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和書 529056 (278)



社会分業論〈上〉 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社

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 分業、と聞くとアダム・スミス、と反応してしまうのはあまりにもクイズ解答者のようだが、事実分業は経済学の分野で繰り返し取り上げられてきた。本書はフランスの社会学者、エミール・デュルケムによる分業の社会的側面の分析だ。
 二巻本全体の構成は三部にわかれ、上巻では、「第一編 分業の機能」が全部収録されている。下巻では「第二編 原因と条件」「第三篇 異常的諸形態」と訳された部分が収録。
 上巻ではまず、分業形態の発生とその発展を理解する際に、分業形態を裏付けるものとしてその地域での社会的連帯の形態が対応しているという仮説の下、具体的にその確からしさを検証する為に当該社会の法と犯罪と刑罰の作られ方、執行のされ方について詳しく分析していく。かなり有名な図式として環節的連帯から有機的連帯への移行、というのが流通しているが、ここで読んでいくと著者は環節的連帯から有機的連帯へ、そして有機的連帯の変形として契約的連帯という移行を見ていて、それら三つの社会的連帯に対応して、与えられる刑罰の形態も禁止的制裁から現状回復的な命令、そして分業的協力の為の規定という、互いに異なる性質の刑罰の形態が漸次採用されるようになったことを、著者は詳細な例を多く挙げながら論証していく。その粘っこさは読んでいて時々頭がクラクラするくらいで、論敵のロンブローソやスペンサーやタルドに反論する時にはその筆致は更に激しくなっていく。それはともかく、法・犯罪・刑罰に対する詳細な分析は、それらがリアルに社会の現実に食い込んでいることを強く意識させてくれるし、そんな認識を通じて<社会>の実在について論証している形になっている点は、以前読んだ「自殺論」と同様だった。

 最後に、訳文は日本語としての重心の置き方が通常の日本語と違っているので読みにくいです。外国語を読むつもりで、日本語の重心を探りながら読むと意味が取りやすいと思います。




社会分業論〈下〉 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社

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分業がどのように発達し、そして、それがどのように人々に影響を与えていくかについての鋭い分析がなされています。
他のデュルケムの著作に負けない社会学の名著の1つです。
分業に興味を持っている方のみならず、社会学に興味のある方はぜひ。




昭和天皇〈上〉 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社

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同じピュリツァー賞受賞作のトーランドの「大日本帝国の攻防」と同じ程度の駄書。イデオロギー的には正反対だが、こういう偏向した本が受賞するのだからピュリツァー賞も大した事はないね。持ち上げるのは権威主義だね。




昭和の軍閥 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社

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真善美日本人―付・偽悪醜日本人 (講談社学術文庫 (684))
販売元: 講談社

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身辺の日本文化 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社

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常民の政治学 (講談社学術文庫 (627))
販売元: 講談社

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スミス・ヘーゲル・マルクス (講談社学術文庫)
販売元: 講談社

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 アダム・スミス、ヘーゲル、マルクスの思想を市民社会という点から分析した書。自由経済を契機として誕生した市民社会はスミスによって、神や法律、政治からの独立を経て独立した存在になった。しかし、自由経済が成長し、資本主義となると、ヘーゲルやマルクスが批判したように様々な矛盾をはらむ存在となってしまった。本書は三者の思想を読み込むことで市民社会の本質を明らかにしようとしている。引用なども多く、難解だが、非常に面白い論考である。




政治文化論―政治的個性の探究 (講談社学術文庫 (697))
販売元: 講談社

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西洋近代思想史―十九世紀の思想のうごき〈上〉 (講談社学術文庫)
販売元: 講談社

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本書は知識の羅列ではない。G.H.ミードというプラグマティズムの優れた思想家による哲学史の講義録だが、著者の独創的な見解がちりばめられた名品である。各思想家の著作を「追いかけながら」纏めるたぐいの歴史は退屈だが、借り物で語る論述はなく、全ての知識を自身のものとして消化した上で編み上げられた本書は、実に独創的な名著だと思う。マルクスの時代を経過したせいもあって、また、産業資本主義の最先端であったアメリカの出身であること、さらに、自身が哲学者である前に、専門的な科学者としての素養を見につけていたミードのキャリアなども影響して、本書は、社会・制度・歴史のなかに思想を見ることを片時も忘れないし、また、常に、執筆当時の先端科学の知識に照らしながら、各時代の思想を見つめるスタンスも明快である。客観的な著述に終始する哲学史のスタンスは、世間に良くあるが、それは執筆者自身のスタンスに極めて無自覚で話にならないのだが。その点、本書は、20世紀ではラッセルの哲学史と双璧だと思う。冒頭講義録編者の前書きがあるが、これもたいへん重要で優れた文章で、本書のみならず、ミード理解に欠かせない文章だと思う。内容的には、プラグマティズムの例に洩れず、カントからヘーゲルまでのドイツ観念論が「強い」。しかし、その解釈というか見つめる視点はユニークで、欧州の哲学史家のそれをお蔵入りにさせるほどだ。しかし、個人的にはむしろ著者自身による序文からカントに入る前までの前史が、著者の見解がダイレクトに出ていて興味深かった。そこには、「生存」のための人間の歴史、という視点から科学や技術が見つめられながら、思想が語られている。下巻も、十九世紀の産業社会に対する見識が示された後、著者自身の「行動」重視(行動は意識の反射として捉えず、行動そのものから対他関係、社会を展開する)のスタンスが明快に語られ、著者の主著(著者は本書も含め遺稿しかない)である「精神・自我・社会」を理解するためには、大いに助けとなると思う。また著者自身が、プラグマティスとの中では、若年の部類に入ることもあって、英国のラッセル、とくにホワイトヘッドの影響が強く出ていることも知らされる。パースペクティヴ視点はその一つだろう。巻末の十九世紀のフランス哲学は、独立した読み物だが、これもユニークでためになる。フランスの近世社会の独自性を歴史的に語った後、フランスの近代思想に進み、コントらを経てベルクソンで終わるが、馴染のない思想家へも言及があり目新しい。何よりも、フランス思想における科学のあり方に対して一家言持てる著者の科学に対する造詣の深さは強いと思う。これは本書全般に対する強みでもあるが、著者の科学理解は、明らかに科学者と同種のもので、科学についての「同時代的な」理解が、論述全てを馬鹿らしいものにしていないと思うし、ベルクソンへの批判も当を得たものになっている。といって、科学の知識で哲学をなで斬りにするのではなく、哲学に潜在しながら理解していく点著者のスタンスは強調しておきたい。


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