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和書 882814 (71)



フッサール起源への哲学 (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

Amazonのカスタマーレビュー(口コミ)

フッサールが垣間見た前人未踏の地平とは何だったのか。
「超越論的主観性」という概念を「主観」ないし「自我」という側面から見る限り、現象学はやっぱり単なる主観主義にしか見えない。
だが、著者も言うように「超越論的主観性」とは一個人の主観のことではなく、この世界、この現実、さらに言えばこの私さえもそこにおいて構成される「場」のごとき地平である。
現象学という哲学が可能にしたのはこの構成される場所=世界が現象する起源を問うこと、つまり一つの現実の作られ方であった。
それではその起源とはいったい何なのか。
彼方へ向けてきらめきながら飛翔していく本書はまさに感動的。




フランス絵画の「近代」―シャルダンからマネまで (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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フランス現代思想―一九六八年以降 (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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 フランスの複雑な哲学思想、あるいは政治思想の見取り図を描いた著作。
 フランスにとって1968年という時代はどのような意味を持つのか。
 1985年出版の作品ながら(訳書は94年出版)情況を整理するのに便利な書物である。
 あわせてレイモン・アロンの『知識人とマルキシズム』を読むとさらに理解が深まると思われる。




フロイト (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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フーコーの系譜学―フランス哲学「覇権」の変遷 (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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武器としての「言葉政治」―不利益分配時代の政治手法 (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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他のレビューにあるようにこの本はとても社会科学の研究を行ったものではない。
しかし、これはそもそも大學の講義を念頭において書かれたものであるからである。
失礼を承知で言えば、著者の担当する大學は私立大学であり、学生の勉学に励む姿勢
も、「全体で見れば」消極的であるので、この程度の内容になってしまうのである。
床屋談義の延長のような著書でしか学生に関心を持たせられない、また学生が関心を持たない
とう、現代の学問の衰退の一つの象徴である。




武装SS―ナチスもう一つの暴力装置 (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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SSみたいな巨大なお化け組織を単純化して一刀両断する手法には違和感を感じる。SSが犯した犯罪でもオラドゥール事件とショアーを同一視して語るようなものだ。スタインの本の方が武装SSの歴史を知るにはいい。
それと、左翼が愛したドイツ民主共和国の国境警備隊が「共和国逃亡者」を射殺する命令を実行して、かつての警備隊員が裁かれた件も、SSに徴兵で配属された人々の運命に通じるが、著者は、どう思っているのだろう?DDRはベルリンの壁崩壊までホロコーストは自分達とは関係ない、といっているのが日本の左翼や一部宗教人の「戦争責任論」に通じる。
日本人が書いた本だから、星2つ。




仏陀を歩く ―誕生から涅槃への道 (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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歴史学的、考古学的根拠に基づきブッダが実在したという根拠を示し、ブッダが辿った道を検証します。インドと仏教にに造詣の深い著者によるフィールドワークと最新の発掘の成果を基に書かれているので、かなりリアリティーがあります。これからブッダの聖地巡りをされる方、旅立つ前に一読をお勧めします。




ブッダの人生哲学―「正しく生きる」ということ (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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神様を信じるとか、信じないとか、そんなことはさておき、
仏教って、誰もが納得できるような明快で実践的な教えなんです。
「仏陀は、こんなことして、こんなこと言ってたんだ。」と、
仏陀が身近(?)に感じられると思います。
口語で分かりやすいので、宗派やら何やら、
細かいことを知らない方でも簡単に読み終えることができると思います。




ブッダ論理学五つの難問 (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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実に考え抜かれた本だった。

西洋論理学は時間を対象にすることができない。「クジラならば哺乳類である」の対偶「哺乳類でなければクジラでない」は正しいが、「家事をしなければ妻がうるさい」の対偶「妻がうるさくなければ家事をする」はそのまま取ると変だ(余談だが私の場合前者は偽、後者が真)。それは2つの項目に時間の差があるからである。

ブッダの説く因果の公式「Aが生ずるからBが生ずる」「Aが滅するからBが滅する」がこの穴を埋めるという。そこには時間差が埋め込まれている。「家事をしないから妻がうるさい」「家事をすれば妻はうるさくない」これならOKだ。

なおかつ、原因がないのに結果があるということはないから、真理表を作ればAが偽でBが真「家事をするのに妻がうるさい」のときだけこの公式は偽になり(家事をしないことと妻がうるさいことに因果関係があればの話だが)、命題論理学の真理表になかったパターンが生まれる。

ここからブッダは西洋論理学でも扱うことのできなかった関係までも知る一切知者であることが導き出されている。

さらに、「自己を愛する者は他人を害してはならない」という黄金律から大量破壊兵器の殺戮をやめさせようとして大量破壊兵器で殺戮したアメリカ・イギリスの愚を批判し、仏教の論争の的である無我論(自己はない)と非我論(Xは自己ではない)にまで足を伸ばす。

ブッダの説く十二因縁(苦しみの原因を次々とたどっていき、最後に無知に行き着く教え)を「存在論敵認識論体系」というのはまだ筆者にも迷いがあるのかもしれないが、そこは一番難しいのだろう。存在論は実在論につながりやすく、認識論は錯覚のそしりを免れない。

『アングッタラ・ニカーヤ』に説かれる討論の項目から、筆者は定言的三段論法、仮言三段論法、選言三段論法に対応させているのが面白い。でもこれをレトリックの観点から考えてみる視点も面白いのではないかと思った。

原始仏典がどことなく冗長で退屈なものに思える方にお勧め。


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