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和書 508082 (133)



純粋理性批判 下  岩波文庫 青 625-5
販売元: 岩波書店

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 まず訳の問題について言えば、分かりやすい日本語とは到底程遠い代物であることは
紛れもない事実。ただ、翻訳者がどうこう以前に、本人のドイツ語があまりに混沌とした
悪文なので、とても責める気にはなれない。訳語も出来上がってしまっている部分があって、
下手に気を利かせるとかえって何を言っているのか分からなくなってしまうこともあるわけで
(それをやってしまったのが谷川氏のデカルトだろう)、そういう事情も多少は斟酌すべき。

 そして、まさかいないとは思うが、宇宙論どうこうという見出しに魅かれて買うのならば、
それはやめておいた方がいい。言うまでもないことだろうけれども、現代の宇宙工学やらとは
ほぼ無関係な話。当時の天文学等を知りたければ、他にもっと適したテキストはあるはず。

 カントにおいて、とりわけこの『純理』において感動的なのは、これでもか、とばかりに
緻密に論理を組み立てて、必要最小限の道具立てから己の脳とことばでもって徹底的に
「批判Kritik」を繰り出すその態度、さらにその上で、結局、有限な人間に分かるわけない
だろ、無理、と語るその潔さ、挙げ句の果てにはなぜ無理なのかも「批判」する始末……。
 カントを特徴づける「異常さ」(どのような意味において異常なのか、はここではあえて
言及しない)がこの上なく表現された不朽の名品、それが『純粋理性批判』。

 現代の自然科学者からしたらきっと、ただの妄想としか思えないような代物かもしれない、
というか、そうだ。
 しかし、人間の営為としてのそのサイエンスを文字通り基礎づけている徹底的に論理的、
分析的姿勢がこの本には満ち溢れている。
 そんな真摯なカントに触れたい人は是非。




永遠平和のために (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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200年以上前に書かれたこの本は、晩年のカントが永遠平和を希求して著したもので、二つの章と二つの補説および付録二項からなっている。第一章は、人類がこのまま行けば戦争により滅亡するであろうことを防ぐための条件が書かれていて、六つの条項から成っている。特に有名なのは、「常備軍は、時とともに全廃されなければならない」という条項である。第二章は、永遠平和のための三つの施策が書かれている。その施策とは、国家は共和制でなければならないこと、国際関係は自由な諸国家の連合制度に基礎を置くべきこと、世界市民法は普遍的な友好の諸条件で規定されるべきこと(征服ではなく、友好的な訪問の権利が認められ、それが次第に世界市民体制へと近づける、という考えに基づいている)、である。
補説では、それらの根拠として主として自然の合目的性を挙げている。付録では、基本的にカントの定言命法(自分の行為のルールが、同時にいつでも誰にとっても妥当なルールとなるように行為しなさい、など)と義務を求める道徳哲学に基づいた議論がなされているが、政治と道徳の二律背反に関して、公表性をキーワードとして一つの原理を提出している。訳者は解説で、カントはこの原理を更に展開したいと語っていたが実現しなかった、と述べている。
現実を肯定する視点からは、永遠平和を達成する原理を理解することの大切さは見えてこないのだと思います。カントの考えの中から、時代を超えた重要な普遍性を見つけることが出来るのではないでしょうか。




宗教論 (岩波文庫 青 628-1)
販売元: 岩波書店

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 「近代神学の父」シュライアマハー(シュライエルマッヘル)の主著。
 宗教の核心について明確に述べた作品で宗教学の嚆矢といっても過言ではないと思う。
 もちろん今日の視点で見ればキリスト教に偏重している嫌いはあるが、それでも学ぶべき点は多い。
 宗教家、無宗教家に限らず一度は眼を通してほしい。




