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和書 508082 (294)



経験と教育 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社

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デューイの教育についての哲学と思えば、とっつきにくいかも
しれませんが、非常に分かりやすく読みやすい本です。

教育とは知識を教えることではなく、経験から学ばせること。
教訓は経験の中から自分で作り出していくものだという考え方。
そのために教師や親は、何をすればいいのか。
特にベテランと言われる先生方にはこの本を読み、
初心にかえって考えてみていただきたいと思います。




経済学入門 (講談社学術文庫 7)
販売元: 講談社

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経済人類学への招待―ヒトはどう生きてきたか (ちくま新書)
販売元: 筑摩書房

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経済人類学という分野には明確な枠組みがなく論者によってかなり主張が異なるようだが、本書はサーリンズの名著『石器時代の経済学』の翻訳者である著者が、贈与交換・相互性(互酬性)等の概念を丁寧に説明していくわかりやすい入門書だ。例えば、相互性に基づく贈与に対して、必ず反対贈与が返されることについて、なぜなら贈り物にお返しをしないと、対等な水平関係が優劣の上下関係にかわってしまい、貰い手は贈り手に従属しなければならないからだと説明する。さらにイヌイットのことわざを引用して「鞭が犬をしつけるように、贈り物は人を奴隷にする」と巧みに表現するが、人情の機微をよく言い表していると思った。

著者はまた、未開社会の人々の心性を、人間の非物質的ニーズはかぎられており、物質的ニーズはそれを支えるための手段に過ぎないと表現し、生活の質や幸福の享受度に関しては、文明社会より未開社会のほうが優れているのではないだろうかと提起する。そのわけは、未開社会の、ヒトとヒトあるいはヒトと自然の関係が、資本主義的な競争原理に基づく奪い合いの関係ではなく、与え合い、助け合い、共に生きようとする愛他的な相互性の原理の上に成り立っているからだと説明する。さらに、環境問題をかかえる今後の人類社会にとって、後者の生き方のほうがサバイバル率が高いと考える著者は、相互性の原理にたった社会を築くために、私たちは未開の人々から多くを学ぶべきだと主張するがとても同感した。




経済倫理学序説 (中公文庫)
販売元: 中央公論社

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 冷戦構造の崩壊により問題となったのは廣松渉や今村仁司、柄谷行人等が周到に準備してみせた色褪せたマルクス主義思想の再建ではなくロシア人自身、中国人自身の行く末であったはずだ。これと同様、ケインズやヴェブレンという思想家としてはあまり知られていない経済学者の評伝が、著者の親英反米の保守思想とは逆説的な構成で展開されている。本書刊行後の動向を跡付ければ、本書が経済学の再建ではなくその解体と日本に於ける本格的な大衆批判による真正の保守思想の確立への第一歩であったことが判る。それは著者の意図せざることだったのかもしれないが、それ程に大衆批判はここ日本において緊急の課題であり続けている。例えば、毎日4人くらいが殺人事件で死んでいるのに1ヵ月に1度、1つの事件だけで騒いでそれが全てだと考えることを率先してやってのけるマスコミの社会報道の在り方もその大衆性に含まれるだろう。少し脱線して言わせてもらえれば、私が社会部の編集委員なら交通事故の統計のように殺人事件の統計ぐらい載せるし、自分が報道する殺人事件の形態ぐらいちゃんと位置付けて未然に防止できるような運動として報道するだろう。これは他の事件報道についても共通する。
 問題は、ケインズが死んでヴェブレンが復活する本書の構成にあるのではなく、ヴェブレンを産んだアメリカ自身の病み方が確かに尋常ではないという方にこそあったということだ。さらに、アメリカのみならず中国・インドでも日本がかって経験した経済成長が達成されつつのであってみれば、今こそ社会経済学、経済倫理学、大衆社会論、大衆批判を日本から彼らに向かって直接に輸出、発信すべきときではないだろうか。





経済倫理学のすすめ―「感情」から「勘定」へ (中公新書)
販売元: 中央公論社

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 経済や政治に関する倫理的考えを極めてハイレベル且つわかりやすく説いています。
 なぜ世の中には〜〜するべきを、〜〜であると飛躍させて考える人が多いのか
 考えるヒントになります。
 人間が持つ理性だけが倫理学では強調されすぎですが嫉妬、妬みをも考慮にいれて
 考察しています。
 ヒュームやマンデヴィルも援用しつつ勉強になる本です。
 経済に関して興味がある人。
 倫理に関して興味がある人にはおすすめできる1冊です。




形象と時間―美的時間論序説 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社

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形而上学 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社

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前世カルマの神秘―ドラゴン占星術 (ケイブンシャブックス)
販売元: 勁文社

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新「超」怖い話〈5〉 (勁文社文庫21)
販売元: 勁文社

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啓蒙主義の哲学〈上〉 (ちくま学芸文庫)
販売元: 筑摩書房

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 後近代を生きる我々の啓蒙主義にもつイメージは「何よりも・・・思考の根元的自発性を信じ、単なる模倣的な機能ではなくて人生形成の力と課題とを思考に付与した」というルネッサンス以来のフマニスムの哲学的社会思想的確立という時代思潮としてである。
 しかし、1932年に発表されていた本書を読み進めていけば判るように、アウシュビッツ以降の1947年刊『啓蒙の弁証法』(岩波文庫より最近刊)を待つまでもなく「とりわけドイツ啓蒙主義哲学にとっては、宗教の解体ではなしにそれの「超越論的」基礎づけと超越論的深化が、すべての努力目標」であったことは今更ながら首題として確認されている。革命としての近代の当初に神(=悪魔の二元論)への殴打が現実の社会変動の中で神への冷笑に変わり、お仕舞いには神への無関心で同意形成された近代市民社会、近代科学という現在主流となっている一方の流れに対し、他方ではデカルトからフッサールの超越論的現象学までが神という言葉を使わなくても済むよう、現実の宗教運動には一切かかずらわされなくていいように啓示の受容体、受容器としての意識そのもの、或いは意識的身体までの改まった基礎付けを意図しているという読解は啓蒙思想へのイメージをその当初に遡って改めて革新するものだ。
 ところが問題は、神という言葉を使わなくなった、宗教が社会の表舞台から退場したことが飽くまでこの問題の哲学的理解と社会的規範の進展に繋がらなかったことで、何度でも確認せねばならないのは20世紀は世界戦争と全体主義の犠牲者により歴史に類をみない死傷者を出し、21世紀にそれ以上の悲惨を避け得る保証は得ていないことである。問題を人間の側に移したところで少なくとも歴史的にも神(=悪魔)の存在がなくなるわけでもなく、今後危機的対応に追われる度にそれを表現し理解する言葉すらない現状がある。下巻にてこの部分の考察が深められるだろう。


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