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和書 492148 (224)



在日外国人―法の壁、心の溝 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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 戦後補償裁判や在日外国人の権利保障に関わっている、1937年生まれの日本アジア関係史研究者が、入管法改正直後の1991年に刊行した本を、1995年に改訂したもの。戦前の日本は、貧しい自国民を多く海外に送り出す一方、植民地住民を日本に来住せざるを得ない状況に追いやった。しかし、日本は敗戦に伴う植民地放棄の中で、同じ帝国臣民だったはずの在日朝鮮・台湾人から一方的に日本国籍を剥奪し、以後法律に国籍・戸籍条項を付けることにより、彼らの権利を制限した。その結果、諸般の事情で日本にとどまることを余儀なくされた在日朝鮮人・台湾人は、戦犯としての処罰や納税義務は課されながら、社会保障(161頁参照)や戦後補償(106頁参照)や参政権からは排除され、指紋押捺や外国人登録証明書の常時携帯が義務付けられ、就職差別を受けながら暮らすことを余儀なくされた。しかし、国際社会からインドシナ難民の受け入れを要求された日本政府は、難民条約の批准等を契機に、在日朝鮮・台湾人を含む在日外国人の人権に配慮せざるを得なくなり、国際化・グローバル化の流れがそれに拍車をかけた。1995年現在、在日外国人への差別は徐々に改善され、民族名を名乗ることも許され、在留資格も増加し、永住者の指紋押捺は廃止されたものの、未だ他国に比して彼らの権利が非常に制限されたままであり、ニューカマーの受け入れ体制も整っていないことは明らかである。著者は自己の体験を踏まえつつ、具体的な事例や豊富な数量データを挙げて、在日外国人をめぐる歴史や現状、その課題を論じ、地球全体を視野に入れつつ、「共に生きる社会」を目指すことを主張する。著者の論述は具体的かつ明晰であり、在日外国人に関わる主要な論点がコンパクトに整理されている。2008年現在、データはやや古びているが、この問題に関心のある人には是非一読をお勧めする。





在日外国人―法の壁、心の溝 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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在日米軍 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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 反核平和運動家でNPO法人ピースデポ代表である1937年生まれの工学博士が、米国の情報公開法等を利用して得た一次情報を用いて、現在の日本における在日米軍問題への関心の減退に警鐘を鳴らすべく、2002年に刊行した新書本。在日米軍は1951年のソ連を仮想敵とした日米安保条約に起源をもつが、1970年代のベトナム戦争後の米軍再編の中で、日本の自衛隊への責任分担要請が強まり(旧ガイドライン)、米軍の全地球的展開を支える役割を担い始める。冷戦終結後の1990年代には、「安保再定義」と新ガイドラインにより、「唯一の超大国」による全世界の紛争管理(対テロ戦争等)と日米軍の一体性の強化(域外派兵等)が模索され、情報化によるRMA(軍事革命)が本格化した。著者はこうした対米追随の歴史を振り返る中で、改めて日本の政治家の意識の低さ(思いやり予算等)を嘆くのである。また、著者は米軍全体の中での在日米軍の位置付けを検討し、後者がいかに重要な役割を果たしているかを解明する。つまり、日本は市民意識に反して既に高度な武装国家なのである。また、在日米軍は全てが在日米軍司令官の指揮・統制下にあるわけではなく、日本の防衛を必ずしも主眼とはしない組織であることも指摘される。そのことと関連して、非核三原則の空洞化、米兵の犯罪、基地の環境汚染、騒音公害等の、市民生活への米軍のさまざまな悪影響についても論じられている。最後に、情報技術によるRMAと、冷戦後の脅威ベースモデルから能力ベースモデルへの思考の転換が、いかに米軍および在日米軍の在り方を大きく転換するかが批判的に論じられ、それに対して東北アジア非核地域構想による、長期的な地域の緊張緩和政策が対置される。本書の記述は実証的で、図表も活用でき、概して説得的であるが、東北アジア多国間安保論についての検討も欲しかった。

                        




市民と援助―いま何ができるか (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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 朝日新聞編集委員が1986年の新聞連載をもとに、前著『女たちのアジア』の続編として、日本の市民一人一人に何ができるのかを論じるために、1990年に刊行した新書本。著者は1980年代の東南アジア滞在中、あくまでも人道的な見地から現地人の自立を支援する多くの西欧NGOと出会い、衝撃を受ける。それらのNGOは、政府の介入をはねつけるだけの実力をもち、多国籍企業の行動やODAの使途を監視し、また従来の現地の事情を無視した(その為しばしば現地住民の生活をかえって悪化させ、結果的に先進国の企業と独裁政権を利するだけに終わる)経済的「開発」に対して疑義を呈しつつ、西欧の市民が自分達の生活を見直し(=新たな価値観の創造)、第三世界住民の基本的な生活を保証するというあり方こそが、世界の一体化が進んだ現在、双方にとって真に幸福な生活をもたらすことになる、という信念を持っていた。そうした第三世界との対等のパートナーシップを求める動きは、西欧ではNGOのみならず、自治体・労働組合・障害者団体・生協にも見られる。彼らは第三世界住民の自立支援と同時に、西欧での多様な開発教育や外国人労働者との共生にも力を入れ、この双方を活動の大きな柱としている。また著者は西欧の女性がこの分野で大きな役割を担っていることにも注目する。他方、日本ではNGOが未発達であることに対応して、旧来型の問題の多い「国際援助」が幅をきかせており(この点でアジア住民や西欧NGOからしばしば批判される)、また日本社会自体を問い直すという観点がきわめて希薄である。著者は西欧NGOの限界や否定的な面をも見落とさないが、基本的には日本はこれらの団体から多くを学べると主張している。代表的なNGOやPP21等の紹介、NGO自体の監視・選別の必要、紅茶のフィンレイ社への批判等も興味深いが、西欧をやや美化している感は否めない。




