用語が省略なしでちりばめられているため、少々読みにくいかもしれない。

読書欲はあるけれど、『存在と時間』はさすがにちょっとね……という方にはうってつけ。それ以外の方は、用途に合わせて要検討されたし。




ハイデガー『存在と時間』の構築 (岩波現代文庫―学術)
販売元: 岩波書店

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『存在と時間』が完成されていたらどのような本になっていたのか、というのを木田先生が想像して再構成したといいますか、1927年にマ−ルブルク大学で行なった講義『現象学の根本問題』を元に、バラバラになったパーツを組み直してみました、という感じの本。

 実存哲学だと思われている『存在と時間』は、実は『存在論史』のような哲学史の本で、西洋哲学そのものである形而上学的思考の限界を書きたかったのではないかみたいな感じで、ひっかかりまくっていた「現存在」とか「世界内存在」とか「存在了解」という概念が生物学的な知見から来ているということを木田先生何回も書いてくれたおかげで、なんとか引き寄せて理解できるようになっただけでもありがたいですが、この本では「時間性」に関しても木田先生流の理解ができるようになったと思います。例えば、《時間性は本来的にも生起する。第一章でも見たように、おのれの本来的な全体存在可能を気にかける現存在にあっては、将来はおのれの死への「先駆的覚悟性」として、既存おのれの事実的被投性の反復として、そして現在はおのれの置かれた歴史的状況を豁然と直視する「瞬間」として生起する。ここでは、将来・既存・現在という脱自態が緊密に連関しあい、将来が圧倒的な優位に立つ》みたいなところ。




果てしなき探求(上) -知的自伝ー (岩波現代文庫)
販売元: 岩波書店

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恥ずかしながらこの本を読むまで,私はカール・R.ポパーという人物のことを知りませんでした.
今というタイミングが自分にとって良かったのか,悪かったのかわかりませんが,とにかくポパーを知ることが出来て良かったと思いました.

彼の思考の過程・哲学的問答は難解で,まだ十分に理解できていませんが,前半の科学的発見に関する幾多の記述には,肝に銘じておきたいことばかりでありました.
とくに,ポパー自身も強烈な出来事になったと綴っているアインシュタインの科学的態度に関する章は,私自身衝撃を受けた.

カール・R.ポパー ・・・今後,彼の著書を傍らに置きつつ,研究者としてやっていきたいと決意させるぐらいの衝撃を私に与えた本でした.




果てしなき探求〈下〉―知的自伝 (岩波現代文庫)
販売元: 岩波書店

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科学理論における進歩史観を再考するターニング・ポイントとなったクーン、ファイヤアーベントとは一線を画す、
内在的進歩史観の持ち主、ポパーの愉快な自伝である。

「科学理論は常に仮説または推測にとどまる」
科学理論とは「立証された」仮説ではなく、「永遠の」仮説に過ぎない。
科学理論が演繹的な体系(全称的理論)であるにも関わらず、観察は単称言明であり、
どんなに観察を重ねても、全称的理論は単称言明から導出できないからである。

ポパーのわかりやすさは、科学理論は観察可能な諸事実と衝突しうるので、単称言明によって反駁されうると考え、
科学理論を帰納体系から演繹体系へと再定義したうえで、科学と似非科学の境界を「反証可能性の有無」だと咀嚼したことである。
不断に変化し、永久に決定的でない、批判的議論の結論が「その時代の科学」と述べ、不可逆的な進歩史観を肯定したポパーであるが、
自身の境界設定基準(反証可能=科学、反証不可能=似非科学)が反証不可能であるという陥穽に至ってしまう・・・

異なる理論体系間では、同一の専門用語であっても同義ではなく、単純な包含関係にはない(共約不可能性)うえ、
専門用語を有機的に結びつける論理学にも共約不可能性を埋め合わせる術がない以上、進歩史観への盲信は慎まれなくてはならない。
それにしても、ヴィトゲンシュタインとの会合の顛末には笑ってしまった・・・




パサージュ論 (岩波現代文庫)
販売元: 岩波書店

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パサージュ論 第2巻 (岩波現代文庫)
販売元: 岩波書店

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パサージュ論 第3巻 (岩波現代文庫)
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パサージュ論 第4巻 (岩波現代文庫)
販売元: 岩波書店

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福沢諭吉『文明論之概略』精読 (岩波現代文庫―学術)
販売元: 岩波書店

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 子安は古典を読む態度を二つに分類している。一つは教養的、普遍的な読書の対象としての古典であり、もう一つは歴史的な限定をともなった読書の対象としての古典である。
 先は丸山が『文明論之概略』を、歴史的な限定から切り離して古典一般としてとらえた読書であって、もしそのようにとらえるならば、「興味も面白さも大幅に減少してしま」い、「教養的な読書ということ以上の意味をそこから期待しえない」という。「もしそのような古典として読んだら、これはつまらない読み物でしかない」し、「そのような古典として『概略』の講説もまた、ただ退屈な教養主義的なお談義でしかないことになる」と丸山を酷評する。
後は、子安の立場であり、『文明論之概略』は歴史的に限定された「日本の近代黎明期の著作として、初めてわれわれに意味を投げかけてくる」と著者は主張する。
 現在のわれわれは、世界と歴史のおおきな転換期に直面している。近代の黎明期にあって、『概略』ははっきりとした文明論的な日本の設計を最初に提示した書である。はっきりした設計とは、近代日本の形成についての明白な指針の提示であって、「大きな世界の転換に直面している現在、この文明論的な日本の設計を読み直す意味がある」、と子安はいう。福沢の設計とはどんなものあったのか。転換期における日本の設計を、どう考えなければならないのか。このような問いとともに『概略』の読み直しはなされなければならない、こう子安は語る。
 実学の福沢を教養の和辻が批評し、その和辻を教養の丸山は批評した。そしてその丸山を歴史の子安は批評しようとしている。ある意味では、実学の福沢が歴史の子安において生き返ったとも言うことができる。だが、子安はこれを真の意味で実現しているであろうか。



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