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和書 529056 (138)



マルクス・エンゲルス 共産党宣言 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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何をさておき、この本は、余剰価値、搾取といった、サラリーマン、非正規労働者その他労働を提供して賃金を受け取る者が、何かおかしくないか、と思ったときに説明してくれる視点、スケールを提供すると言う意味で衝撃的な本だと思う。人は困ったとき、あれこれ悩むが、悩みを適切に整理する概念を持つと、単なる悩みではなくなる。最低限、自己武装が可能になる。いかなる考えの者でもよほど地頭が良い者は別として、衝撃を受けると思う。彼らが提供した諸概念は未だ有効であり、それを敢えて知らにふりをして生きている者は、傲岸不遜な資本家であろうし、知らずに何かおかしいな、と感じたら、凡百の本よりこの本が助けになってくれると思う。本である以上、現実を解決してくれるのではない。読了後のことや行動は、私たちに委ねられている。自分がどのような立ち位置にいるのか、常に思わされる本である。




極光のかげに―シベリア俘虜記 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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著者は、帰国後大学教授(静岡大学、和光大学)として教鞭をとっているわけですから、いわゆるインテリゲンチャーです。だからというわけではありませんが、あとがきに「真実を真実として伝えよう」という意思を感じます。文章は、感情的にならず、客観的に押さえられていて、読む側としては、逆に引き込まれてゆきます。些細な出来事も多かったはずですが、それには、言及していません。人とのふれあい、俘虜生活のながれなど、俘虜としての生活が非常にわかりやすく描かれています。会田雄次の「アーロン収容所」と双璧をなす俘虜記といえるでしょう。最後に、民主化運動として俘虜の間に広がった些細な自称に対する「批判と自己批判」「つるしあげ」に遭遇したロシアの老大佐のことばは、今の日本人が読んでも身につまされるのではないでしょうか。いまこそ、大局を見なければいけないと痛感いたしました。




君主論 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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言わずとしれたニッコロ・マキャベリがロレンツォ・デ・メディチに贈った君主のありかたを説いたテキスト。君主政の諸類型を整理しつつそれぞれの長短を検討していく。題は「君主論」だがその内実は「人間論」といってもいいかもしれない。配下の諸侯、あるいは一般の民衆といった人間達の心理をするどく分析することによって君主のやるべきこと、やってはならないことを解き明かす。その人間の心理への鋭さは見事という他ない。今なお読み継がれている理由がここにある。

マキャベリの思想は、「マキャベリズム」「マキャベリスト」といった形で人口に膾炙し、様々な概説を通した形で孫引き的に流布している。権力者はその権力を維持するためならばいかなる冷酷非道な手段を用いても構わない。そのような印象が「マキャベリズム」という言葉とともに独り歩きしているといえる。だが、本書を読むとそんな今まで抱いてきた「マキャベリズム」へのイメージが激変する。確かに彼は、「君主たるものは、己の臣民の結束と忠誠心とを保たせるべきならば、冷酷という悪評など意に介してはならない」という(17章)。だが一方で彼は「どれほど強大な軍事力に支えられた者でも、ある地域へ攻め入る時には、常にその地域住民たちの好感を必要とする」という(3章)。「いかなる君主においても民衆を味方につけておくのが必要」だというのである(9章)。一方では君主は慕われるよりも恐れられていたほうがよいと主張しつつ、他方では君主は民衆から憎まれてはならないという。なぜなら「陰謀を企む者は常に、君主の死によって民衆を満足させられると思い込んでいるが、民衆を怒らせるのではないかと思った時には、そのような手段をとる勇気を持たないから。」(P139)

統治を安定させるには何が必要で何がご法度か?マキャベリの論考は500年も前に書かれたとは思えないほど深く、複雑だ。本書を丹念に読むと、軽々しく「マキャベリズム」「マキャベリスト」といった形での一般化はできなくなる。巷で流布している俗説に簡単に影響されずにきちんと古典に向き合う作業の重要性を実感する。





