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和書 508066 (76)



暮らしの中の太平洋戦争―欲シガリマセン勝ツマデハ (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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黒船異変―ペリーの挑戦 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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芸術のパトロンたち (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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パトロンたちと芸術家たちの様々なエピソードを羅列しただけの本ではない。
社会史(文学家の話題もあります)学的に、
美術の歴史に則って語られる芸術論である。
世界一有名な芸術ネタの本は、
ヴァザーリの「芸術家列伝」だと思うが、
我らの高階秀爾大先生は、
致命的な誤訳を指摘する!
ヴァザーリが「芸術家列伝」を書いた16世紀中葉の時代には、
芸術家(ARTISTA)という単語は存在しなかったのである。
職業ギルドとしては、
彫刻家は石大工職人、
画家は薬屋(絵の具の顔料は薬と同じ成分)に分類される。
音楽には深い知性と精神性があるが、
美術なんて、頭を使わない肉体労働と思われていたのである。
ルネッサンス時代の素晴しい芸術家なんていう表現は間違いなのである。
ルネッサンスなんて、宗教に囚われた暗黒の中世時代だという
私の持論が補填されてマンセーである。
私はレオナルド・ダ・ヴィンチの絵に全然感動出来ないが、
それも当たり前、そもそも芸術ではないのである。
美術史学的にはルネッサンス時代はどんどん短くなってきたそうである。
単なる中世の続きか、ゴシックの前哨として、
ルネッサンス時代を無くそうという動きもあるそうである。
ミケランジェロという天才がいたので、
ルネッサンス時代が凄そうに見えるが、
ルネッサンスなんてわざわざ時代表記する価値ないよなw
一番優れている媒体は文字だと私は思っているが、
ゲーテ等の名立たる文豪が、
最初は美術批評家としてデビューしたというエピソードが多くて、
文学至上主義(正確には大衆文学であるがw)の私は喝采を送りましたぞ。
知的レベルが低くてもネタに出来るのが芸術。
レベルアップした知的な男は文学のみに邁進しようぜ!w





ゲルニカ物語―ピカソと現代史 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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 1926年生まれの西洋現代史研究者が、1991年に刊行した、「ゲルニカ」の制作過程とその解釈の歩みをたどる本。パブロ・ピカソ作「ゲルニカ」(1937年)は、「現代生活に応用された芸術とテクノロジー」をテーマとする同年のパリ万博の、スペイン館入口ホールに、コルダーのモビール「水銀の泉」と共に置かれた絵画であった。前年以来、スペインはファシズム勢力の強力な支援(ドイツはイギリスの影響下にあったバスクの鉱山の権益を、イタリアはフランスへの牽制を狙った)を受けたフランコ反乱軍と、ソ連の支援を受けた人民戦線政府との内戦中であり、ピカソは明確に後者を支持していた。マドリード攻防戦に苦戦していたフランコは、ドイツ人司令官に空軍コンドル軍団の指揮権を委ね、4月26日軍団はゲルニカに戦略爆撃(3〜4頁)を行い、国際世論の批判を受けた。当時家庭生活の破綻からようやく立ち直りつつあったピカソ(プラド美術館長、在パリ)は、政府からの依頼を受け、5月1日から「ゲルニカ」製作にとりかかり、従来の作品にも用いた多義的なモチーフ(牛、馬、戦士、拳、光、女)を組み合わせ、宗教性を帯びた政治画を完成させ、多くの人々に感銘を与えた。しかし内戦自体はフランコの勝利に終わり、第二次世界大戦が勃発するに至り、「ゲルニカ」はニューヨークに預けられ、作者死後の1981年10月プラドに返還されるまで、そこで保管された。その間、その絵はベトナム反戦運動やフランコ政権の安定化(帰還作戦、失敗)、スペインの民主化運動と国民的和解、更にはバスク民族主義に利用される象徴となり、政治的に聖化されてゆく。本書の中での「ゲルニカ」の諸々のモチーフに関する多様な解釈の紹介は、結論が開かれたままであるが非常に興味深く、政治に対する芸術に自律性を考える上でも重要であろう。





