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和書 492132 (159)



文化の解釈学〈2〉 (岩波現代選書)
販売元: 岩波書店

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未開と文明 (岩波現代選書)
販売元: 岩波書店

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儀礼の象徴性 (岩波現代文庫)
販売元: 岩波書店

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「人間はなぜあいさつをするのか」という単純な疑問を動機としてこの本を購入したのだが、その中身といえば、出発点となる「儀式」「儀礼」の定義から始まり、そこから派生していく体系の複雑さ、そして多角的な論点を丁寧に整理して発展させていくゆえ、非常に学術性の濃い内容となっている。

社会を、日常と非日常(儀式)の対立とするのではなく、「儀式」と「遊び」の間に位置するものと捉え、ヒトはどちらにも偏りすぎず、バランスをとりながら、社会秩序が保たれている。日常の不確実性ゆえ、ヒトは「真実」を求め儀礼に関わり、反動として「嘘」を求め遊びに接するという。
また儀式の強い拘束性ゆえ、それは国家の発生以前から存在し、そして、儀式を盛大に発展させていった政治組織が、国家の起源でもある。儀式は、パフォーマンスや何らかのメッセージを発信するゆえ、国家の統合に不可欠なものであり、常に新たな創造や補強を繰り返していく。しかし、儀式は拘束だけでなく、地位といった社会的束縛からの解放を与えるものでもある。

このように、儀礼や儀式は、語るうえで分析すればするほど、「両義性」「矛盾性」という言葉とは切り離せないに関係であることがわかる。
「人間はなぜあいさつをするのか」といった単純な疑問から「人間は儀式的動物である」という命題まで扱う本書の儀式、儀礼への論理的追求は、誠に多くの知識と教養を与えてくれる有用な書である。




知の遠近法 (岩波現代文庫)
販売元: 岩波書店

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南島イデオロギーの発生―柳田国男と植民地主義 (岩波現代文庫)
販売元: 岩波書店

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日本文化のかくれた形(かた) (岩波現代文庫)
販売元: 岩波書店

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文化と両義性 (岩波現代文庫)
販売元: 岩波書店

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1975年に岩波書店から刊行されたものの文庫化。
「『文化と両義性』はそれゆえ、文化の様々の局面での異(=外部性)の問題を論じる試みであった」(本書「岩波現代文庫版のためのまえがき」より引用)とあるとおり、著者の70年代における主要な研究テーマであった「中心と周縁」概念について、社会・文化の広範な領域に関して記号論的に論じている。
第1章では、風土記の中に記された、「周縁」の再生産のメカニズムについて論じている。
第2章では、リグ・ヴェーダ、ギリシア神話、新約聖書等を題材にして、普遍的な「神話思考における負の価値の発生論的形態」すなわち昼と夜との争闘神話の発生メカニズムについて触れ、文化の中でいかにして「「否定的」な存在を媒介として「秩序」が確証される」かについて論じている。
第3章では記号論の見地から、秩序と混沌とを分ける「境界」の創出過程について論じた上で、その境界を明確にするために、攻撃誘発性(ヴァルネラヴィリティー)を付与された「異人」に関して考察している。
第4章では種々の民族誌的研究から、文化の現実的側面(プラクシス)において「異和性」はどのように捉えられているかについて論じている。
第5章ではA.シュッツの現象学的社会学について触れつつ日常世界の多義性について考察している。
第6章は再び記号論の見地から、社会を構成する「中心」と「周縁」という構造について分析し、中心の「象徴論的次元における周縁との緊張関係」について論じている。
第7章では、現代における両義性を取り戻す試みとしてのロシア・フォルマリズムについて論考している。
本書は初出後30年を経ていることになるが、その分析の先鋭性は今なお失われていないと感じられる。むしろ一面的な価値観による支配が急速に進む、今日のグローバリぜーションの状況において、著者の主張する「多義性」の復権はより重要性を増しているのはないかと思われる。




文化の詩学〈1〉 (岩波現代文庫)
販売元: 岩波書店

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1983年岩波現代選書から刊行されたものの文庫化。なお現代選書版第III章「『源氏物語』の文化記号論」は同じく岩波現代文庫「天皇制の文化人類学」V章に所収のため本書では割愛され、また著者による岩波現代文庫版まえがきが付加されている。
本書には著者の70年代末から80年代初めの諸論が納められており、「第1巻の理論的観点に対して、第2巻では、政治、パフォーマンス、文体、女性、裸婦、足、書物のメディア性といった如く具体的事物を多く語っている」(文庫版まえがきp.vii)。
また著者は「私の研究分野を時期的に区切ってみると、(1)道化の民俗学に熱中した時期、(2)文化と両義性の問題にかかわり合った時期、(3)日本近代の問題に専念し、旧幕臣および敗者の力について論じることが多かった時期の三期に区分出来る」(p.iii)と述べているが、本書では主として(2)から(3)へと向かう時期における著者の思想的展開を見ることが出来る。
本書を通じて、文化における排除の論理や攻撃誘発性(vulnerability)あるいはスケープゴートの問題等の主題は、時代と場所をを超えて常に普遍的に存在するものであること、特にこの近年の日本においてますます重要な課題となっていることを改めて思い起こさせられた。
本書1巻VI章「ヴァルネラビリティについて」で述べられている「『日常生活』の豊かさとは何か。それは、我々がアイデンティティを確立するために、必然的に分泌する影としてのヴァルネラブルな存在を否定せずに、それらの影と対話し、ときにはその影に魅せられ呑み込まれることを怖れず、それらとの対話を通して、我々自身の『日常生活』を動脈硬化から救うことである」(pp.263-264)という一文は、今日の日本社会の「貧血状態の日常生活」、あるいは「『日常生活』の弾力性の欠如」に対する警鐘かつ処方として、特に印象に残った。




文明の衝突から対話へ (岩波現代文庫)
販売元: 岩波書店

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昔話と日本人の心 (岩波現代文庫―学術)
販売元: 岩波書店

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河合氏は童話や神話、昔話、ファンタジーなどオハナシを通じ、ユング心理学をツールに使って、人間の心を、日本人の心を、日本文化を解き明かそうという本を何冊も著している。
本書はその代表的な1冊である。
日本各地に伝わる昔話を豊富に例示しつつ、昔話に出てくる(主に)女性像を、日本人の心(どちらかというと無意識の領域)のありようを象徴する存在と捉え、その様々なバリエーションを示すことで、日本人の心を、日本文化の姿を解き明かしている。
昔話をもって日本文化の深層を探ろうというアプローチは民俗学の領域のようにも思えるが、そこで「心」「無意識」といった心理学の切り口を用いているところが本書のオリジナリティーである。
あわせて、昔話を分析することで、人の心や文化のみならず、物語の「構造」まで理解できるオマケつき。
かなり学術的な本だが、それでも語り口の平易さは河合氏ならでは。
ご興味ある方はご一読を



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