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和書 882814 (57)



失楽園都市―20世紀の夢と挫折 (講談社選書メチエ (36))
販売元: 講談社

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島の植物誌―進化と生態の謎 (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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宗教からよむ「アメリカ」 (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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 そういや昔、この人同じ時間に隣の教室でこのテーマで講義してたよな、と希薄な縁のある
ような、ないような……なんてこととは無関係に、非常に優れた一冊。

 単にアメリカの宗教分布やその歴史背景を語るに留まらず、モンロー・ドクトリンを掲げる
傍らで、しばしば過剰なまでのヒロイズムを世界に向けて披瀝するこの超大国の「見えざる
国教」を鮮やかに抉り出して見せた名著。
 この「見えざる国教」、単に宗教理解の範囲のみならず、アメリカの政治、経済、文化、
歴史を把握する上において、不可欠のものと断言する。日本人の書いた米国研究としては
文句なしに第一級の出来栄えではなかろうか。

 しかしながら、その水準の高さゆえに、「宗教」ということばの使い方がややもすると
あやふやに見えて、そこが残念でならない。率直に読みながら思っていたのは、この研究を
神学や宗教学のターゲットとしてではなく、社会学あたりの射程で論じれば、さらに明快な
ものになり得たのではなかろうか、ということ。
 無論、有限な人間存在が「宗教」などという途方もないことばをまともに定義しようと
すれば、いくら筆を費やそうとも足りるはずはないので、当然といえば当然か。




祝祭の「帝国」―花電車・凱旋門・杉の葉アーチ (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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春画―片手で読む江戸の絵 (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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 学術書だが、実際の絵画作品の掲載も多く、文章も読みやすく面白い本である。
 江戸の町民文化の最大の特徴のひとつは、快楽の追求に大きな比重が置かれていること。その快楽の中の大きなひとつが、春画や性に関するものである。(実際に、江戸時代はセックスに関するオモチャも多かったみたい。)
 もちろん江戸時代には検閲があり、あからさまな描写ができない。そんな中で、イコノグラフィーを用いた面白い春画が次々に生み出されていく。現在の私たちの目にぱっと見には春画と見えないものも、著者の説明を聞けばなるほどそうだ。特に有名どころが中学校の教科書にのっていたことを思い出して苦笑した。
 単に、どれが春画だとか、どう春画を「読む」か、だけでなく、もうひとつ上の次元で、春画全体に共通する枠組みを取り出し、当時の社会や文化のあり方を考えようとする著者の姿勢はすばらしい。
 知的に非常に満足でき、またなかなかににまりと笑える本である。




職人たちの西洋建築 (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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真珠湾<奇襲> 論争 陰謀説・通告遅延・開戦外交 (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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真珠湾にまつわる陰謀論や開戦通告の遅延、開戦に至る外交について冷静に論証しています。本書によると各種陰謀論はいずれもトンデモの域を出ない御粗末なものということであり、残念ながら?各種陰謀論は否定されるのですが公正な記述となっているように感じます。
ただ、「アメリカは第二次大戦中一隻の空母も失うことはなかった」「第二次大戦を通じて、アメリカは戦闘部隊を中国に送ることはしなかった」「(開戦時)レキシントンは修理のために本土のドックに入っていた」といった実に御粗末な事実誤認を見ると本当に論証の根拠は大丈夫なのか、と疑問を感じることも事実です。




新選組全史 天誅vs.志士狩りの幕末 講談社選書メチエ 303
販売元: 講談社

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新選組関連の本を読んでいて戸惑うことに、
断定文で記述される内容ほど、根拠資料が省略されていて、
一般に認められている定説なのか、著者の研究に基づく考察なのか、
研究経験に基づく感想なのか、区別がつかないことです。
この本で特に戸惑ったのは、紹介される資料が、要約され脚色されていても、
単なる原文の現代用語への読み直しだけにとれる引用がなされていて、
他の本で紹介され考察される内容と意味合いが違うものが多かったことです。
限られた紙数での紹介を目的としても、解説も時系列に添うわけでもなく、
全体に散漫とした印象でした。
例えば、終章の会津戦、
『会津藩はあくまで(新政府に対して)徹底抗戦の姿勢をくずさなかった』
の一言で説明されては、物足りないというよりこれで断定文はご勘弁な気がします。