現代史を学ぶ (岩波新書 新赤版 (394))
販売元: 岩波書店

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筆者はソ連史を専門にし、特に農村社会の動きなどに着目している方である。
著書が書かれたのは1995年と、ソビエト崩壊による冷戦構造の崩壊に伴って、それまでのソ連史の語られ方が非難に満ち満ちている時期である。
筆者はE・H・カーに師事しており、基本的にカーの『歴史とは何か』をベースに歴史を学び、書くことはいかなるものかを述べている。
歴史とはあくまでも過去との対話であり、その対話の過程から帰納的に個別的なものから一般的なものへと導く作業である。
そして、「歴史の一般化は、一定範囲の経験的事実の観察(史料を媒介しての)からいかなる一般的命題をいうことを許されるか、ということ以上ではありません」(p194〜5)と筆者は言う。
筆者は、現代史を学ぶ難しさとして、時代が近いことによって精神的に距離を置いて見ることができないことをあげ、だからこそ自分の置かれている立場や時代が要請する解釈、党派性といったものから距離をおいて、「超党派」的に見ていく必要があるのではないかと言う。
だが、現代から時間的に遠い時代を扱う場合も、党派性といったものは強く作用されがちだと思われる。大河ドラマや、故郷の英雄など、例え事実として固定されていたりしている過去でも、現代の要請に応じて書き換えられるからだ。それは、戦前や戦後の現代においても変わらない。
結局のところ、歴史を学ぶということは現代史を学ぶということになる。それは、どの時代を扱うものであっても同じことだろう。




元朝秘史 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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 今年から数えてちょうど800年前の1206年に、その後一時史上最大の帝国に発展するモンゴルを創始した王として、チンギス・ハンが注目を浴びています。「元朝秘史」は彼の歩みを綴る唯一の貴重な一代記。折しもこの8月8−12日、モンゴルの首都ウランバートルでは「第9回世界モンゴル学者会議」が開催中で、同国大統領・首相・国会議長と在席する世界各国からのモンゴル研究者たちの前で、著者小澤重男は第1回から第8回まで連続参加の誉れある日本人モンゴル研究の碩学として紹介されました。本著は、「元朝秘史」に四つに取組んで執筆当時で既に40年以上を費やしたモンゴル語と言語学専門の重鎮である著者が、そのモンゴル語原名、原典に使用された言語、作者、書かれた時期など、学術上の根本的未解明問題の各々について、主たる学説を紹介しながら対する自らの立場を真に理路整然と論じます。まず原典は、チンギス一家の私的な記録として、元来今日的題名を付することなく、ウイグル式モンゴル語を用い、オゴデイの第2代ハン即位に際しその重臣が1228年に原型を著したとします。そして1252年の第4代ムンフ(本書はモンケと記載)・ハン推戴時に向けて増補。いずれも次期の王位推戴時の供物として準備されたと述べます。今日手に入る“漢字音写”モンゴル語の「元朝秘史」は、これがさらに14世紀後半にその転写過程を経て形成されたというものです。今日モンゴル人がチンギス・ハンの伝記を学ぶテキストとしての「元朝秘史」は、この“漢字音写”モンゴル語“版”の現代モンゴル語への焼戻し(著者は13世紀の“中世”モンゴル語の7割は今日のモンゴル語に対応と分析します)。文献学としての固いイメージがある一方、チンギス・ハン研究には必須の「元朝秘史」を取巻く基礎知識を提供してくれる点で必読の書。著者の紹介する例文を通じて、“漢字音写”モンゴル語“版”の読み方の一端に触れることもできます。




紅衛兵の時代 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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考古学の散歩道 (岩波新書 新赤版 (312))
販売元: 岩波書店

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田中 琢, 佐原 真。このお二人は戦後考古学界を牽引した巨人ですな。
興味深いテーマについて述べられている。
最後の対談は熱い!おすすめ。





皇室制度―明治から戦後まで (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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古代エジプトを発掘する (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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 著者は長年に渡って早稲田大学のエジプト発掘隊に参加してきた研究者。
 本書はエジプト学を志す若者向けに書かれたもので、古代エジプトを研究し、発掘するとはどういうことか、詳細に語られている。ヒエログリフの読み方を学ぶにはどうすればよいのか。発掘現場での服装。地下の遺跡を探査する方法などなど。
 安易な気持ちでエジプト学に飛び込まないようにとのメッセージが強く感じられた。発掘そのものより事前の交渉や事後の生理・論文作成の方が大変なことも強調されている。おそらく、早稲田では興味本位でエジプト学の専攻に進みたがる学生が多いのだろう。
 内容は、きわめて面白くない。無味乾燥な文章を書く人で、エジプト学の面白味などひとつも伝わってこない。早稲田でエジプト学をやろうと思っている高校生か学部生以外にはお勧めできない。


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