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和書 492132 (163)



冠婚葬祭 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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宮田登は日本の民俗の語り部である。民俗学は気の遠くなるようなフィールドワークからなっている学問であるが、ともすると、その細かい迷路にはまって、全体を描けない人が多い。宮田はその豊富な体験と知識で、日本の民俗事例が豊富な地方のみならず、都市民俗学(第2章「橋の下から拾われた」)、民俗学の苦手な歴史的文献の参照(第3章「大安と仏滅」)、国際比較などを駆使して、「冠婚葬祭」すなわち日本の民俗事例の代表的な部分を説明している。一つ一つの文は簡潔で、あまりにも事例が少ないように思うかもしれないが、そこに例示された参考文献を手がかりに奥深い日本フォークロアの森に入っていく道もあるだろうとと思う。




義賊伝説 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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盛り場の民俗史 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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 1944年に生まれ、宮本常一に師事し、民俗調査を行っている著者が、都市民俗学の試みの一環として、1993年に刊行した、ケハレ(日常と非日常の一体化)の空間としての盛り場に関する本。主として江戸期以降の上野界隈をフィールドとした、民俗史的アプローチを採用している。その際、著者が主に注目する盛り場とは、デパートや小売店から成る昼の繁華街ではなく、飲み屋街・歓楽街・遊里といった、「いかがわしい」夜に賑わう場所と大道芸・見世物の世界(113〜126頁に一覧表あり)である。著者は、一章では香具師のタンカバイ(口上売り)の盛衰と、露店や大道芸の常設店舗化の歴史を論じ、二章で花街(花柳界)の盛衰と、盛り場の立地上の特徴(主として中間領域)を論じ、特に江戸期における盛り場の発展と、明治期以降の近代化(風俗規制の強化、鉄道敷設等)に伴う盛り場の再編・衰退に注目している。その上で著者は、情報化(→マンションの一室を使ったテレフォンクラブ・デートクラブのような、盛り場の構成要素の分散現象へ)・バーチャル化・国際化(外国人ホステスの増加)に伴う盛り場の変化を指摘し、それらがもはや本書の分析法では測りきれないことを率直に認め、一層の観察を志している。消えつつある伝統的な盛り場への著者の郷愁が滲み出ている本であり、そうした伝統の記録という意味でも面白い本であると思うが、私には茶屋と遊郭との密接な関係や、ヤクザと香具師との関係についての指摘も興味深かった。近所の縁日の市を思い出す。




サンタクロースの大旅行 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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世界にはいろいろなサンタクロースがいる。それは周知の事実であるが、著者がまず材料集めに行ったのが旭川の「サンタプレゼントパーク」だったというところにはここの出身者として親近感があった。旭川のサンタプレゼントパークには「サンタタウン」というところがあり、世界中のサンタが集まっている。また「マロースゲレンデ」というスキー場があるが、この「マロース」もロシアでよく聞くサンタである。
まぁこの本と手に取った理由はクリスマスが近いので、これでも読んで知識を深めようという理由からだが、サンタクロースの服が赤い理由、プレゼントはどうして靴の中に入れるのか、日本のサンタクロース信仰の歴史が非常にわかりやすく書かれているのでサンタクロースのことを知りたい人にとっては良書であろう。




瀬戸内の民俗誌―海民史の深層をたずねて (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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 農民史に比べれば,海民史はマイナーの領域であろうが、海洋国日本の文化史を疎かにできない。特に、日本の海の縮図とも言うべき瀬戸内の民俗を調べることの意義は大きい。著者はその先祖を瀬戸内の海民であることから端を発して、ここに焦点を置いて、海民史をまとめることになったようだ。
 瀬戸内海民の先祖の諸系譜のこと、古代の「海賊」が中世瀬戸内で「水軍」へ変貌したこと、殺生を宿命とする漁民の被支配体勢のこと、日本の海民文化の諸源流はどのようなルートで入ってきたのか。本書のポイントは以上のようなものだが、その深層にまで入るには、なお大著を待たねばなるまい。本書は新旧とりまぜて多様な民族誌を紹介してくれており、この道を深めるに好都合の著である(雅)