黒人のたましい (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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国家論 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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スピノザは『エチカ』によく現れているように、卓越した人間理解を有する哲学者である。本書においてもスピノザは感情に動かされる人間をあるがままに受け止め、そのおかげで決してユートピアで終わらずに論を展開する。

スピノザはホッブスと同じように「自然状態」からスタートする。すなわち「人間は本性上敵である」と。しかし、それでは各人は絶えず自己の破滅に脅かされる。そこで自然権をひたむきに主張することを控え、協調することが生まれる。多数の人間が協調することは各人の利益の増大に繋がるが、彼らは一つの精神に導かれたほうがより平和であるため、共同の権利を国家に委ねる。こうして「自然状態」が「国家状態」になる。

こうした考えはホッブスと極めて似ているが、スピノザの場合は、国家の目的は一方においては平和と安全、他方においては自由であるため、人間の本性が要求する程度の自由は保留する。自然権が国家状態において消滅するというホッブスとの違いがここに明瞭に現れている。

スピノザの本書における目的は君主国家、貴族国家、民主国家のうちどれが最善かを示すことではない。各々において、どうすれば国家が国民の幸福を保って存続するかを真摯に探ろうとしたのである。会議体の構成など細かい部分が述べられており、私はここにスピノザの誠実さを感じた。ただ、根拠が弱いと思われる部分があり、そこに本書の限界を感じた。

本書はスピノザの死によって未完に終わってしまった。書かれなかった部分については『エチカ』や『神学・政治論』から彼の見解を推察できるとはいえ、やはり私はこれを大変残念に思う。

本書はとても読みやすい。ただし、『エチカ』や『神学・政治論』を読んでからのほうが本書の魅力をより深く味わえるだろう。




ザ・フェデラリスト (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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今日では当然のごとく日々のニュースで見聞する合衆国の政治制度も、よくよく考えてみればその形成時にあたる建国期のアメリカと世界においては決して当然のものではなかった。諸州を束ねる連邦制を確立するための憲法案には根強い反対が存在したのである。本書『ザ・フェデラリスト』は、A.ハミルトン、J.ジェイ、J.マディソンの三氏が、なぜ連邦制が必要なのかを解き明かしつつ連邦憲法案の批准を世論に訴えるために書かれた論文集である。

読んでいて驚嘆させられるのは本書全体を貫く強烈なリアリズムである。外交・国防・通商・国内政治といった各分野においていかに連邦政府という権力が必要なのかが説得的に論じられるとともに、そのような権力の暴走への警戒は怠らない。州単位の防衛の脆弱さと危険性が連邦による一元的な防衛態勢を要請する。だが、連邦という権力の暴走する可能性に対しては人民は州権をもって抑止する。もし州政治の側が腐敗し僭主政治にとって代わられる場合には人民は連邦を支持することで政治的危機を抑制する。連邦と州権のバランスオブパワーによって権力の暴走を阻止し、そこでキャスティングボードを握るのは人民の意志にあるのである。合衆国という政治制度が、国際政治面でのリアリズムのみならず国内政治面においても権力というものに対して恐ろしく研ぎ澄まされたリアリズムによって裏打ちされたものであったことが分かる。アメリカ建国を支えた民主主義・共和主義といった思想を考える上で非常に興味深い一冊だ。安全保障のためなら何をやっても構わないという風潮が米国のみならず世界中に広まりつつある今日、権力の必要性と危険性を巡る本書の極めてリアリスティックな論考は新鮮かつ示唆に富む。





社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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内容は社会科学の基礎的部分(土台となる前提部分といった方がいいかもしれない)である。
そういう意味では、社会科学を志す人は一度は目を通しておいた方がいいと思う。

ただ、全体として、何か回りくどい感じがする。
無駄ばかり、重複だらけ、というわけではないけれども、長さを3分の2ぐらいには出来た気がする。
そして、なんとなく読みにくさがある。


