和書 508066 (263)
日本文化の形成 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社
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日本人はどこから来たのか。その源流を可能な限り遡ったらどこまで到達できるだろうか。これを文献によってさぐると3世紀前半の魏志倭人伝「倭人の条」にたどり着く。倭人と呼ばれる人々は時代を下って15、16世紀の『朝鮮王朝実録』にも頻出するがその生活ぶりは魏志倭人伝の倭人とあまり変わらないという。またその活動範囲も、朝鮮半島南辺、対馬・壱岐、斉州島、西北九州、中国江南の沿海地方を含む海域で古代における「倭」の分布とほぼ重なっているという。(村井章介『中世倭人伝』による。)
このような史実を踏まえれば本書の次のような記述も首肯しやすい。「朝鮮海峡の航海権を倭人が握っていたとしても、半島にも倭人の植民地があることによって、大陸の文化は半島倭人の手によって日本にもたらされたであろうし、時には強力な集団が侵攻という形をとらないで日本へ渡航したと見ていい。そういう力が凝集してやがて日本の武力的な統一をおこない、統一国家を形成していったのではなかろうか。」
本書の記述は日本列島の先住民である縄文文化人が狩猟漁労によって何を食糧としていたかに始まり、おそらく稲作の伝来とも関わりのある南方系の倭人の動向を描いた後に(p.47以下)、青銅器や鏡をもたらした渡来人による統一国家へと向かう古代日本列島の様相を予想させるに至る。
残念なことに、本書は多くが未完のままに遺されており「日本文化の形成」という標題には届いていない。構成も「日本列島に住んだ人びと」、「日本文化の海洋的性格」、「日本における畑作の起源と発展」のわずか3部からなるにとどまり、ここで展開されたテーマを敷衍するものとしてであろう、「海洋民と床生活」と題する論文が加えられている。
著者は「日本文化形成史」と題する講演を1979年7月から翌年9月まで都合11回行い、その講義録2冊と本書に相当する遺稿のあわせて3冊が「日本文化の形成」として1981年12月に刊行された。著者はすでに同年1月に故人となっており、その目から見たこれらの作品の完成度は高いとは言い切れないだろう。しかし、それにもかかわらず、著者の生涯にわたる研鑽の上に築かれた本書の視野と発想は新鮮きわまりない。
日本民族の源流 (講談社学術文庫 (1162))
販売元: 講談社
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日本歴史再考 (講談社学術文庫)
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日本歴史の特性 (講談社学術文庫)
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日本史の中の天皇―宗教学から見た天皇制 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社
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信長と天皇―中世的権威に挑む覇王 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社
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天下統一を推し進めた覇王・信長とその権威を利用しながら、朝廷を立て直した君主・正親町天皇に焦点が置かれていて、全体的に信長に対して厳しめの視点で作者の論理が展開されています。それ自体はまだいいのですが、最後の織田政権と足利政権の比較は噴飯ものです。作者の今谷氏はどうも足利政権を過大評価する悪癖があるようですが、九州はコネで今川貞世の後任となった、探題の渋川氏は在地守護をまとめる力はなかったし、甲信越は小笠原氏が信濃への入国を拒否されたし、関東・東北は元南朝方だった伊達氏と結んで、関東公方をけん制しなければいけなかったし、中国も大内義弘を明智光秀に例えられていたようですが、幕府に反抗した弟の盛見の家督相続を認め、九州守護大名への牽制役にしなければいけなかった等足利政権(義満期)も決して「見かけほどの強さ」があったわけではありません。
正親町天皇は確かに英明な君主だったとは思いますが、人物的に後白河法皇ほどの面白みはありませんし、あくまでもこの当時の朝廷の本質を捉える、イチ参考文献程度としてこの本は捉えるべきだと思います。