自殺について 他四篇 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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『自殺について』との表題が、果たして一般にいかなる印象を期待させるものなのか、寡聞に
して私の知る由もないところではあるが、本書はショーペンハウアー『付録および補遺:哲学
小論集Parerga und Paralipomena:kleine philosophische Schriften』の抄訳、第2巻の
10章から14章までを収録、「自殺について」はそのうちの1章のタイトル。 
 要するに、このドイツ人哲学者の主著たる、あの膨大な『意志と表象としての世界』の
ダイジェスト、と言っても差し支えない一冊。
 自殺は必ずしもメインテーマにはあたらない。例によって時間や意志の話を繰り返し、その
行きがかり上、多少、死や自殺の話が混じる、という程度。
 本書は日本語でほんの100ページ程度、とはいえ、短いことは必ずしも分かりやすいことを
意味しない。私の見たところ、デカルトの「我思う、故に我在り」や心身二元論の話とか、
カントの現象と物自体の話などは前提としてある程度知っていないことにはついていけない
だろうし、畢竟、本人のあのテキストを読め、ということになるのかも知れない。

 だからといって、そんな小難しいことなんか知らねえよ、っていう人間にとって全く無益な
テキストとも思わない。それが筆者の意図に適うかどうかは別としても、端的に並べられた
金言集として読んでも、そう悪い本でもないとは思う。




読書について 他二篇 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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ショウペンハウエルの主張の一つに、
「思想家⇔学者」「思索⇔読書」「(古典の)精読⇔(新書の)多読・速読」
といった二項対立を置いて前者に優位を与えている、というものがある。
この主張はもっともではあるが、
一方で誤解を招きそうな一義的な書き方も気になる。
例えば「読書は思索の代用品にすぎない」など。

思索することの材料として読書(インプット)があり、
それを表現する(アウトプット)ということがあるとすると、
思索はその中間にある「咀嚼」のようなものだと思う。
そして思索は、絶えず情報・知識を取り込むような多読・速読では十全になされず、
そうした思索が十全になされていないで書かれた書物のことを
「悪書」といっているのではないだろうか。

古典を精読することの意義はそこにあると思う。
新書の多読・速読に比べて、精読することには読者が思索する余裕がある。
書かれた内容について吟味しながら、自身の思索を深め、読み進めることが出来る。
(何もしない、無為な時間を過ごすのが思索の基本であるという意見もあるかもしれないが)
とすると、古典が精読に向いているということは確かにあるが、
読む本自体(古典/新書)よりも読み方(精読/多読・速読)を
問うことの方が本質的なのかもしれない。
もちろん、精読することが常に良く、多読・速読は悪いということでもないと思う。




知性について 他四篇 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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 哲学というものを手にしたのはこの本が初めてです。
 なんとも毒舌でユーモアたっぷりの面白さじゃありませんか。
 哲学書というとどうも縁の遠い小難しいものだと思っていましたが、本というものは読んでみないと分からないものですね。展開されるハウエルの痛烈な皮肉や批判、賢者と愚者の見分け方、愚者の手口の数々。考え方によってはただの悪口本のようです。
 不届きにも電車の中で笑いをこらえつつ読んでしまいました。
 納得できる内容あり、突っ込みたくなる内容もあり、ハウエルの皮肉とユーモアが良いのか、はたまた哲学とはそもそもこれ程面白いものだったのか、この本以外の哲学書を知らないので何とも言えないのですが、哲学が小難しいものだと思っている毒舌好きの人にはお勧めの一冊です。