全体の大まかな流れとして

1章
個人の主観的な価値観を出発点として、その上に客観的な社会科学研究を積み重ね、政策提言にいたる。
重要なのは、主観的な自身の価値観の部分と、客観的な社会科学の研究の部分とを、きちんと峻別することである。

2章
世界を、経済や人種や階級といった、単純な機構のみに還元して説明し尽くすことは出来ない。
よって、そうした特定の観点からの分析ではどうしても一面的になってしまうが、一面性を超えた客観的な分析は存在しない。

法則というのは、我々が主観的に、重要だと思った事柄同士を因果で結びつけているものである。
そして、そもそも法則というのは、あくまでも我々が世界を認識するときに用いる手段である。
また、法則は普遍化すればするほど、個別の問題では役に立たなくなる。
ゆえに、世界を貫く普遍法則を探すのを、社会科学の目的にしてはいけない。

我々が物事を観察し分析するとき、物事の要素の中から(主観的に)重要であるもの、必要性が高いものを選び出し、他の要素を捨象している。



なお、本書自体は300ページ以上あるが、そのうちウェーバーの文章は半分以下である。
残り半分には折原による長大な解説がついている(ただ、これもまた一解釈に過ぎない気もするが)。
この解説が、他の出版社の同書(『社会科学方法論』)と決定的に違う点である。購入するならば加味しておきたい。




社会学の根本概念 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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たまたま見つけた古本屋で1976年度版(第7刷、当時100円)を手に入れました。

社会学とは「社会的行為を解釈によって理解するという方法で社会的行為の過程および結果を因果的に説明しようとする科学」と、はじめにとりあえず述べられているが、「根本概念」というタイトルが示すとおり、「意味」「理解する」「動機」「秩序」とは何かといった、社会学に著者が必要とする言葉の意味を定義することから始まる。そしてひとつの言葉を取り上げるにしても、そこからどれだけ人間の意思や行動は客観的に分類できるのかという話が、事細かに進んでいく。はっきりいってページ数の割りに読み進めるに根気を強いられる書であるが、説明の後の各々の具体例がわかりやすいのが救いといったところ。有名な国家の概念の説明も後半にでてくる。

際限のない枠を持つ社会学の基礎を学べる書はほかにたくさん出版されているが、著者が著者なだけにやはりまずはとっかかりとして内容を押さえておきたい。社会学に興味はなくとも、「目的合理的行為」や「価値合理的行為」といった言葉とその意味は、自分や他者の行動を見直すうえできっと参考になるはずです。




章炳麟集―清末の民族革命思想 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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職業としての政治 (岩波文庫)
販売元: 岩波書店

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「正当な暴力の独占主体」としての国家、とのあまりに有名な定義が披露される講演記録。

 しかし、当のヴェーバーはそうした定義もそこそこに、各々の政体の、各々の時代における
種々の「職業」のありようへとその議論を移していく。
 それらを極めて丹念に吟味したその後に、テーマは再び政治家たる者の資質の問題、暴力の
問題へと帰着する。
「心情倫理」と「責任倫理」の耐え難き分裂、しかし、そこで立ち尽くすものに政治家たる
資質などあろうはずもない。
 成熟の末、双方を併せ持ち、あまりに悲惨な状況を前にして、「それでもなおdennoch」、
この世界に情熱と判断力をもって立ち向かうもののみが「天職 Beruf」として、政治へと挑み
得る、この社会学者は聴衆を前にそう断言する。

 第一次世界大戦直後のドイツにおいて放たれたこれらヴェーバーのことばは、単にその
時代において解釈されるべきものではない。暴力の問題、責任の問題はすなわち人類史に
他ならない。ゆえにこそ、彼の熱き意志は今なお、深き洞察を有する生きたことばとして
語り継がれる価値を持つ。


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