竹の民俗誌―日本文化の深層を探る (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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生命現象・自然現象――人知を越えた壮絶な混沌――に接したときに生じるオソレの感情が〈聖〉と〈賤〉であり、〈聖〉と〈賤〉はふたつでひとつ、いわば表と裏の関係である。本書を手に取り、「竹」の〈聖〉なる面と〈賤〉なる面について読みすすむうちに、こころのなかで〈聖〉と〈賤〉の区分けが揺らぎ始める。レッテル張りして遠ざけていた、人知を超えた壮絶な混沌のなかにわたしもいるのだ。竹細工をなりわいとする人々の生活や歴史について知れば、もう逃げられない。差別とは何かと考えざるを得ない。姫を手に入れようとした貴族が実在の人物であったこと、帝(天皇)の求婚さえも断り、姫は月に帰ったこと等などを指摘し、民衆のカタルシスとして「竹取物語」を読み解いた論考はさすが。「差別され抑圧されている民衆が文化を産み、支配者はそのウワズミをすくいとっているだけ」という沖浦民俗学のテーゼが「竹」をキーワードにあますところなく展開している。




ダルマの民俗学―陰陽五行から解く (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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東西/南北考―いくつもの日本へ (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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 この新書を読み終わったあとに、わたしは「やっぱり」と思いました。幾度となく繰り返される「ひとつの日本から/いくつもの日本へ」という言葉は、いつの間にか、わたしの身体のなかに深く染み込んでくるのです。しかし、「ひとつの日本」という認識は、「柳田民俗学」とその忠実な追随者によってのみ継承されていたものであり、赤坂憲雄氏と同世代の民俗学者には、もはやそのような認識はないのではないでしょうか。赤坂氏は、どういうわけか、「柳田民俗学」ばかりに言及しており、「いくつもの日本」という認識をすでに胚胎していた岡正雄学説、すでに「いくつもの日本」という認識を当然の前提としていた大林太良という文化人類学のラインには、ほとんど触れるところがありません。これはどういうことでしょうか。ジャーナリズムと深く結びつきながら、あたかも自分のオリジナルであるかのように語るその語り口に、わたしは一種の驚きを覚えずにはいられません。蛇足ながら、雑誌「東北学」で赤坂氏と対談した小松和彦氏が、赤坂氏が実践の場として「東北」という具体的な場所で論じていることに対し、情報化の浸透する現代社会のなかで、そのような具体的な場でものごとを考える必要性をあまり感じないという趣旨の発言をしていることには苦笑させられました。それはそうでしょう。民俗を文化人類学の手法で分析する限り、場所は匿名でも可能なのですから。




都市と日本人―「カミサマ」を旅する― (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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日本の生活空間を専門とする著者の多年にわたる都市研究のエッセンスを知ろうと思って読み始めた。しかし、そのような読み方をすると読みづらい本だ。
本書は、日本のさまざまな都市とその生活文化、そして「カミサマ」の位置づけを探索する旅エッセイ風の構成になっている。その一つ一つも歴史、文学の教養が詰まった重厚なものだ。
結局、都市論として著者が言いたいことは何だったのか。答えは”むすび「山見の聖軸」を考える”の章にある。カミサマとは音楽、舞踏、演劇、スポーツ、買物、食事などを楽しむ所、つまり都市の都心である。そして都市には都心というカミサマと生産のためのムラと生活のためのムラの三つの生活空間が必要なのだという。
はじめとっつき難かったけれど、都市の構造について考えることのできる良い本。




日本の神々 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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 神の原型に迫りたいと思うとき、本書は光彩を放つ。
 記紀以前の日本の神々の手がかりを奄美・沖縄の神々の中にその手がかりを求めることができる。南の島の菫ほどの小さな神々に心を寄せ、それらの「小さく」「可畏き」神々が必ずや日本人の根底に横たわる世界観や死生観を解明する手引きになると著者は考えた。本居宣長は「可畏きものもの」をカミと言った(「古事記伝」)。この定義ほど日本の神の本質を言い当てたものはない。
 人の一生の中で誕生の時期は最大の危機であった。八重山では、生れたばかりの子供が初めて外出するときは、鍋墨で×印や十印を顔につけられた。これは邪神の侵入を防ぐまじないであった。喜界島では、子どもが生れると、母が臍をついでいる間、家人の誰かがウブガミの代わりにイヤギ(斎矢木)をさす。「魔がさす」という言葉もこのあたりに由来するものであろう。
 神々は一様ではない。日本列島の中央部である葦原中国にも異風、異俗の神がわがもの顔に横行した。特に夜は「可畏きもの」たちの跳梁する舞台であった。古代日本と八重山の双方に、はるかな時空を超えて、夜は人間の力を超えた゜神の世界であるとする考えがあった。
「万葉集」には「不相鬼故(逢はぬものゆゑ)」のように「オニ」を「モノ」と訓む。「カミ」の否定的側面を表したものとみることができる。先住の神を「邪(あ)しき鬼(もの)」呼ばわりしたのである。
 本書には、実にさまざまな日本古来の神々が紹介されて、読者を飽きさせない。
 
 


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