それぞれの学者が真剣にしかもおたがいに相手の論点を共有化しているので,この手の議論によくある相手の立場を誇張してコテンパンに論破するというスタイルに陥らずにバランスが取れている.そして大変迫力があり面白い.ミームについて興味のある人にとっては必読文献といえる.
中身の議論のポイントはいろいろあるが主なものは(1)ミームの定義はどう考えるべきか.ミームは脳の中の状態なのか,本などの人工物を含むのか.複製はどのような過程を言うのか.(2)次に文化をどこまでミームで説明できるのか.(3)方法論としては人の心理をブラックボックスのままにしておいていいか,心のメカニズムに踏み込むべきか,あたりである.
ミーム論はドーキンスが唱えて以来広範囲な注目を集めているが期待されたほどに学問として深みある進展がなされていない.これを読むとなぜそうなのか,あるいはミーム論の抱えている難しさがかなり把握できる.
これを示すために引用される例が読者の興味をひくだろう。顕微鏡を始めて覗いたとき、図鑑に載っているような生物はちっとも見えなかったが、訓練を重ねるにしたがってそう見えるようになった。つまり、ただものを見るということでさえ、一定の訓練を必要とする。古代ギリシャの神々は実在しないと言う批判者Aに対して、大まかなところでファイヤアーベント代弁者のBは、だがギリシャの神々はあれだけ具体的な姿をとって彫像などに残っている、ギリシャ人は顕微鏡の例のような訓練を受けて、神々の存在という現象を体験していたのだと反駁する。
なるほどここにあるのは単なる相対主義、シニシズム、ニヒリズムの類ではない。強い理想主義である。ファイヤアーベントの言う社会を作るのは難しかろう、だが、現状を批判する視角としては有用である。科学的、非科学的と批判などするときには心にとめておきたい。文学や詩は科学ではないが、違ったやり方で生や社会の真実を伝えるものである、安直な科学・非科学の区分を著者は否定する。
時々ムツカシイ。情け容赦なく一定の教養を要求するときがある。訳注が欲しかったところである。