シラクのフランス (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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九五年から〇三年までのフランス政治・外交を鋭く描写している。ジャーナリストがお手本にすべき力強く明快な文体で、本の内容から筆者が力のあるジャーナリストであることが想像される。シラク政権がどんなものだったのか知るには格好の書だ。




人道的介入―正義の武力行使はあるか (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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 およそ戦争なるものは人類のあらゆる営みの中で悪の最たるものとの考え方の下、戦後の国連体制では自衛と集団安全保障以外については、全ての戦争・武力行使は押しなべて禁止されています。
 しかしながら、世の中から戦争はなくなりません。もし仮に、隣国で罪無き人々、特に女性や子供たちが、民族的属性だけを理由として殺されていくとしたら、そして、武力を行使するしかその事態を防ぐことができず、しかも自分にはその能力があるとしたら、我々はどうすれば良いのでしょうか。戦争は悪であり、戦闘行為とは言え、人が人を殺そうと思って殺す、理由の如何を問わず、そんなことは許されるはずはない、それをしてしまったら、19世紀さながらの弱肉強食の世に戻ってしまう。そんな考え方もあるでしょう。また、逆に、罪なき人々の命が奪われていくことを放置せざるを得ないのであれば、何のための平和であり安寧なのか、個人としても倫理的に耐えられるのか、という意見もあることでしょう。
 いずれにせよ、武力行使を伴う人道的介入の問題は、法とは何か、国家とは何か、人権とは何か、そして人の世の平和とは何か、そうした根源的な問いを含んでおり、また、法的・倫理的・価値論的に各個人のアイデンティティをも試す問題と言えましょう。
 本書は、こうした重い問題を正面から取り上げ、きわめて平易な語り口のなかに、著者なりの悩みと考え方を示しています。問題への取り組みの姿勢には、極めて真摯なものを感じました。著者の結論には些かナイーブに過ぎる面があるように思われるものの、今後の世界の在り方を考えていくうえで、是非とも一読をおススメしたい一冊です。




スウェーデンの挑戦 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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 25年にわたりスウェーデンと日本を往復し、福祉か成長かという二元対置に批判的な、1944年生まれの比較政治学研究者が、1991年に刊行した本。19世紀末のスウェーデンは、移民を送り出す貧しい農業国にすぎなかったが、遅れて工業化を始めると、急激に工業社会に変貌した。1889年結成された社民党は、民主・平和・改良主義路線を掲げ、労働組合LOの支持を受け、1914年には第一党になり(〜現在)、1920年には単独政権を樹立した。社民党は以後、二層のブロック政治とサルチオバーデン協約(労使協調、連帯賃金制)に基づくコンセンサス・ポリティクスを展開し、二度の世界大戦での苦渋の武装中立を経て(180年間の平和、ただし武器輸出は行う)、黄金の60年代に自由、平等、機会均等、平和、安全、安心感、連帯感・協同、公正を主導価値とする、高負担高福祉の生活大国モデル(各種オンブズマンが監査する、女性、在住外国人、高齢者、胎児・児童、地球環境にも優しい、資本主義的経済発展と公正な分配を結合した、実験的な政治)を確立した。低成長期に入った1970年代には、左右両極からの政権批判が噴出し、一時的にブルジョワ・ブロックに政権を奪われるが、政権の内部対立ゆえに、まもなく社民党が政権に返り咲き、雇用・投資・生産の刺激を狙う第三の道路線を実践した(短期的には成功)。しかし1980年代には、技術産業への産業構造転換、政治倫理の乱れ、多党化傾向、難民受け入れ政策と労働者基金法への批判、投票率の低下、大政治への関心の希薄化が顕在化し、分権化に伴う格差拡大、EC加盟に伴う産業空洞化と国家のノーマリセーリンク、高負担への納税者、特に経営者の反乱等の可能性が懸念されている。本書は基本的に20世紀政治史であり、社民党政権とその首相を賛美する傾向が強く、その問題点は終章でまとめて論じられるにとどまる。