信長の戦争―『信長公記』に見る戦国軍事学 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社
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織田信長が戦場に臨んでどのように行動したか、資料と実地踏査を元に考察した本である。
ある対象に対しては、多くの人がそれぞれ異なることを言う。
玉石が混在する中で、
誰の言っていることが正しいのか。
なぜ、正しいのか。
その情報から何が読み取れるのか。
その情報の主役は、何を企図して何をどのように使ったのか。
明確な基準を示し、背景に隠された「より面白い」事実を解き明かす。こうした、学者として「あらまほしけれ」な仕事の成果が一冊の本にコンパクトにまとめられている。
本著ではに基づき、織田信長がどういう人物であったのかが解明されてゆく。学者が学問を正しく用いることの威力をこれでもかと見せ付ける好著である。
ハイデルベルク―ある大学都市の精神史 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社
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反哲学史 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社
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「形而上学的原理とは・・・人間の願望の外に投射されたものでしかなく、本当に存在するわけのものではありません」
「真実らしいこと以上の真理はありえないわけであり、その真実らしさは実際的有効性によって決せられる」
「万事を無原則に成りゆきにまかせる自然的存在論」に立脚していたソフィストの言い分・・・誠にご尤も。
「頽廃期に入り、国内的には民主政治が極度に堕落した衆愚政治」と化していたギリシアにおいて、
「ソクラテスやプラトンが戦おうとしたのは・・・堕落」
「ポリス(都市国家)の市民が・・・詭弁を弄してまで自己の個人的権利を主張し、
民主政治が過度に発達して衆愚政治と化すことによって、ポリスは精神的共同体としての統一性を失うと考えた」故である。
「おのれ自身いかなる立場」にも立たず、
「既成の知識や実在を否定して、それに代わる何か他の知識や実在をもち出そう」としなかったソクラテスの目的は、
「新らしいものの登場してくる舞台をまず掃き清める」ことにあった。
「国家というものは正義の理念を目指して形成され作られるべきものだという
政治哲学を提唱(『わたしの哲学入門』)」したプラトンの特異な存在論・・・イデア。
「すべてが作られたもの、作られるものであるからこそ、
国家も成りゆきにまかせるのではなく作られなくてはならないのだ(『わたしの哲学入門』)」
成りゆきまかせの堕落を憂いたが故の "あえてのイデア論" が、存在論そのものを転倒(おのずから生成→つくられてある)させ、
イデアに振り回された「ヨーロッパ文化は実は無に向かって形成されてきた」というニーチェの指摘・・・ニヒリズム。
おのずから生成、転じて、万事無原則の成りゆきまかせ。
作られなくてはならないのだ、転じて、ニヒリズム。
全存在者が往き場なく生成を繰り返す世界・・・「永劫回帰」こそが、端的な事実。
ハンニバル 地中海世界の覇権をかけて (講談社学術文庫)
販売元: 講談社
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本書が 日本でのハンニバル研究書の嚆矢とのことだ。
ハンニバルは塩野七生の「ローマ人の物語」で読んで興味を持ち 本書を手に取る機会を得た。他のレビュアーの方も 塩野の本と本書を比較して 面白さで塩野に軍配を上げているが「物語の面白さ」という点では僕も同意する。
但し 塩野の著作は あくまで小説であるのに対し 本書は研究書であることを考えると そういう比較はしてはいけないのかとも思う。ましてや 著者の塩野は ハンニバルには相当感情移入しており ある意味で 彼女のラブレターのような様相も示している。但し 知的なラブレターとは読んでいて面白いことも確かだ。
そんな塩野さえ脇におけば 本書は研究書にしては 面白いことが浮かび上がってくる。こういう著者を 極東で持ったことは ハンニバルの幸せである。
それにしてもハンニバルの栄光と滅亡は実に絵になる。平家物語ではないが 日本人は滅びていくものに対する視線に 若干暖かいものがあるような気もしている。そう考えると このハンニバルは もっと人気が出ても良いような気もするのだ。