戻る

前ページ   次ページ

和書 529056 (109)



神話と科学―ヨーロッパ知識社会 世紀末~20世紀 (岩波現代文庫)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

1984年に出版された原著の復刻。主にウェーバーを中心に、19世紀末から1920年頃までのドイツ社会を描く。ちょうどワイマール文化が成立する前まで。対立軸の取り方がうまく、読んでいて非常に面白い。とてつもない博覧強記に基づいている。当時の「時代の雰囲気」を鮮やかに描いている。

活写されるのは以下のような知識人たちだ。大学組織の中で細分化され、産業化・官僚化する学問知の姿を代表するウェーバー、フロイト、トーマス・マン。それに対する在野のディレッタント、詩人たち。ゲオルゲ、シュペングラー、ユング。ユングの源泉となったバハオーフェン。

対立軸の取り方がうまいが、単純な図式で敵/味方が割り振られているのではない。ウェーバーのグロース周辺への微妙な態度、トーマス・マンのフロイトとの距離の取り方など、かなり複雑である。にもかかわらず、それらが鮮やかに見て取れるところに、著者の非常な力量を感じる。

また、主要な役割を果たしているのは思想家だけではない。出版人ディーデリヒスや理想主義者たちのコロニーであるアスコナなども登場する。このような思想の背景にも目を配るあたりは驚かされる。

この時代のドイツ思想に興味を持つ人は、この本をぜひ一度読んでみるべきだろう。記述の鮮やかさ、類書に見られない情報量と視点。まさに圧倒的だ。




時間の比較社会学 (岩波現代文庫)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

 本の内容は、本の表題で簡潔に述べられているとおり「時間の比較社会学」ですが、著者のモチーフはニヒリズムに対する著者自身の問いへの回答にあります。
 この本は、われわれ現代人の「時間」理解が他の様々のことと同様に人類史的には極めて特異なものである、ということを入り口として、そもそも人間にとって意味のある時間とは「使うものではなく、そこで生きるものである」ことに気づかせてくれます。ニヒリズムに関する内容はかなり難解ですので機会があれば再読しようと思っていますが、受け取れた部分を引用によって手短に言えば次のようになりました。
 人間とは無関係に、ひたすら過去から未来に向けて進んでゆく時間の流れのなかで人が生きてゆくという考えはニヒリズムの根拠になるもので、ニヒリズム自体も知によって乗り越えることはできない。しかし、近代精神の知の可能性は「ニヒリズムを支えている生のかたちがどのようなものであるか」を対自化することにより、「生による自己解放の道」を照らし出すことができる。




生命の多様性〈上〉 (岩波現代文庫)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

教科書といった印象☆
容赦無い専門用語の登場を前に、読み進めていくには
努力が必要☆
しかしその辺はインターネット検索等を利用すれば解決される事☆
先ほども述べたように、教科書のような本なので
マットリドレーやアンドリューパーカーといった著者の本を
より専門的に理解したい人にとって、大きな助けになると思う☆




生命の多様性〈下〉 (岩波現代文庫)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






竹内好「日本のアジア主義」精読 (岩波現代文庫)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

本書の魅力は、竹内好の成果に負っている。著者はあへて竹内を前面に出した。結果的に「右翼」の歴史のダイジェストに近い。しかし、民族主義のそれではない。日本は脱亜入欧して、アジア全体になにがしかの影響を与えてきた。だからこそ、「アジア主義」に、21世紀の思想として、本来の地位に相応しい処遇をするべきではないか。パラダイム転換の可能性はゼロではないだろう。




中国はどこへ行くのか―毛沢東初期詞文集 (岩波現代文庫)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