身体の哲学/精神医学からのアプローチ (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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勉強させていただきました。読ませる文体・構成,よく勉強して整理しようとしている姿勢...感心しました。しかし,著者にはもっと立派な著作をものにしてもらいたい。よっておじさん精神科医の気のついた,苦言めいたことを以下に記します。
1.「身体の哲学−精神医学...」という題名からすると第一に取り上げべきは,なんてったって身体化障害(もしくは身体表現性障害)ですよね。議論の素材として摂食障害,解離症(著者の造語),境界例を選んだのは恣意的にだということだけれど,それでは,議論が本筋をずれることになりませんか? 「存在」や「ハイマート」についての議論は,BPO水準の患者には当てはまるだろうけれど,神経症水準の「解離症」や身体化障害には妥当でしょうか?
「私」と「あなた」が一緒だけど違う,違うけど一緒(反転可能)というキアズマ構造に身体がからむという著者のキアズマ論は,身体化障害にこそ,しっくりと応用できるのではないでしょうか。(もちろん論述を少し変更する必要はあるでしょうが...)
2.精神分析の言説を避けるといいながら,まだ多すぎる。精神分析の治療関係論の厚みはやはり抜きん出ていますが...,投影性同一化みたいな分かりにくい精神分析的概念でなく,もっと素直な現象記述・概念を使うよう頑張って欲しい。例えば,著者も引用しているワロンの感情論なんか使えると思いますけれども...(古すぎますかね?)
3.著者は,解離症患者に対して治療者が抱く「治療意欲が置き去りにされた空虚な感覚」を,「統合失調感」や「境界例感」にならって,「解離症感」と記述していますが,「統合失調感」と比べると,ずっと面接者のスタンスで変わりうるものだと思います。相手の態度によって変化することは「解離症」患者の特徴のように思います(境界例のカメレオン現象とは異なる。念のため)。そもそも「解離症」患者の陳述は,いわゆるヒステリーの一部として,一定の筋書きにそって「装っている」,「演じている」というニュアンスが感じ取れるもの(それを知っていれば安心して傾聴できるもの)ではありませんか? これって,精神科医の常識に属することですよね。
4.境界性パーソナリティ障害を境界例と言い換えて,境界例概念にまとわりつく神秘的な雰囲気をかもし出しているように感じられること(症状記述はいいのですが...)は遺憾です(少なくとも古すぎます。いまや一般向けに境界性パーソナリティ障害の解説本が続々と出版されているのですよ)。境界性パーソナリティ障害は,現在すでに治療が定式化されつつあり,心理(治療)教育も始められている障害です。境界例の治療関係が混乱しやすいという従来の議論の大部分は,かつてその精神病理がうまく捉えられていなかった(手探り段階だった)ゆえに生じたものだと私は思います。
などなどの異論や,議論の詰めが甘い(特に最終章。それから自己肯定感や親の拒絶といった概念を十分な定義なしに「存在」や「ハイマート」と結びつけて論じるのは「哲学」ですか?)などの問題点を見出しましたが,議論の組み立て・方向,結論の大枠に異議はありません。
本書の著者をはじめ,若い世代の精神科医には,本書のような有意義な精神病理学の業績を積み重ねてもらいたいと強く願っています。




身体の零度―何が近代を成立させたか (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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本書は、タイトルの通り、「近代」という時代の成立の根源を、身体性の問題から探るもの。今日様々な形で論じられる「身体性」の問題を、「文明批判」「文化批判」といった切り口から、歴史的な観点に定位して取り上げている。タイトルからも推測されるように、ポスト・モダンの思想を背景にふまえているものであるが、論旨は明快、論述はむしろ古典的で手堅いもの。豊富で適切な実例の提示(文学作品や、歴史的な文献からの引用など、唸らせるものがある!)と、念入りな先行論文の引用によってこうした主題にあまりなじみのない読者も、十分楽しめ、また考えさせる内容となっており、「身体論」を考える上での、かなり上質な入門書となっている。「身体加工」「表情」「動作(所作)」「舞踊」と、身体論の基本的な主題を順番に論じていくが、その論考の定点となっているのが、「身体の零度」という主題。「裸で何も塗らず、形を変えず、飾らない人間の体」というものを、標準の人間の在り方として受け入れるという、この「身体の零度」の成立が、「近代」というものを形作る上で不可欠であったという洞察が示された後で、この「近代」の成立と引き替えに失われてしまった「身体」の回復の試みが現代の「舞踊」の在り方に探られる。そしてその後は? 展開のふくらみを期待させる、刺激的な思索の試みである。


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