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和書 882814 (72)



文学の誕生―藤村から漱石へ (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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 後世の文藝評論家の論証もない感想文的言に惑わされず同時代評を丁寧に拾い上げていくという点で「研究」の名に真に値する方法を用いている。ただし講談社選書のような一般書に入れるのではなく研究書として出すべきだったと思う。テクスト論だの文学理論だのといった空理空論に耽っている限り、文学「研究」はただの政治宣伝か藝文にしかならないだろう。若いにも関わらず王道をゆく姿勢が好ましい。




文明史のなかの明治憲法―この国のかたちと西洋体験 (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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「国のかたち」としてどのようなものがよいのか。
学校では三権分立とか、民主主義とか、
主権在民とかいろいろなスローガンを習った。
ルソーやモンテスキューの言うのももっともだ。
しかし、ドイツへ行った伊藤博文の聞いた忠告が
結果として一番日本の国情に合っていたのかもしれない。

いわく議会に予算決定の権限を与えてはいかん。
そのようなことをすれば、国政は停滞する・・・。
そんな専制的な、と伊藤は感じたという。

当時国政を担っていたビスマルクは、
議会を敵視したわけではなく、
政府と民衆のパイプ役として、
ともに国益を担うパートナーと期待した、と
本書には書いてある。
しかしドイツ帝国議会では、
政党は特殊な利害に拘泥して党派的利益の実現を追求し、
ついには反政府的勢力と化した・・・。

当時のドイツに議会運営は難しかったようだが、
同様に明治以降の日本でも同様にむつかしかった。
そして、いまもなお、むつかしい。

藩閥政府の明治がうまくいき、
大正昭和の政党政治が、国の進路を誤った・・・。
そういう風に総括しては、性急すぎるかもしれないが、
事実にもっとも近い感じがする。

けっきょくのところ、
わが国の「かたち」は如何にあるべきや????




文禄・慶長の役〔壬辰・丁酉倭乱〕文学に刻まれた戦争 (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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プラントハンター―ヨーロッパの植物熱と日本 (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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ヘーゲル『精神現象学』入門 (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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“真理は、秩序に分裂と対立と否定を持ち込み、秩序の解体と再生の絶えざる運動の内に、真の現実のありさまを見る「主体」として捉えるべき”(p.23, p.34)であり、「主体」の例は、人間、神、自然、歴史だとする。また、“自分自身の内から出てきた力によって自分自身を超えて行くものが意識”(p.38)であり、“世界全体に行き渡る否定の力を、個々の具体的な場面で発揮するのが人間の意識”(p.39)だとする。これらの論理的帰結として、否定の力が最も強い人間の意識を「主体」として捉えれば真理に到達できるとヘーゲルは考え、それを「絶対知」と呼んだのであろう。

その「絶対知」に至る意識の成長過程が精神現象なのであり、「絶対知」は“安定と静謐のうちに世界の本質を見ること”(p.212)ではなく、秩序に分裂と対立と否定を持ち込み、秩序の解体と再生の絶えざる運動の内に、真の現実のありさまを見ること”(p.34)である。つまり、「絶対知」は最大で不動の精神(i.e. 実体)ではなく、最大を次々と更新し続ける精神(i.e. 主体)なのである。換言すれば「絶対知」とは、スピノザが神を定義した無限大ではなく、膨張し続ける無限大なのである。従って、意識が「絶対知」に向かって進んでも、蜃気楼のオアシスのように辿り着けないのである。ここで、「絶対知」を亀とし、意識をアキレスとしたパラドクスが組み込まれてしまったと考える。それが分かりにくいのは、「精神」に関する議論が大半を占めているからであろう。

無限の概念を解明したデデキントやカントールは、ヘーゲルの没後に生まれている。従って、無限回の弁証法という論理操作に内在する無限の時間のパラドクス(i.e. ゼノンのパラドクス)を見破ることが出来ないのは当然かも知れない。





ベンヤミンの「問い」―「目覚め」の歴史哲学 (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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法然対明恵―鎌倉仏教の宗教対決 (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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山から街へおり、庶民の苦しみを救うことに尽くした法然と、街から山へ入り、菩提の追及に専念した明恵、という対照的な二人の違いを対比するとともに、二人が歴史に名を残すに至った背景にある共通点をも明らかにする。




骨から見た日本人―古病理学が語る歴史 (講談社選書メチエ (142))
販売元: 講談社

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交易する人間(ホモ・コムニカンス)―贈与と交換の人間学 (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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「贈与」「交易」といった語をキーワードに、「社会」「社会的なもの」の内実を真摯に考察した書。

今村氏は、これまでにも暴力論や貨幣論などに関する優れた洞察を行ってきたが、本書ではそれらを踏まえながらも、相互行為の関係性としての「社会的なもの」を、「贈与」という視点から解き明かしていく筆致は圧巻である。

「贈与」という行為が、単純な「モノ」と「モノ」との「交換」に還元されないこと、それが経済性・政治性・宗教性・文化性という多元的な意義を有していることを、鮮やかに描いている。

現在、リベラリズムやリバタリアニズムなどで、「所有とは何か」という問題が改めて問われているが、それらでしばしばスルーされる問題(例えば「人格」と「所有」の問題」)にも、興味深い言及が行われている。

 「固い」内容であるにもかかわらず、論旨は明快で辿りやすい(と思う)。今村ファンのみならず、幅広い視点から「社会的なもの」を考えてみたいと思う方にお勧めである。なお、今村氏自身が、本書を、同シリーズの『抗争する人間』と姉妹編をなすと言及している点から、それも併せて読まれるべきであろう。




ホワイトヘッドの哲学 (講談社選書メチエ (390))
販売元: 講談社

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入門書を標榜しているなら「抱握」「合生」にルビくらいつけてください。

ホワイトヘッドの論点が次々示されるんですが、ただ並べられるだけでホワイトヘッドが構築した形而上学としての迫力が全然伝わってこない。
ホワイトヘッドの隣で言葉を翻訳してるだけって感じで、ホワイトヘッドの哲学が全体としてどういう世界を描くのか、
そしてそれが哲学史の中でどういう存在なのか、そういうのがよくわかんなかったです。
実用性がない感じがしてたいくつでした。


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