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和書 882814 (76)



ルネサンス理想都市 (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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連歌とは何か (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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レンブラント工房―絵画市場を翔けた画家 (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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レヴィナス 無起源からの思考 (講談社選書メチエ(333))
販売元: 講談社

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ロシアの源流―中心なき森と草原から第三のローマへ (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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 現在でこそ世界最大の領土を誇るロシアですが、その濫觴はヴァイキング系の支配者を戴く弱小独立公国の連合体であり、13世紀以降はモンゴルに蹂躙され、キプチャク・カン国の宗主権の下で辛うじて地域的秩序を保つに過ぎませんでした。
 そうしたウラジーミル大公国ですが、連合体内部における覇権争奪闘争やギリシア正教会との結びつき、更には「北の十字軍」や強国リトアニアとの抗争の中、次第に中央集権を推進し、国家としての体裁と実力を整備していきます。その過程では、敵対勢力やコンスタンチノープル、更にはモンゴル・タタールとの関係の中で、ロシア的なアイデンティティーの確立を見るとともに、帝国的なキャラクターが成長を遂げていくこととなります。
 本書は、こうしたウラジミール大公国からロシア帝国への変容過程を一般向けに丁寧に解説するものです。モスクワ・トヴェーリ・リトアニアの三国志的状況、各公国とタタール・カンとの微妙な関係、政権と教権との縺れ合い、そしてノブゴロドを中心とする中世ロシア的共和政権の興亡などがほど良く書かれており、ロシア国家草創の経緯が活き活きと描かれています。
 マイナーな固有名詞もたくさん登場するので、スイスイサラサラ読みすすむというわけにはいきませんが、歴史ファンの諸子にとっては、頑張って読むだけの値打ちはあるかも知れません。




ロシアのユーモア―政治と生活を笑った300年 (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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どんなにひどい環境でも人間は笑うことで自由になれる。
フランクルは収容所の中で人々がお互いにユーモアを
発揮して笑いあった事実を記録しているが、
ロシア(ソ連)でもそれは同じだったのだろう。
帝政下、共産主義時代、そして現代にいたっても
ロシアの人々の暮らしは困難で不自由、
だからこそ人々は笑いによって人間の尊厳を保ったのだと思う。

ユダヤ人のジョークが多いのも
なにか会い通じるものがある。

そう考えると日本にこの種のアネクドートがないのも
うなづける。




ロンドン=炎が生んだ世界都市―大火・ペスト・反カソリック (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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大火、ペスト、反カソリック、と一見全く別個のものに見えるテーマだが、各々が「歴史」の1コマである以上、どこかでつながっている。いわば「接点」といえるものがあるわけだが、それは過去を振り返って歴史を考える現代人が見出した結果論的なものであり、大火やペスト、反カソリックの時代をリアルタイムで生きており、そういった事象の「その後」を予想できなかった人々の考えるそれとは必ずしも一致はしない。この本では、いくつかの事象を取り上げ、「同時代人」の書いた記述、記録が多用しているため、わたしたちが「歴史」として捉えている事象を、彼らがどう捉えていたのかが見えてくる。それにしたがって現代一般に受け入れられている歴史上の出来事を結ぶ「接点」の信憑性についても一考させられる。(例えば、この本で言えば大火とペストに関して。)「歴史の見方」を教えてくれる本、とも言えるだろう。                                                    




ローマ帝国愚帝列伝 (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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皇帝の登場が歴史順でないのに、年代や時代背景が明記されていないので、混乱しました。

また、当時の書簡集に登場する(信頼度の高い)情報も、数百年後のゴシップ根性に満ち溢れた(信頼度の低い)情報も、同じウェイトで扱われており、全体としてこの本の信頼度を低めています。

文章自体もおもしろくなかった。




倭国の謎 (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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古代史の不自然さが明快に解き明かされています。やはりこれが自然な歴史の姿というものである。相見英<咲さんの文物をみるクリアーな感性に驚かされました。しかし現実的には、皇室(宮内庁)、神道関係権力者(右翼系学者、政治家、役人)は妄執的な立場から反対すると思われます。しかし正しい歴史認識なしに正しい

文化の形成も有りえないと思います。これからも大いに精進努力をされまして、すぐれた才能で曇った人々の目を覚醒させてください。




倭国神話の謎 - 天津神・国津神の来歴 (講談社選書メチエ)
販売元: 講談社

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魅力ある仮説を不快な語り口で断定する本(この著者は常にそうである)。古事記と日本書紀を丁寧に読み直すことにより、神話の重層構造を解きほぐしてゆく。着眼点は素晴しいものも多く、全体の構成も悪くない。悪いのは①自分の説についてはほとんど論拠らしい論拠のない、悪く言えば想像に頼るところが多い。特に問題を異様に単純化して考える癖があるようで、神代旧辞の数が記紀に残っている伝承の数と一致する筈だなどというのは素人が考えても甘い。神話の原型をどこに求めるかは、殆ど著者の印象のみにかかっている。例えば、神代紀一段の天地開闢に葦牙のごときものが顕現するところについて、こう述べている。「著しく海洋的ではないか。広々として明るい印象がある。これは海人ーアヅミ海人ーの神話伝承だ」この断定の論拠は、まさしく印象だけである。②他人の説については無暗と論拠を要求する。「具体的論証がない」「考え方が安易で浅いのである」云々。ご自分にあてはまるとは考えておられないようだ。③一旦自分が推定すると、あとはこれを完全なる事実として扱う。「かもしれない」が「と考えてよい」になり「このように考えざるをえない」になる。どころか、過去の自著二冊の結論をも既定事実化している。「しかし今日、神武~開化の実在は何人にも疑えなくなっていよう」(90p)。いつから?どこで?の世界だ。④何より、古代史研究においての結論は仮説の域を越えるのは困難であることがわかっていない。ましてや、論拠が自分の感じだけであるような命題を連発しているこの本においてをや、である。都合の悪いことがあれば、全て天武帝の作為にしてしまう、その筆致はまさしく「見てきたような」である。⑤この結果としてかどうか、「私」という単語がこの著者、異常に好きである。私はこう考えるのである、私にはそうは思えないのである、私には当然のことと思われる・・・この本、面白いことは面白いが、読み進むにつれ非常に不快になるのは、著者の強引な論旨展開と、それを仮説どころでなく事実であると信じ込んでいる状況によるものだろう。
そうはいってもヒルコ・ヒルメ問題をはじめとして、多くの炯眼というべき着眼点をもつこの論文。悩んだ挙句に星2つとした。これが仮説として展開されていれば、と惜しむ。


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