中国人の日本観 (岩波現代文庫―学術)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

 この本の分析が正しいかどうかはわたくしには判定は不可能である。内容それ自体よりも、わたくしにはアメリカという第三国の学者が、中国と日本という二国間の国家間の感情問題を研究し、そしてそれを日本で翻訳し出版した、という事実の方がむしろ驚きであった。このような基礎研究の上にアメリカ外交が成り立っているのだとすると、日本の外務省が太刀打ちできるわけはないのでは。また、このようなある意味マニアックな本を文庫化して出版した岩波書店に敬意を表したい。
 もちろん、書かれた時代が若干古いために、「新しい歴史教科書」が出現した今となっては特に中国の対日感情はかなり異なっているだろうが、それまでの歴史的経緯を知る上でも有益な書物と思われる。




天皇観の相剋―1945年前後 (岩波現代文庫)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)






天皇制の文化人類学 (岩波現代文庫―学術)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

1989年に立風書房から刊行されたものの新編集版。なお同著者「知の遠近法」(岩波書店1978年)と、一部内容が重複している。
本文庫版の目次は以下の通り。第一部:I.王権研究の現在、II.王権の象徴性、第二部:III.天皇制の深層構造、IV.天皇制の象徴空間、V.「源氏物語」の文化記号論、第三部:VI.権力のコスモロジー、VII.政治の象徴人類学へ向けて、私の天皇制研究のアルケオロジー-文庫版の解説に代えて-。
本書で筆者は、天皇制の深層構造としての「王権」について文化記号論の立場から、その深層構造を明らかにすることを意図している。第一部および第二部では、主として、トマス・ハーディ「キャスターブリッジの町長」、謡曲「蝉丸」、紫式部「源氏物語」に対する文学批評を通じて、これらの文芸作品の世界観を形成しているところの王権と貴種流離譚の構造について検討している。また第三部では、日本・ブラジル・ナイジェリア・バリ等における民族誌、あるいは中国「四人組」裁判などを例にとり、人間の世界認識のあり方の一つとしての王権と、その表現形式としての政治との間との関係について論じている。
本書を通じて、王権の構造は決して単に考古学・文化人類学の領域の中だけの問題ではなく、それは日常の生活世界の「内」と「外」との境界を秩序立てる構造であり、実は現代の私たちの生活世界の中に、可視的・不可視的を問わず存在しているものであるということに改めて気づかされた。また、近現代における国際政治関係を再考する際にも、こうした視点は有用であると思わされた。




福沢諭吉『文明論之概略』精読 (岩波現代文庫―学術)
販売元: 岩波書店

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

 子安は古典を読む態度を二つに分類している。一つは教養的、普遍的な読書の対象としての古典であり、もう一つは歴史的な限定をともなった読書の対象としての古典である。
 先は丸山が『文明論之概略』を、歴史的な限定から切り離して古典一般としてとらえた読書であって、もしそのようにとらえるならば、「興味も面白さも大幅に減少してしま」い、「教養的な読書ということ以上の意味をそこから期待しえない」という。「もしそのような古典として読んだら、これはつまらない読み物でしかない」し、「そのような古典として『概略』の講説もまた、ただ退屈な教養主義的なお談義でしかないことになる」と丸山を酷評する。
後は、子安の立場であり、『文明論之概略』は歴史的に限定された「日本の近代黎明期の著作として、初めてわれわれに意味を投げかけてくる」と著者は主張する。
 現在のわれわれは、世界と歴史のおおきな転換期に直面している。近代の黎明期にあって、『概略』ははっきりとした文明論的な日本の設計を最初に提示した書である。はっきりした設計とは、近代日本の形成についての明白な指針の提示であって、「大きな世界の転換に直面している現在、この文明論的な日本の設計を読み直す意味がある」、と子安はいう。福沢の設計とはどんなものあったのか。転換期における日本の設計を、どう考えなければならないのか。このような問いとともに『概略』の読み直しはなされなければならない、こう子安は語る。
 実学の福沢を教養の和辻が批評し、その和辻を教養の丸山は批評した。そしてその丸山を歴史の子安は批評しようとしている。ある意味では、実学の福沢が歴史の子安において生き返ったとも言うことができる。だが、子安はこれを真の意味で実現しているであろうか。



前ページ   次ページ

戻る

仮想世界 - シューティング/レース/電車ゲーム フライトシミュレータ