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和書 508082 (146)



瀬戸内の民俗誌―海民史の深層をたずねて (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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 農民史に比べれば,海民史はマイナーの領域であろうが、海洋国日本の文化史を疎かにできない。特に、日本の海の縮図とも言うべき瀬戸内の民俗を調べることの意義は大きい。著者はその先祖を瀬戸内の海民であることから端を発して、ここに焦点を置いて、海民史をまとめることになったようだ。
 瀬戸内海民の先祖の諸系譜のこと、古代の「海賊」が中世瀬戸内で「水軍」へ変貌したこと、殺生を宿命とする漁民の被支配体勢のこと、日本の海民文化の諸源流はどのようなルートで入ってきたのか。本書のポイントは以上のようなものだが、その深層にまで入るには、なお大著を待たねばなるまい。本書は新旧とりまぜて多様な民族誌を紹介してくれており、この道を深めるに好都合の著である(雅)




戦争論 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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戦争に関する基本的な捉え方を、現状に即して展開した本です。

展開された議論を、自分の立場から見た特定の政治的傾向
(「左」など)に帰着させ、その傾向を指す言葉から連想されがちな
(読者の)偏見を利用して、議論を無視させようと煽ったり、
戦争論の本に、細かい歴史記述を一方的に期待した上で、
お門違いの酷評をぶつけたりしている人がいますが、
そのような見方に、不当に影響されることなく、読んでもらいたいです。




多神教と一神教―古代地中海世界の宗教ドラマ (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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オリエント諸宗派の中から、世界で類を見ない「一神教」がどのように生まれてき
たのかを考察した本……なのだが、あまり学術的ではなく、「〜と感じられてなら
ない」「〜に違いない」みたいな、推論で書いてあってホントかー?みたいな感
想。エジプトのイクナートン王のアトン神の信徒の子孫=ヘブライ人ってのは、か
なり怪しい説だなぁ。影響はあったと思うんだけど…

でも、「古代の人の宗教に対する《心性》がどのように変化していったか」という
観点から、信仰の流れを見るというのは面白いと思いました。しかし、それもどう
やら「神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡」という本からのまとめ?(みたい) 

筆者によれば、紀元前1000年ごろから、アルファベット文字の普及などにより古代
人の心性に変化が生じ、それまでの信仰の仕方が変質していき、やがて普遍神から
一神教の発生をみた、ということらしい。

しかし、そのような仮説であれば、別に他の地域からも一神教が現れても不思議で
はないのに、歴史上「唯一神」を発明したのは地中海地方のみ。そこらへんの疑問
には答えておらず、首肯できないところがありました。

ポンペイの神殿を巡る記述とか、イメージを喚起してくれるところは多く、読みや
すくて楽しく読めましたが、学術的なところはちょっと食い足りなかったかな、と
いう感じ。




多民族国家 中国 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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チベット暴動などで中国の民族問題に改めてスポットが当たったが、これは多民族国家の難しさを改めて浮き彫りにするものだった。この本の筆者は、多民族国家・中国の行方を比較的楽観視しているようだ。私は筆者の見通しに反対、もしくは無条件で支持する根拠ともに持ち合わせていない。歴史が積み重ねてきた惰性を慣性がある程度作用する可能性はなんとなく想像できなくもないが、果たして近現代の枠組みでそれが力を発揮するかどうかは、分からない。中国の今後を見守る上での手引きということで★五つ。




大学生の学力を診断する (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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勉強しなければ学力は低下する。この自明の理を豊富なデータを用いて検証し、日本の未来に警鐘を鳴らした良書。主に文系の大学生を対象に、小中学生レベルの数学(算数)を解かせた結果を纏めたもの。暗澹たる結果である。あの大詩人ポーもこう語っている。「創作にとって最も重要な点は数学的思考法である」。国語と数学が人の思考の基礎である事は言うまでもない。個性や創造性は学力と別物だという連中には、本書やポーの言葉を伝えたい。

私には息子がいるが、悩んだ末、今春、中高一貫教育の私立学園に進学させる事にした。ささやかな自己防衛である。しかし、本来は国として取り組むべき課題であろう。自称であっても「技術立国」を目指す国としてはお寒い限りである。そして、気になるのは学生だけでなく、先生のレベルも落ちているのではないかという危惧である。小中学校の先生の大半は教育学部(私の時代の呼び名)出身である。即ち、文系出身である。本書の続編として、「小中学校の先生の学力を診断する」本を出して欲しいと望む。