政治家の条件―イギリス、EC、日本 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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 1923年生まれの経済学者が、ヴェーバーの『職業としての政治』を手がかりとして、信念過剰なサッチャーと無信念の海部首相を比較しつつ、あるべき政治家の条件について論じた、前著『サッチャー時代のイギリス』の結末編に当たる1991年刊行の新書本。第一章では、サッチャーがその「非英国的」な不寛容により保守党内分裂を激化させ、金持ち優遇の人頭税や警官の暴力化、イギリス産業の低レベルでの均衡を引き起こし、結局湾岸危機の下でメージャーに呆気なく交代した経緯が述べられる。第二章では、サッチャー辞任の背景に、「民族国家」が時代に合わなくなり「ヨーロッパ合衆国」が要請されている状況があったことが指摘される(労働党の再編にも言及)。ここで前著の一国史的な見方がやや是正されている。第三章では著者なりに基本用語(信念倫理、責任倫理、釣り合い感覚)の訳語を確定しつつ、ヴェーバーの上記講演を手がかりに、スポイルズ(戦果分与)制を批判し、政治家が事実に即すということをあくまでも基本として、絶えず信念倫理と責任倫理のバランスをとるべきこと、民主主義のためには一定の経済的損失を耐え忍ぶべきであること(民主主義のコスト)、反イデオロギー的な金権政治をなくすために長期的イデオロギーと中・短期的マニフェストに基づく近代政党を作るべきこと、政党の官僚化という事実に抵抗するために絶えず政治家は事実と論理を勉強すべきこと等が提言されている。最後に第四章では、前章を踏まえて信念と論理力のない日本の政治家や、政・官・財の癒着構造(1970年代に変質しつつ持続)が批判され、その対策として官僚対策と小選挙区制導入が、更に北東アジア共同体論や、対ソ軍事国防から平和主義的な対米経済国防への転換が提言される。英国をモデルとしている点や個々の分析にやや違和感を感じるものの、その自民党観を始めとして、面白い分析が多々ある。

                      




世界政治をどう見るか (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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 1942年に生まれた国際政治学者が、諸外国に出かけた際の経験をも交えつつ、冷戦後の世界政治のあるべき方向性について論じた、1993年刊行の本。冷戦崩壊は、軍事費が経済を圧迫したことによる二大超大国の弱体化と1970年代以来の多極化・多中心化、地域統合の深化と民族紛争の多発に見られる国家中心主義の破綻を伴っていた。したがって、今やパワー・ポリティクスに基づくリアリズムが批判されねばならない。それは主権国家間の紛争状況を中心として立てられたモデルであり、その国家中心主義ゆえに市民の英知(NGOなど)や国内の諸問題を軽視する傾向があり、また紛争を前提とするがゆえに現状肯定や軍事中心に傾きがちであり、国際社会の相互依存・共存を捨象しがちである。特に勢力均衡論への本書の批判(第二章)や富のギャップについての分析(138〜144頁)は興味深い。以上の分析を踏まえ、著者が提言するのは、道義的な視点を謙虚に打ち出せるネーションづくり、予防外交や平和的国際貢献の重視、地域的安全保障の枠組みづくり(二国間同盟から多国間主義へ)、兵器売買の抑止、さまざまなレベルでの国際化等である。分析や展望にやや楽観的な傾向が見られるものの、1993年時点でこれだけの提言をしていることは、きちんと評価されるべきだろう。真のリアリズムとは、現実との厳しい緊張関係を保った上で、リベラリズムやアイディアリズムとの厳しい対話を重ねることから生まれるという著者の立場は全く正しい。私見ナは、本書の国際政治学的分析を多国籍企業の展開という国際経済学と連結することが望ましい。





戦争で死ぬ、ということ (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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戦争では多くの人命が失われる。が、どのようにして? 爆弾や銃で殺される、などと書かれていてもリアルなイメージは浮かんでこないだろう。本書は生々しいまでの表現を用いて、戦争で人が死ぬということをリアルに読者に訴えかけてくる。

原爆投下で多くの人が焼け死に、水を求めてさまよったという記述は良く目にするが、「慌てて避難所へ駆け込んできた女性が負ぶっていた多くの赤ん坊の頭は爆風で吹き飛んでなくなっていた」「急に走り出すなんてものじゃない。ジグザグに走ったかと思うと立ち止まって叫んだり。気が狂った人がたくさん出た」などという戦争体験者の語りをありのまま伝えるその内容は他書には見られない生々しさを持って読者に戦争の悲惨さを問いかける。

また、被爆国という戦争の傷跡を持つ日本ではあるが、その日本が戦時中「マッチ箱の大きさでアメリカを吹き飛ばせる爆弾」として原子爆弾の製造を必死に追及し、国民もその完成に向け喜んで鉱物採掘に従事していたなどの記述も過去の新聞資料などとあわせて紹介されている。

戦争は人が死ぬ。人は戦争でキレイに死ぬなんてことはできない。やっちゃいけないものはいけない。そう理屈抜きで訴えかける本書は是非多くの人に読んでもらいたい。


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