死に至る病 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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 まず本書の内容を要約する(以下、頁数は1957年改版による)。「死に至る病」は、身体における致死性の病等のことではなく(15-16頁)、「精神における病」である(20頁)。だが精神における病といっても、いわゆる「とても落ち込んでいる状態」を指すのではない。そうではなく、人は自分自身と神とに立ち帰っていないことによって、この病に罹る。もし人が真に自分自身と神とに立ち帰っているならば、この病から完全に解放されている。
 ところで、「自分自身と神とに立ち帰る」とはどういうことだろうか。新約聖書ルカ伝15:11-32に、「放蕩息子」というキリストの譬話があるが、以下、その内容に沿って説明を試みたい。この譬話で注目すべきは、放蕩息子は「自分自身に帰って」(15:17)おり、なおかつ「神に立ち帰って」(15:18)いることである。精神たる人間は、自分自身に関係する、自己意識をもつ存在である(20-21頁)。同時に永遠への意識を持つ存在である(旧約聖書 伝道の書3:11、20頁他)。そこで虚無感や、あのことこのことについての絶望は、実は絶望の根本原因ではないことに思い至らなければならない。根本原因は、人が永遠なる神から離れており、なおかつそのことの重要性を認識していないことにある。ゆえに人は絶望し、死に至る病にかかっている(ルカ15:17)。そこで人は「自分自身に帰って」、自分が「父の子」であることを思い起し、父なる神の元に立ち帰らなければならない。そうするときに、絶望から完全に解放される(22-23頁、215頁他)。
 最後に、私自身の感想を記す。私自身、著者キルケゴール同様に虚無に苦しんだ。そしてキルケゴール同様に、虚無の癒しはある、そしてそれはキリストの元にのみあると信じる。自身の感じた虚無感は、神から離れている、という絶望の自覚症状の表れに過ぎない。神には一切が可能である。自分自身に立ち帰り(悔い改め)、神に立ち帰る時(信仰をもつとき)、一切の絶望が癒されると信じる。





現代の批判―他1篇 (岩波文庫 青 635-4)
販売元: 岩波書店

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《専制政治の腐敗や革命時代の退廃はしばしば描写されてきたが、情熱のない時代の堕落もそれに劣らず危険である。ただそれが曖昧であるために、あまり目立たないだけのことである。それだから、このことを考えてみるのは、たしかに、それ相当に興味のあることでもあり、意義のあることでもあろう。そこでは、ますます多くの個人が気の抜けたような無感動のゆえに、無になろうと努めることだろう、――それも、公衆に、参与者が第三者になるという滑稽な仕方でできているこの抽象的な全体に、なろうがためなのだ。》

 キェルケゴールは第一に名文家であって、迫力のある文章や巧みな比喩で読者を引き込むことができる。それは、彼自身の苦しく切実な信仰によるものなのだろう。本書で彼は情熱のない、おしゃべりばかりする公衆をこき下ろしている。そして、その公衆の主食と言うべき餌が新聞なのだ。19世紀前半において、マスメディアが既にそれほどの影響を持っていたことは驚きであるし、キェルケゴールが後の大衆社会の危険性を充分に見抜いていたことにも驚かされる。 




眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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聖書からの引用がとても多く、心に残る言葉もたくさんあった。
最初のうちは眠くなってしまって仕方なかったが、中盤あたりから
のめりこむようになった一冊。




悲劇の誕生 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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ニーチェの処女作にして古典文献学会から追い出される羽目になった著書。
異を唱えたいのは、訳者秋山氏による巻末解説。彼の文を読む限り「悲
劇の誕生」がなぜよいのかがわからない。そこからは「ニーチェが牽強
付会、強引な論述の数々をおこなっている(苦笑)。天才だからしょう
がないよね」というネガティブかつ思考停止な評価しか伝わってこな
い。秋山氏がなぜニーチェを評価しているのかとても謎。しかもちゃん
と理解しようとさえしていない態度に噴飯。たとえばソクラテスを主知
主義者としたり、ムーサイの術を音楽(music)に解釈したりするのは
ニーチェの強引なやり方の現れとしているが、19世紀〜20世紀初頭では
上記解釈が通説だったので(例えば同時代人のヴィンデルバントやシェ
ヴェーグラーはソクラテスを主知主義者と規定しているし、20世紀初頭
の英書などではmusicと訳している)、別段ニーチェ特有のことではな
い。


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