中世神話 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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 1946年生まれの日本宗教思想史研究者が一夏で書きあげ、1998年に刊行した本。中世神話とは、古代の記紀・仏教神話に取材した、中世の注釈書・神道書・寺社縁起・本地物語などに含まれる、宇宙の創世や神々に関する、主として断片的な言説の総称である。本書ではそのうち、中世伊勢神道に注目し、天地開びゃく・国生み・天孫降臨を素材に、古代神話の組み換えによる中世神話の生成を解き明かそうとする。伊勢神道は伊勢外宮神官度会氏が、経済力と密教的両部曼荼羅を背景に、天照大神を祀る伊勢内宮に対抗して、本来記紀に登場しない豊受大神の権威を高めるために創造した神道である。豊受大神は本来食物の神であったが、伊勢神道では開びゃく第一神(天照より上位)の天御中主神と同一視され、水徳の神とされた。また本来国生みの呪具であった天のヌ矛は、中世神話では魔を打ち返す独股金剛杵や竜神、心御柱と同一視され、とりわけ開びゃく時の葦牙のような霊物と結びつけられた。本来幼童の稲神であった天孫ニニギ尊も、中世には独股金剛杵を体現する軍神と見なされ、天照との関係が希薄である代わりに、むしろ天御中主神との関係が重視された。このように、中世神話では根源的な霊物としての天のヌ矛が重視されたため、それが伊勢にあるかどうかが議論になる。伊勢神道の影響を受けた北畠親房は、最終的にはそれを否定し、三種の神器を絶対化するに至った。著者は古代・中世神話のテクストから引用しつつ、以上のような天のヌ矛と豊受大神をめぐる神話の変容を跡付ける。本書の内容は確かに興味深い(おそらく出版技術の未発達ゆえに、こうした変容が可能になったのだろう)が、伊勢神道に注目する理由がよくわからないため(中世における天照大神の非中心性を強調したいのか)、イメージの広がりは分かるものの、話の筋道がいささか見えにくい。





哲学以前の哲学 (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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入門書として最良。無と存在のコンセプトがわかりやすい。




テロ後―世界はどう変わったか (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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 新聞、雑誌に書かれているようなレベルの評論しかないのは残念だ。ブッシュの勘違い、アメリカ国民の勘違い、単独主義をあらためて説明しても9.11の衝撃を説くことにはなっていないような気がする。9.11に関しては多くの書が出ている。新しい視点を提供している評論に出会いたいものだ。




東西/南北考―いくつもの日本へ (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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 この新書を読み終わったあとに、わたしは「やっぱり」と思いました。幾度となく繰り返される「ひとつの日本から/いくつもの日本へ」という言葉は、いつの間にか、わたしの身体のなかに深く染み込んでくるのです。しかし、「ひとつの日本」という認識は、「柳田民俗学」とその忠実な追随者によってのみ継承されていたものであり、赤坂憲雄氏と同世代の民俗学者には、もはやそのような認識はないのではないでしょうか。赤坂氏は、どういうわけか、「柳田民俗学」ばかりに言及しており、「いくつもの日本」という認識をすでに胚胎していた岡正雄学説、すでに「いくつもの日本」という認識を当然の前提としていた大林太良という文化人類学のラインには、ほとんど触れるところがありません。これはどういうことでしょうか。ジャーナリズムと深く結びつきながら、あたかも自分のオリジナルであるかのように語るその語り口に、わたしは一種の驚きを覚えずにはいられません。蛇足ながら、雑誌「東北学」で赤坂氏と対談した小松和彦氏が、赤坂氏が実践の場として「東北」という具体的な場所で論じていることに対し、情報化の浸透する現代社会のなかで、そのような具体的な場でものごとを考える必要性をあまり感じないという趣旨の発言をしていることには苦笑させられました。それはそうでしょう。民俗を文化人類学の手法で分析する限り、場所は匿名でも可能なのですから。




都市と日本人―「カミサマ」を旅する― (岩波新書)
販売元: 岩波書店

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日本の生活空間を専門とする著者の多年にわたる都市研究のエッセンスを知ろうと思って読み始めた。しかし、そのような読み方をすると読みづらい本だ。
本書は、日本のさまざまな都市とその生活文化、そして「カミサマ」の位置づけを探索する旅エッセイ風の構成になっている。その一つ一つも歴史、文学の教養が詰まった重厚なものだ。
結局、都市論として著者が言いたいことは何だったのか。答えは”むすび「山見の聖軸」を考える”の章にある。カミサマとは音楽、舞踏、演劇、スポーツ、買物、食事などを楽しむ所、つまり都市の都心である。そして都市には都心というカミサマと生産のためのムラと生活のためのムラの三つの生活空間が必要なのだという。
はじめとっつき難かったけれど、都市の構造について考えることのできる良い本。


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